1-1-2 忌子の自壊衝動
【忌子視点】
「・・・?」
突然顔に生温かい感触を感じたので、瞼を開く。すると目前には何か変なのがいて、僕の顔に
ドアップだ。
「くぅん」
「わっ!?」
驚いて、後に跳びすさる。向こうもビクついたのか、キャンと鳴きながら背を向け、距離を取った。
「うぅぅぅぅ」
それから前傾姿勢になって、低いうなり声を上げる。
なんだ、こいつ?
とちょっと考えれば、ピンと閃くものがある。
・・・ひょっとして、これが
「理の本」に記述があった。
確か、人以外の生き物のうち、「動物」がいて、そいつらとも人は「対話」ができる、っていうような内容だったはずだ。
普段食べてる肉は、「動物」の一部というのは知っているのだが。
「これが例の『動物』かぁ。生きているのは初めて見るなぁ。こんにちは」
向こうも挨拶をしてくるのを待つ。そこからの会話の流れも考えて。
今日はいい天気ですね、とか?
森の木々の合間から、暖かな陽気が垣間見え、とてものどかな朝。
外に出たのは久しぶりだけど、やっぱり太陽はいいものだ。
「キャンキャン!」
?
おかしいな。何を言っているのかさっぱりわからない。
「対話」できるんじゃなかったのかな?
耳が悪くなったのだろうか。
「あ、起きたの? 大丈夫?」
やっと応答してくれた。と思ったら、声を発したのは「動物」ではなく、濡れ布を持った女性だった。その輪郭を見て、軽い
確か昨日、疲労で倒れてしまった僕が、意識を手放す前に見た・・・。
はっと、この女性が自分を助けてくれたのだと悟り、「理の本」から
「え、えぇと、助けてくれて、あ
噛んでしまった。女性がクスクス笑う。
恥ずかしい。
「どういたしまして。そんなに小さいのにお礼が言えてエライわね」
そう言いながら、女性は僕の頭の上に手を置いて、左右にさすさす動かす。
「?」
僕はきょとん、としてしまう。何をしてるんだろう?
動きが少し粘着質だ。
そんなこちらの様子に気づくことなく、質問を投げかけてくる女の人。
「喉、乾いてない? あなた、夜中ずっと汗を流してたのよ? うなされながらね」
そうなのか。言われてみれば、喉が水を求めているような。
「水、欲しいです」
「やっぱりね、ついてきて」
そう言いながら僕の手を引いて促してくる。
大人しく従っていると、そこにあったのは。
「す・・・すごい」
鏡面のごとく、波紋ひとつない銀色の水面が、森を、空を、光を、それだけじゃない。本来、
いや、本当に、向こう側にも世界が広がっているのかもしれない。
「・・・はあ・・・・・・」
そう考えるだけでもワクワクして、思わず感嘆の溜息をもらす。
「喉を潤すだけじゃ、もったいないよ、ここは。否、水を掬うために手を入れて、わずかに波紋を立てるだけでも、禁忌なことのような気がする」
僕がそう呟くと、女性は少し不思議そうな顔をして。
「そうなの? よくわからないけど、大人みたいなことを言うのね」
「うん、言わされちゃった」
感動の余韻を噛み締めて、体の芯から実感しながら、云う。
「『ここ』は、生きてるんだね」
その時だった。さっきの「動物」が僕の横を突っ切って行ったかと思えば、いきなり水面にダイブ。
そのままバシャバシャと、暴れ出したのだ。
「あああああぁぁぁ!!?」
あいつ! なんてことを!
余韻を壊して、赦さない!
「何でそんなに叫んでるの? あの犬さっきもおんなじことしてたわよ」
・・・聞こえない、聞こえない!
結局、遊んでいる「動物」に悪態をついていたらなんだかバカらしくなってきて、僕もままよと顔を水面に突っ込ませ、水をガブガブ飲む。
そしたら彼女が後ろから押してきて、ドボンと落水して。
直前に、その手を掴んで道連れにしてあげたけど。
一瞬見たその顔は、妙にニヤついていた。
「ぷはっ」
「ぷふっ」
同時に水から顔を出したら、お互い目が合って。
それがとてもおかしく感じて、僕は、そして彼女も、盛大に笑い声を上げた。
「ああ、もう、ずぶ濡れ! まさかあんな鋭い反応見せてくるとは思わなかった」
女性はまだ顔を引き攣らせながら、歩いて陸へと向かう。
僕の方は足がつかなかったから、手と足を懸命に、かつ効率的だと思うように動かして進む。
「ごめんね。ほら、手」
先に岸に辿り着いた彼女が、僕に手を伸ばしてくれたので、繋ぐ。
「よいしょ。それにしてもあなた、泳ぎ上手ね。どこかで教えてもらったの?」
「泳ぎ」? 今の僕の動きに、そんな名前が付いていたのか。
「うぅん。こんなに水が多い場所に入ったのは、これが初めてだよ」
首を振りながら答えると、女性はびっくりした顔になって、僕に頭を下げてきた。
「マジか、ほんとごめん! そうとも知らずに、あんなイタズラしちゃって・・・。もし泳げなかったら、どうなってたか・・・」
と、心底申し訳なさそうにしていたから、僕は慌てて、「あ、あの、大丈夫だから」と返す。
本当に、気にしないで。
「許して、くれる?」
「もちろんだよ!」
快活さを意識して言うと、彼女はホッと胸を撫で下ろして。
そして、急に邪な笑みになる。
「ありがとう。さぁ、濡れた服を乾かしましょうよ。風邪引いちゃうと思うし。ここ、日当たりいいからちょうどいいわ」
言いながら、急に僕の服を掴んで、捲り上げてきた。
「わぁ、ちょっと!」
「はい、服を脱がせてあげるから、暴れないでね・・・」
何故か顔を紅潮させ、よだれを垂らしながら、どんどん僕を剥いていって。
そして最後に僕のパンツを剥ぎ取ってから、彼女は驚愕の、それはもう雷が落ちたかのような顔になった。
「あなた、男だったの!?」
・・・・・・。
「えっ!? そうだよ! わからなかったの!?」
何で?
見たら何となく分からないかね?
「無理に決まってるでしょ!? 初見で見破れる人なんて、たぶん皆無よ、皆無! 髪長くてサラサラだし、睫毛も長いし、顔すごく可愛いし! しかも全体的に白くて、なんかこう、女性的に見えるの!」
「!?」
改めて自分の容姿について言及されることで、嫌なことが心に浮かんでしまう。
誰もが、僕と関わりを避ける。
確かに、害されはしなかった。が、愛されもしなかった。周囲からの言葉のない拒絶は、僕を家の中へと押さえつけ、いつもひとりぼっち。
外部との接触といえば、本当にたまに、村長が話しにきたぐらいか。でも、それもただの「監視」だろう。
僕は「忌子」。
そう呼ばれるのは、すべてこの容姿のせいだ。
目を覚ましてから、無意識下でなんとか保ってきた心の均衡が、崩れる。
「すべて・・・、それのせいだ!」
気づけば、僕は泣きながら、そう叫んでいた。急に雰囲気が変わったからか、「え、なに、どうしたの?」と女の人はタジタジになる。
「僕が、僕がそんなだから、みんな僕が嫌いなんだ! みんなで僕を『忌子』って呼んで、蔑むんだ! 僕が『忌子』だから、みんな僕にいなくなれって思って、姉さんも僕が母さんを殺したって思うんだ! 全部、この体が悪いんだ」
鬱積していた感情の老廃物を、排出する。
そうだよ。悪いのはこの容貌であって、僕自身じゃない!
だから。
「ねぇ、髪の毛も睫毛も抜いちゃえばいいのかなぁ? 顔もギタギタにしちゃえば、みんな受け入れてくれるかなぁ?」
誰に問うでもなく、ただ虚空に対して呟く。
そのまま、衝動的に足元の岩場に顔をこすりつけようとした。
こんな体なんか、壊してしまえ。
顔が地面に着く、その直前に。
「やめて!」
彼女は、僕を抱き止めた。
「自分を傷つけないで!」
「うるさい! もう心はボロボロなんだ! 体もボロボロな位が、ちょうどいいんだ! それで受け入れてもらえるかもしれないなら、それでいいんだ!」
心情を吐露して、彼女の体を振り払おうとするが、それに必死に抵抗しながら、彼女も叫んだ。
「そんなことで、受け入れてもらえるわけ、ないでしょぉがっ!!」
「え・・・?」
強い否定に、刹那、体の力が抜ける。その間に、彼女は僕の肩を持ち上げ、結果真正面で向き合う形になった。
「私は、あなたの村のことも、あなた自身のことも、正直詳しくは分からない。けど、あなたは彼らにとってはもう『忌子』なんでしょ! 確かにその容姿が最初の原因かもしれないけど、今更変えたって、もうその認識はきっと変えられない! 髪の毛抜いて、睫毛絶やして、顔をズタボロにしてまでそうなら、次はなにをするの? 頭皮焼くの? 顔面剥ぐの? そんなことしても変わらないわ、むしろ一層気持ち悪がられるだけ!」
彼女は僕の目を見つめたまま、すくっと立ち上がる。
「あなたの出した答えは、取り巻く相手や環境のことなんか考えもしてない、ただの自己満足、自己否定! ・・・そう、あなたって自己完結してるだけなの! 初めから『忌子』なんてディスアドバンテージ背負ってる人が、閉じこもっててひとりぼっちにならないはずないでしょ!」
彼女は再度身を屈め、僕に向かって微笑みかけた。
「変えるべきは、容姿じゃなくて、あなた自身。変わって、・・・あなたの傷ついて閉じこもってしまった心に、別の人を入れてあげて。そうね、まずは私を入れてちょうだい」
彼女は優しく、続ける。
「そして、自分のことと、私のことも考えられるようになってくれれば、あなたはきっと変われるわ」
「・・・あなたは」
涙声で聞く。
「あなたは、僕のこと、『忌子』じゃなくて、『僕』として、受け入れてくれるんですか・・・?」
そんな僕に、女の人が呆れ顔で答えるは。
「また、独りよがり? まぁまだ小さいもんね・・・」
「な、なんだと!」
少しイラっとするも。
彼女がまたさっきみたいに、頭に手を置いて左右に揺らすと、不思議と心が落ち着いてきて。
「でもあなたといると、楽しい。さっき、楽しかったもの。これだけは確かよ、私の『友達』」
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