ひだまりアルゴリズム

ぺけぱっく+

プロローグ

電車が線路を踏む音を響かせる。それは、俺の命の残り時間だ。

走馬灯も走らないし、時間がゆっくりになることもない。

風が頰を撫でる。

その感触とともに耳に飛び込むのは、状況を理解した友人の声。

最後に聞こえた声は、手を掴んだ、抱えた小柄な少女の口から紡がれた言葉。


「なんで…ですか?」


その単語に秘められた意味を読み解くには、些か時間が足りなかった。

街の喧騒は、その言葉に続けるように響く、甲高い金属音に呑み込まれて。


俺の意識は、解けるように途切れた。


「宿題終わった?」

いつも通りの会話。団地やマンションが立ち並ぶ通学路。衣替えした桜並木に、うるさい蝉の鳴き声。

「もちろん終わったけど」

夏服の中の蒸れた空気を追い出しながらそう返す。

「頼むよ〜、写させて」

「その言葉、昨日も聞いたよ」

宿題の終わっていない友人、神谷 智の日課となりつつある「俺の宿題写し」。

いい加減、"宿題"の存在意義を果たさせてやればいいと思うのだが。なぜ家で終わらせないのか。

「なぁなぁ、知ってる?あの桜って、猫の形の神様がいるらしいぜ?」

話の変化が凄まじい。

「へー、猫神様か」

「俺、猫耳美少女だと思うんよ」

「おいやめろ」

あの桜、確か俺の犬の立ちションスポットだった気がするのだが。

これ以上踏み込んではいけないであろう思考を脳内から追放しつつ、言葉を続ける。

「でも、神様とか、絶対ヒマだよね」

「ああ、それな!」

謎の会話のキャッチボールを続けながら、高校へ向かう。

「あっ、智、そこになんか落ちてる」

黄色いドロッとした物体が。

「え?うわっ!?」

手遅れ。

「は!?なんだこれ?誰だガム捨てたやつ!」

「ざまぁ」

ニヤニヤ笑いながら薄汚れた橋を渡る。

「先輩!置いてかないで下さいよー!」

走ってくるのは丸メガネを掛けた、幼さの残る顔立ちの少年、1年の青木 千秋。俺たちになぜか懐いている。

「あのさ、千秋千秋、さっき智がガム踏んでさ、ほら、そこで取ってる」

道路の端で、木の枝を駆使し、ガム除去に四苦八苦している智を指差す。ちなみに彼は、

「普段の行いが悪いから仕方ないですよー」

さらっと笑顔で毒を吐く。

「!?千秋てめー!」

2人のやり取りを横目に橋を渡る。

「あ、薫先輩、下、下」

千秋の声に下を向くと同時に、ぐにゅっ、という嫌な感触。何を踏んだかもう理解している。

「うわぁ、マジか、俺もガム踏んだ…」

「普段の行いが悪いせいだな?」

やってやったという顔で智が千秋の台詞を反復する。

「あーもう最悪、千秋はうんこ踏まないかなぁ」

「やめて下さい縁起でもない、僕に付くのは運だけで充分ですよ」

こんな会話を交わし、曲がり角を抜けると、いつもの踏切。いつも通り車はほとんどなく、歩行者と自転車に乗った人だけ。

なのだが、少しざわついている。

鳴り出した踏切の前に立つ。

「なにかあったんですかね?」

「あれ?あの子、うちの高校の制服じゃね?」

智が右を指差す。俺たちの高校の制服を着た、一年生らしい女子が4、5人。

それだけならよく見る光景だ。

ただ、そのうちの小柄な少女は、髪が白く、目が濃い赤。

「えっ、ちょ、なにあの子」

少し失礼かもしれない智の発言が届いていないか懸念するが、気持ちはわかる。

彼女は俯きながら踏切の前に立った。俺たちの3メートルくらい右だ。その背後に女 子たちが立つ。ざわつきの原因は、彼女だろう。

非日常の香りがした。

面倒。そんなことを感じる自分に嫌気がさしているはずなのに、俺の中では何事も「俺」が最優先。

そんな人間だと割り切っていた。いや、割り切れればまだ。あるいは…

そんな希望論に飲まれていても当然のように続く会話。

「あ、あの子、C組の…」

千秋がメガネを直しながら不安げに呟く。

そして千秋は言葉を続ける。

「なんでしたっけ、イジメうんぬんでトラブルになってたんです」

よく見ると、彼女らは友達という感じではない。

どうしてあんな容姿をしているのか知らないが、当然、学校でも、街でも目立つはずだ。それに、ぱっと見ただけだが、だいぶ顔も整っている。

「あの子、大丈夫か?かなり怯えてるっぽいんだが」

おそらく男子からの人気は高いだろう。しかし、女子からはどうだろう。

「嫉妬って怖いんだなぁ」

気分が悪い。「彼」の顔が映った。

線路の向こうには、うっすら電車の影が写り、線路を踏みしめる音が無機質に響く。

「驚かすだけで済めばいいんだけど」

「ん、来るギリギリで押して脅かすあれな。見ててムカつくし、あとでチクるか」

「いや、止めろよ先輩。未然に防ぎましょ?」

そんな会話が交わされた。

彼女との距離が、他の通行人含め一番近いのは俺。

これでトラブルが起きたら、近くにいる俺が悪くなる気がする。

「あ、ちょっと靴紐結び直すわ」

そんな安全な言い訳を作って、智の後ろへ回る。


これで一番近い人は智だ。


なにも変わってない。

あの日から、何も。

屈みこんで靴紐に手を掛ける感覚。

罪悪。許されざる業。ミス。保身。無意識。罪。罪。罪。罪。罪?

「まじでなんなのお前。キモい」

突然、日常が崩れた。

ひとりの女子が、彼女を押す。白い髪の。

バランスを崩し、目を見開いた彼女が、たたらを踏んで転びかけ、そのまま踏切の棒に倒れこむ。

人ひとりを支える力など持たない棒は、大きくしなり、

彼女を線路上へと投げ出した。

「っ、は?」

間の抜けた声をまずだしたのが智。

反応が遅れたものに、気づくのは一番早かった。


俺を除いて。


乾き、ヒビの入ったアスファルトを蹴りつけ、彼女の手首を握った。

細くて、割れそうな腕。

そのまま、踏ん張る。右腕、左足に最大の力を込めて。

動くのに必要な理由が汚すぎて、自分に嘲笑が漏れる。

足が滑った。なぜ?

ガム。解けた靴紐。なるほど。

端的に自己完結させる。


俺と、白髪の彼女は線路に体を投げ出した。


電車が線路を踏む音を響かせる。それは、俺の命の残り時間だ。

走馬灯も走らないし、時間がゆっくりになることもない。

風が頰を撫でる。

その感触とともに耳に飛び込むのは、状況を理解した通行人、さらには智と千秋の悲鳴に似た声。

最後に聞こえた声は、小柄な少女の口から紡がれた言葉。

その紅い目に、戸惑いと、醜い「俺」を写して。


「なんで…ですか?」


戸惑うような、その単語に秘められた意味を読み解くには、些か時間が足りなかった。

いや、それも言い訳かもしれない。


彼女は免罪符でしかないのだ。


街の喧騒は、その言葉に続けるように響く、甲高い金属音に呑み込まれて。


俺の意識は、解けるように途切れた。


「君がいつか、そのループから抜け出せるといいね」

中性的な、柔らかい声が聞こえた気がした。


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