1-1-3 高性能な忌子の本
【忌子視点】
素晴らしいコントラストを演出する泉の前で、ただただぼーっとすること、しばらく。
ふわふわする気持ち。
心がなんだか軽くなったような。
「お互い裸同士だと、私は過ちを犯してしまうかもしれない」
「過ち」ってなんだろうか。
乾かすために服を脱いでから、女の人はどこかに行ってしまったので、僕は一人。
いや、違うか。あの「動物」が、「くぅん」と言いながら駆け寄ってきて、頰に残る涙の跡を舐めてきた。
その様子はさながら、大丈夫? と心配してくれているように見えて。
「大丈夫だよ」
微笑みかける。
そのまま横に屈みこんで、共に岸辺の石の温かさを楽しんでくれる「動物」。これもまた対話、か。「理の本」は正しかった。
「・・・あっ! まずい!」
「理の本」を服に入れたままだったっ!
ずぶ濡れになった服を弄る。さぞかしふやけているだろう。破けていないだろうか? しかし、僕の心配は杞憂に終わる。
ボロボロなのは変わらないが、全く濡れていない。
奇妙、珍妙なことではあるが、「理の本」に関して言えば、それは今に始まったことではない。
・・・僕のことを、「僕」として、受け入れてもらうのは独りよがりなのだろうか?
先ほどからぼーっと考えていたことが、また頭を過って。唐突に、答えを「理の本」に聞きたい衝動にかられる。やっぱり、いつものように答えてくれるのだろうか。
でも。
それは自分で考えるべき事項である気がする。そうでないと、彼女に失礼だ。
代わりに僕は、服を速く乾かす
みるみるうちに乾いていくのは、観察していて面白い。
風で乾燥するのが速くなるっていうのは、書かれていた通りなんだ!
ああ、それにしても僕はまだまだだな。干渉式を見て初めて思いつくなんて。熱運動のなら覚えていたのに。
あ、ついでに彼女の服も乾かしとこう。
「理の本」は、このような不思議な力も僕に教えてくれた。様々な現象の原理を理解し、干渉式を元にした陣形式で以て現象を具現化する力。
「干渉術」。
これを教わっている間は、現実を忘れることが出来た。
キュゥ。
ここでお腹が、栄養を求めて鳴いてくる。
「・・・おなかすいた」
そういえば、昨日の昼から何も食べていない。
夕飯を食べる前に、姉さんに追い出されてしまったから・・・。
お肉が食べたいな。ふと、横にいる「動物」を見る。
「お肉っていうのは、つまりは『動物』なんだよね・・・」
急に質の変わった僕の視線に気づいたのか、「動物」は身震いしだす。
自分の運命を悟ったのかな。解体ってどうするんだろう?
パカッ。
熱運動の干渉式を参照してから閉じたはずの「理の本」が、自動で開かれた。
その様子は、何故だかとても焦っているように見えて。
人間みたいにさ。本当に不可思議な本だ。解体の仕方でも書かれているのだろう。見てみる。
〜その動物は「犬」と呼ばれる種類で、狩猟動物や愛玩動物として知られ、普通は食べない。森ならば、「七面鳥」や「兎」という、美味しい動物もいる。そのような動物を仕留めて食すが最善〜
そして、「七面鳥」や「兎」といった、森で食べられる動物のイラストも一緒に載っていた。へぇ、それらを数える際の単位があるのか。なるほど、動物を生活のために仕留めることを狩猟というと。あと、死んでから時間が経ちすぎると腐敗して食べられなくなるから獲りすぎないように、か。
仕留めるための、武器の形状は・・・。
うん。理解した。一通り読み終えてから、熱運動と揚力、斥力の干渉式を思い起こして陣形式を構築し、宙に浮く氷の矢を十個ほど生成。
狙いをつけて一個発射してみると、寸分たがわず目標地点へ。
初めてやったけどうまくいったな。
これで準備完了。何だかとてもわくわくする。
これが冒険心というものだろうか。さぁ、森に出撃!
あ、服着なきゃ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「まぁ二人分だし、このくらいでいいかな」
僕の足元には、兎が二匹。間違えた、二羽。
頭を氷で一刺しして、苦しませないように屠った。結局氷の矢は二本しか使わなかったので、残りの矢は干渉術を解除し「力」に戻す。
付いてきた犬は、僕の後ろで怯えていた。
大丈夫だよ、君にはこんなことはしない。食用じゃないらしいし。
加えて何故か、犬は疲労困憊だった。
「えっと、解体の仕方は」
「理の本」を開く。ここでやるには少し手順が多いか。命を戴く時間は一瞬だったが、解体処理は時間がかかりそうだ。泉の前でやろう。水も必要だから。
両手で兎の長い耳を持ち、たったと駆け始める。
風が爽快だ。体が熱くなるほど運動はしてないけれども。
・・・あれ? 犬が来ない。
付いてきていないのだろうか。仕方ない、戻るか。
戻ってすぐに、キャンキャンと、犬が追いかけてきていたのが分かった。犬の前で立ち止まり「遅いよ」というと、くぅんと項垂れる。犬はノロマな動物なのだろうと結論づけ、仕方ないから犬のペースに合わせてあげた。
戻り始めて三十分くらい経ったか。
狩りは二十分くらいしかしてなくて、しかも結構ゆっくり進んだつもりだったのだが、まだ泉に辿り着く様子もない。
もしかして迷ったか、と思うけれども。
木々の並びは僕が覚えていた通りで、道を違えているわけではなさそうだ。どうやら犬のペースが思ったよりも遅いようで、こうして移動している今もどんどん失速している気がする。
もう限界、といった体で犬はついにしゃがみ込んでしまった。
情けないな。二羽の兎を片手に持ち替えて、空いた右手で犬を抱え込んでやる。
「さっさと行こう」
そのまま足に力を込め、一気に跳躍し、森を突き抜ける。
ん? 右手の負荷が急に重くなった? ・・・どうやら犬は気絶してしまったみたいだ。このくらいで、本当に情けない。
と考えた時。
「! ・・・?」
なんだ、この感じ。
急に背筋がゾクッとしたような・・・。
強烈な違和感を、今まさに向かっている方向、泉の方に感じるのだ。
直感が訴えかけてくる。早く行かねばならない、と。
地面に一度足をつき、先ほどよりもさらに力を入れ、倍に加速する。ざわりと枝葉揺れ、ミシリと幹は鳴き。音奏でる森の木々が、ギュンッと視界の後ろに過ぎ去っていく。
一瞬で、泉に着いた。
「!? 来ないで、あいつは危険よ! 逃げて!」
そこにはあの女性が、一糸まとわぬ姿のままいて。
僕を認めるや否や、そう叫ぶ。
あいつ?
彼女の視線の先にあるものを、観察する。
・・・あれは、何だ?
全身灰色、頭部の七つの突起。顔に目や鼻、耳は見当たらないが、異様にでかい口だけがあって。長い手足、内臓が全て失くなったような胴体。
まさに、異形。
奇妙なのは、形だけじゃない。
目には見えない感覚的な何かに、猛烈な違和感を覚える。
「ウマソウ、クラウ!」
そう言葉を発して、女性との距離を一気に詰める。
彼女は、ただ目を瞑って、顔を背けるばかり。
何で反撃しないの? そのままじゃ死んじゃうよ!
嫌だっ!
「ふざけるなぁ!」
刹那の間にそいつの近傍に寄り、頭に渾身の一撃を叩き込む。
後ろ、僕の飛び出した位置が相当抉れているのが見えた。同様に拳を食らった頭も爆散し、得体の知れない何かは、地に沈む。手を付きながらズザッと着地し、ギュッと目を閉じる彼女に顔を向けて。
「大丈夫?」
「・・・え?」
僕の声に、目を開けた彼女は驚き、惚けたような顔になる。
「そんなに驚くこと? こいつ、そんなに強くなかったよ」
「嘘・・・魔物をこんなに簡単に・・・?」
そして、目を見開いて、ブツブツと呟き始める。さっきの奴は「魔物」というらしい。その間に、この人が裸だと過ちを犯してしまう云々言っていたのを思い出して、地面に放置していた彼女の服を引っ掴んだ。
「はい。そのままだと、風邪引いちゃうよ」
彼女はしばらく僕の差し出す服を見ていただけだったが、やがてはっとなって、無造作にひったくる。
「わっ!?」
「っ・・・! ごめん・・・。でもちょっと、心の整理を付けさせて」
そう言って、彼女は近くの大きな岩に向かって、走り去ってしまった。
どうしたんだろうか?
その後ろ姿を気にしながらも。今仕留めた魔物とやらを森に捨ててこようか、とそちらに視線を向けてみれば。
死体は跡形もなく、消えていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます