1-0-3 トモダチが欲しいだけのマモノ③
その魔物の存在感は、お嬢様の話で聞いていた以上に、圧倒的だった。
私は騎士だ。
しかもただの騎士ではなく、スタンダード公爵の身辺、およびその領土の治安を守る騎士団のトップの座を拝命している。有象無象には絶対に負けない強さを持つ自負はあるし、そこらの魔物ならまとめて襲い掛かられても勝つ自信もある。
そんな私が、恐怖に震えて筋肉が硬直するなんてことはあってはならないし、ましてや恐怖に屈するなんてことは絶対にありえない。
にもかかわらず、このおぞましく、さらに今まで見たことも聞いたこともないような、強烈な魔力を放つ魔物の前では、手足がすくんで全く動かず。
「え、なんだ、お前・・・」
と、口を動かすので精一杯で、それだけで気力がごっそり持って行かれた。
「これはまずいですね、逃げましょうか」
後ろから魔法使いの声が聞こえてくる。
その声に、あまり怯えは見られない。振り返ってみると、彼以外の他の者は私と同じ、いやそれ以上の恐慌状態に陥っていて、中には失神寸前の顔をしているのもいる。
正常な思考が持てるのはヤツだけみたいだな。
気丈だ。素晴らしい精神力だ。
ああ、比べて、なんて無様なんだ、私は!
あいつが殿下の仇だと言うにっ!!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
この討伐軍が派遣される経緯について、少し話をしよう。
今我々がいる地域一帯は、伝統的に農牧業が栄えてきた場所。
公爵閣下の豊かな領地にある中でも、かなり辺境にある。よって御年四十になられたばかりだが御身体の弱い閣下にとって、ここら一帯に足を運んで視察を行うのは体力的に難しい。
中央より提供されている予算の額は適切か。
税収入が公正に行われているか。
治安が悪化していないか。
住民の生活水準は下がっていないか。
領民から選挙で選ばれた代官および政治組合構成員の勤務態度は誠実か。
不正や賄賂は横行していないか。
各自統計資料は作られているか・・・・・・。
視察という仕事は実に激務なのだ。
よって毎年やるということはなく、五年に一度行われる。
そして此度の視察は、体の弱い公爵閣下本人ではなく、次期公爵に目される長男のアーディ殿下が代任されることになった。だがしかし、殿下は学業で忙しい身。
ゆえに、先に実際の業務を行う家臣団が出発したのち、殿下は二ヶ月ある長期休暇が始まった時に出発する、という並びになった。
ここからが問題だ。休暇初日出発なはずだったのが、殿下は五日間、ご友人と小旅行なりをするなどして遊んでしまったらしいのだ。
殿下はまだまだ遊びたい盛りの年齢、仕方のないことではある。
正規の道を使えば、殿下が普段いらっしゃる学問の街、アカデメイアからここまで十五日程度かかる。視察は殿下到着の翌日から始まる運びだった。家臣団は、これを基に日程を組んでいた。視察は激務、スケジュールはかつかつ。
その変更は望ましくない。
ちなみに私たちの近衛騎士団は、この家臣団の護衛としてここにきている。
もちろん殿下はこんなことは百も承知であっただろう。
だが、彼には勝算がおありだった。
森を突っ切るルート。
本来の森を迂回する方のルートと比べて、なんと行程を一週間ほど短縮できる道なのだ。しかし森には凶暴な動物、そして他の森林地帯よりは少ないらしいが、魔物も生息している。
危険な工程だ。
そのようなところを通過なさるなど、断じて認めるわけにはいかない。多少の遅延などいいから、安全な道を選ぶべきだ。もちろん、遅刻のことは後で閣下やお母上にお叱りを賜るだろうが。
それが嫌だったのだろうか、殿下はバレないように、護衛を一人も連れず、御者だけ連れて出発なさった。ところが、あと数刻で到着というところで。
死か、それ以上に恐ろしい何かが具現化したような絶望そのものが現れ。
刃物よりも鋭い感覚。
潰れた大量のうじ虫よりも気持ち悪い感触。
そういったものが自分の全てを併呑するような錯覚に陥る、筆舌に尽くしがたい魔物を見た。
以上のことを、命からがら街へとお逃げになった、キャラメラお嬢様がおっしゃっていたようだ。魔物の下りを話しきったお嬢様は、見るもお労しいほどの強烈な錯乱状態に陥っていらっしゃったとのこと。
お嬢様が御随伴なさっていたのは、辺境というものがどんなものなのか、ご覧になりたかったからだそうだ。
一縷の望みをかけて殿下の捜索に森へと5人ほどの騎士が入っていったが、あったのは一切手をつけられていない馬車と、もはや造形も止めていない二つの亡骸のみ。片方が殿下とわかったのは、かつてぎこちなさと美しさがよく調和した、少年らしい剣技を披露した剣が、腰近くに垂れ下がっていたから。
・・・殿下を見つけたのは、私だった。
静かで、黒々とした火が私を灼く。
許せない。
その魔物の「存在」が。
殿下のためにも、これからを生きる民のためにも。だから私は、今自分が集められる最高戦力を率いて、そいつを葬りにきた。
必ず消す。そう誓った。
それが、このザマか。私の心持ちなど安いものだ。
相対するだけで心が消滅しそうになる、それほどの格の差。
絶対に負けて死ぬ。
分かる。こいつは、死のしるべだ。
これ以上考えるのも、無駄だな。
心の中では、すでに生きるのを諦めていた。
「光の精霊よ。咲け。『照明』」
っ、眩しい!?
光が、視界とともに、諦めかけの腐った思考を真っ白にする。
「意識を取り戻して。あれは正面からでは勝てません。皆さん、逃げますよ」
「どうやって」
不可能だ、あれからは逃げられない。
「イマ、フシギナチカラガミエタネ。ソレワドウヤッタノ? ボクニオシエ・・・」
「光の精霊よ。地と空を偽りて、我らが望むところへ。『転移』」
瞬間、地面に魔法陣が浮かび上がり。・・・足先から見えなくなっていく。
刹那、魔物の体が何か勘付いたようにピクリと動き。
「チョット、ナンデニゲルノ、オシエテヨ、ボクトイッショニキテヨォ!」
魔物がこちらを掴もうと、肢体を恐ろしい速度で振るってきた。
「やめろ!」
その一振りで、二人の部下が肩から捌かれる。叫ぶこともできず、彼らだった4ピースが、鮮血を噴き上げて地面に崩れ落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気づいた時には、私たちの周りの風景が変わっていた。
「ここは?」
周囲にある、黄土色をした大小の家。
隙間なく、縦横が黄金比の石が敷き詰められた円形の広場。中心の噴水。
見慣れた場所のはずだが、困惑で頭が回らない。思考はまだ、真っ白のまま。
唖然としたまま膝をつく。
「街に戻ってきました。いや、死ぬところでした」
魔法使いが乾いた笑いを上げて言う。
どうしてそんなに落ち着いているんだ?
何事もなかったように。
おかしいだろ?
乾いていただけな彼の笑顔が、唐突に不敵さを帯びる。
「あれは危険な存在です。犠牲が数人に抑えられたのは奇跡というべきでしょう。ですが、ご安心を」
笑みを落とし、誠実そうな顔をして魔法使いは言った。
「さっきも言った通り、正面からは勝てませんが、このロッケ、策があります。必ずや殿下の仇を討ってみせましょう」
あれを前にして、どうしてそんな啖呵が切れる?
この男は何か気持ち悪い。
人間としての正常な反応をまるでしていない。
いや、前から思っていたことだが、ひょっとして出来ないのか? だが現状は、この理解不能な魔法使いロッケに期待するしかないのだ。
それが、あれと相対して心の底から理解してしまった、事実だ。
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