#13 団欒に吹き込む嵐

 モリアはとうに学校から帰って来ていて、何をしているのやら自室にこもっている。


 サミエルは両親の帰宅時間に合わせて、夕飯の支度に取り掛かる。


 鍋に湯を沸かし、そこに、とある調味料を放り込む。


 スーザの村でユリンの元に行った時、「開発途中のサンプル品だ。使って感想を聞かせてくれ」と渡されたものだ。


 流石ユリン。それが完成すれば、料理の手間と時間がぐっと短縮される。


 味に関しては、ユリンの事だから心配はしていない。


 まず、海老えびは有頭で殻付きのまま背腸せわたを引き抜いておく。


 深さのあるフライパンにオリーブオイルを引き、海老を焼き付けて行く。しっかりと両面に焼き色が付いたら引き上げる。


 熱いところを我慢しつつ、海老の頭を取り殻をいたら、頭から味噌をき出し、その頭と殻を先程サンプル品の調味料を入れた鍋に追加する。


 海老のエキスを抽出している間に、次に他の具材の準備。


 玉葱たまねぎと赤パプリカは粗微塵あらみじん切りにし、マッシュルームは半月切り。にんにくは微塵切りに。海老の身も適当にカットしておいて。


 先程海老を焼き付けたフライパンを弱火に掛けてにオリーブオイルを足し、にんにくをじっくり炒める。鍋底に付いている海老の旨味もこそげる様にして。


 そこに海老味噌を入れて炒めて行く。香ばしくふくよかな香りがして来たら白ワインを入れる。しっかり煮詰めて、海老味噌の余分な臭みを取ってやる。


 次に玉葱を追加。透明感が出て来るまで炒めたら、赤パプリカとマッシュルームを入れ、さっと炒め、塩で軽く調味。


 そして米を投入。ややしっかりめに炒める。そこにユリンのサンプル品と海老の頭、殻から出したスープをしながら加える。


 さっと混ぜて全体をならしたら、ふたをする。


 炊き上がるまで、グリンピースの準備。さやから外し、塩を入れた湯で軽く茹でる。青臭さが無くなれば大丈夫だ。ざるに上げておく。


 さて、鍋から軽くチリチリと音がする。そろそろ炊き上がるだろうか。蓋を開けて海老の身とグリンピースを入れて、また蓋をする。数秒したら火を止めて、後は放置である。


 あまり置き過ぎても良く無いが、両親はもう間も置かずに帰って来るだろう。


「良い香りがしますカピ!」


 椅子に掛けて大人しく待っていたマロが、鼻をひくつかせながら嬉しそうに言う。


「旨く出来たと思うぜ。楽しみだな」


「はいカピ!」


 元気である。ちなみにサミエルの体調は未だに戻らない。それでも息する様に料理が出来てしまうのは怖いところだ。


 その時、モリアが自室から降りて来た。


「兄さん、そろそろご飯?」


「おう。父さんと母さんが帰って来たらな」


「この匂いたまらない。先に食べちゃおうよ」


「もう少しぐらい待てって」


 モリアの何とも勝手な言い分に、サミエルは小さく苦笑する。


 しかしあまり待つ事も無く、両親は帰って来た。


「ただいま。良い匂いだな〜」


「ただいま〜。本当に良い香り〜」


 うちの家族の食い気凄いな。呆れるやら感心するやら。それを言うと「サミエルのご飯なんだから、仕方が無いわよ」と母親に笑顔で返された。


 両親とモリアはテーブルに着いて、期待を込めた笑顔で料理が出されるのを待っている。


「用意するから、誰か手伝ってくれ」


 サミエルがキッチンに向かうと、モリアが「はーい」と立ち上がった。


 鍋の蓋を開けて、米粒を潰してしまわない様に、切っては返して混ぜて行く。


 海老味噌ピラフの完成である。


 そして、ユリンが寄越した調味料とは、煮詰めに煮詰めて乾燥させて、顆粒かりゅう状にしたブイヨンなのだった。


 湯に溶かせばブイヨンスープが出来るという優れものなのである。


 ブイヨンを煮出すのは手間も時間も掛かる。それがこんな手軽に出来てしまうのだ。これは凄い。流石ユリンだ。


 モリアに出して貰った皿に盛って行く。大皿では無く、ひとり分ずつ。マロの分以外はスプーンを添えて運んで貰う。


「あれ、兄さん、それ残ってるのは?」


 鍋に残されているひとり分を、モリアが眼敏めざとく見つける。


「これはカロリーナの分。言ったろ?」


 隙を見て、家族にはカロリーナの事を説明しておいた。夕飯を食べに来るのだから、言っておかなくては。それでも驚かれるとは思うが。何せ悪魔だ。


「ああ。……でも悪魔って、本当に大丈夫なの?」


 モリアの眼が怯えた様に揺れる。


「大丈夫。んな悪い奴じゃ無いからさ。態度が大きいぐらいで」


「兄さんがそう言うなら、信じるけどさ」


 モリアはそれでもいぶかしげな表情を崩さずに、最後の皿を運んで行った。


 全員がテーブルに着いて、さて手を合わせようかと言う時。


「待たせたわね!」


 家のドアが派手に開かれた。堂々と立っていたのはカロリーナである。


 両親とモリアはやや怯えた様に肩を震わせ、マロはにらみ付ける様にして敵意を表す。サミエルだけが平常だった。が。


「はいようこそ。そしてカロリーナ、人の家に来た時には、まずノックをしろ。急にドア開けんじゃ無いよ」


 サミエルの注意に、カロリーナは不機嫌そうに眉をしかめる。


「来てあげた早々何よ。そんなの面倒だわ」


「前にも言っただろ。俺の飯を食いたいなら、こっちのルールをある程度守って貰うって。人の家を訪ねた時にはノックして、中からの返事があってから開けるんだ」


「前、店の裏口を開けた時はそんな事言わなかったじゃ無い」


「店と家じゃ違うさ。守ってくれよ」


「本当に人間のルールは面倒だわ」


 カロリーナは言い、唇を尖らせた。しかしカロリーナを睨むマロと眼が合うと、大きく溜め息を吐いた。


「解ったわ。そこのカピバラといさかいになったらもっと面倒だし。ノックすれば良いのね?」


「そうだ。頼むな。父さん母さんモリア、こいつがカロリーナ。悪魔だけど、そんな怖がる事も無いからさ」


 サミエルが言うと、両親たちは不安げな表情で顔を見合わせる。


「僕たちはお前が言うなら信じるしか無いが、やっぱり悪魔さんと関わる事が少ないからかな、少し怖いなって思ってしまうよ」


 怖い。その言葉が出たからか、カロリーナがニヤリと笑う。しかし。


「だ、大丈夫ですカピ!」


 マロが勢い良く言う。


「皆さんの事はボクが守りますカピ。ボクは祓魔師エクソシストですカピ。そこの悪魔には絶対に負けないのですカピ!」


 すると、両親たちが「まぁっ」と声を上げた。


「マロくん祓魔師だったの?」


「それは凄いね!」


「マロくん格好良い〜!」


 母親が、父親が、モリアが次々に言い、モリアはマロを抱き締めた。


「お前ら現金だなぁ」


 サミエルが楽しそうにははっと笑う。カロリーナは苦々しい表情。


「……そうよ。そんな訳で、私の力はそこのカピバラには敵わないの。だから人間ども、安心しなさい。私はお前たちには何もしないから。しても無駄だしね。それにサミエルの料理が食べられなくなっても嫌だもの。さぁサミエル、今日はこの私に何を食べさせてくれるのかしら?」


「はいよ、用意するから座ってな。大人しくしてるんだぞ」


「解ってるわよ」


 カロリーナはふくれっ面をしながら、空いている椅子に掛けた。サミエルの正面で、母親の隣だった。


 母親は少しびくっとするが、それでも笑顔を浮かべて言った。


「カロリーナさんね? よろしくね、サミエルの母です」


「ち、父です。よろしく」


 父親が少し身を乗り出す様にし、カロリーナに顔を見せた。


「私は妹のモリア。よろしく、カロリーナさん」


 モリアも笑顔を浮かべる。


「ふんっ、人間なんかによろしくされる覚えは無いんだから!」


 カロリーナが不貞腐ふてくされた様にぷいっと顔を反らすと、マロがうなった。


「……悪魔」


 それは、マロがカロリーナにだけに聞かせる低い声。両親たちはやや驚いてマロに注視し、カロリーナは「うっ」とうめいて渋々と口を開いた。


「わ、解ったわよ。よ、よろしく」


 そう言うカロリーナの頬は、少し染められている様な気がした。


「そうそう。そうやって素直にな。ここしばらく一緒に飯食ってて少し解った気がするぜ。やっぱりお前さんは悪い悪魔じゃ無いよな」


 サミエルが言いながら海老味噌ピラフをカロリーナの前に置いてやると、カロリーナは顔を真っ赤にして怒り出した。だがそれは怒りと言うより、照れ隠しに見えた。


「ちっ、違うわよ! 私は悪魔なんだから怖いのよっ! 何よぅ、怖がりなさいよぅ」


 最後には勢いが落ちて行き、カロリーナは悔しそうに唇を噛んだ。


「ほらさ、大丈夫だから、座って食おうぜ。他では怖がられるんだろ? 俺らレアケースだからさ」


 サミエルがなだめる様にカロリーナの肩を軽く叩いてやると、それでもカロリーナは膨れっ面で座った。


 しかし眼の前の皿から漂う香り気付くと、鼻をひくつかせてころりと機嫌を直した。


「……美味しそうね」


 その変わり身にサミエルは笑いをこらえ、両親たちは安心した様に笑みを浮かべる。マロは憮然ぶぜんとした表情ながら、何も言わなかった。


「じゃ、いただこうか!」


 サミエルがマロの隣、カロリーナの正面に掛けると、父親が口を開く。


「いただきます」


 その合図で、皆も「いただきます」と手を合わせる。カロリーナも不承不承ながらもそれに倣った。


 スプーンですくい、口に運ぶ。


 海老味噌を良く炒めてある事と、白ワインで煮詰めた事で臭みはしっかりと消えて、コクだけが残っている。ふっくらと火を通された野菜はどれも甘く、海老もぷりぷりだ。


 米もしっとりと炊き上がっていて、その甘みが全てをまとめていた。


 ユリン作のブイヨンも素晴らしい仕事をしてくれている。流石だ。量産を頼めないだろうか。


 両親たちも絶賛の声。


「美味し〜い!」


「コクが凄いなぁ!」


「野菜も甘くて海老がぷりっぷりで〜」


 マロもカロリーナも夢中になって食べている。


 今日も大成功である。自信はあったが、サミエルは安堵した。


「ところで兄さん」


「ん?」


「体調は大丈夫なの? 明日営業出来そう?」


 モリアの問いに、サミエルは首を傾げた。


「んー……いまいち。営業は明日の朝次第だな。少し調子崩してるくらいなら、家の飯は作れるけど、営業は厳しいかな」


「そっか。まぁ営業となると体力がなぁ。一応皆には出来ないかもって言っとくよ」


「そうだな、悪い。そうなると暫くここに厄介やっかいになるけど」


 サミエルが言うと、母親が「ちょっと」と微かに怒りを含んだ声を上げた。


「厄介って何よ。ここはあなたの家なんだからね。ずーっといてくれて、美味しいご飯作ってくれて良いのよ」


「目的は飯か!」


 サミエルが突っ込むと、父親がはっはっはっと楽しそうに笑う。


「飯は大事だぞサミエル。それはともかく、帰って来てくれて勿論僕たちは構わないしなぁ」


 すると、それまで海老味噌ピラフを頬張っていたカロリーナが口を開いた。


「何? サミエル、体調が戻らなかったら、ずっとこの家にいるのかしら?」


「そうなるな。営業が難しいからな。けど無職って訳にはいかんから、何か考えないと」


「ふーん?」


 するとカロリーナは、もうサミエル本人には興味無しと言った様子で、また海老味噌ピラフを掬う。


 親子4人がぎゃあぎゃあと、言い合いと言う名のじゃれ合いをしている最中、マロはカロリーナに眼を光らせていた。

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