1ー3 ハローわたし!




 お父さまに部屋に連れてこられて早3分。

 なにやらお外が騒がしいわ。

 言い争う声と、女の人の怒鳴り声が聞こえる。

 きっとお父さまの言っていたお客さまが来たんでしょう。




 さて、私が部屋でおとなしくしていると思うたか。

 否である。

 今日の私はいい子じゃなくて、お節介な悪い子アルティなのだ。

 やりたいことやっていいって言ってたもんねー。

 好きにしちゃうんだもんねー。






 だって、うん。

 お父さまはあんなこと言ってたけど、いつまでもあんな状態じゃよくない。

 心の中に暗いものをため込んでると、どんどん苦しくなってくんだ。




 前世で手も足もどんどん動かなくなって、親も、友達も、お話する相手すらいなくて。

 まっしろな世界に独りぼっちで、重たいものに押しつぶされそうなあの感覚は、とっても辛かった。

 私は看護士さんたちが何年も何年も話しかけてくれて、嫌な顔もせずにそばにいてくれたから、抜け出せた。助けてもらった。

 せっかく仲良くなったのに、それから一年も経たずに死んじゃったのはすっごく申し訳ないけど。




 けど、お父さまには?

 誰か、気心の知れた人はいるのかしら?


 本心で話せる人がいないかもって考えたら、胸がきゅってなる。











 何はともあれ、腹ごしらえだ。

 糖分とっときゃ頭が回るって、看護師のお姉さんも言ってたし!

 難しいことはその後考えよう。



 さっきからあったかい湯気と、それに乗って鼻をくすぐる甘いにおいをさせているまあるい形のりんごのパイを見やる。

 背の低いナイトテーブルに載ってるもんだから、香りが真下からダイレクトに入り込んでくるうえに、その出来栄えもよく見える。




 ふぉお、ごろっとしたりんごに上の透明のきらきらが合わさって宝石みたい!

 切り口からはカスタードがりんごの重さにたゆんと、けれど負けずに垂れることなく形を維持している。

 ほんのり色づいたクリームには黒いつぶつぶがはいってるけど、気持ち悪いなんてことはなくてむしろそれがとってもおいしそうに見える。

 パイのところは、これ食べ物なのってくらいしっかりしてるくせに、内側のところはしっとりと、外側のところはぱりっぱりになってる。

 これ、口に入れたらどうなっちゃうんだろう。


 あらかじめ十二等分に切ってくれてるみたいだから、そのうちの一つを別皿に取り分けて、ちっちゃなお椅子にオンザアルティ。


 いいいいざ実食!




 慎重に、恐る恐るパイを口に入るサイズにする。

 私の口は小さいから、なるべく全部がいっぺんに入るように、細心の注意を払ってだ。

 こんなきれいなものを壊すなんて、すっごいいけないことをしてる気分になるけど、せっかく作ってくれたんだ。食べなきゃ。




 おおおお! ぱりざくっていった、ぱりざくっていったよいまぁ!


 表面にあたったところから熱でめくれ上がったパイがぱりぱりっと、中に差し入れると少しの抵抗の後にざくっと切れる。




 ゴクリ、って喉が鳴った。

 人の体ってホントにこんな音が出るんだ。


 フォークで刺して持ち上げると、想像以上のずっしりとした重みが手に乗っかる。

 みっちりつまってやがるぜ。




 って、カスタードがこぼれちゃう!




 パイとりんごの間からこぼれそうになったカスタードを、お口で迎えるように放り込む。








 うわあ。うわあ!

 なんだろう!

 頭の上をとろけるような甘い香りが駆け抜けていく。

 一口噛めばりんごの甘酸っぱさがじゅわって広がって、それをカスタードの優しい甘さがはっきりさせる。

 3度目の咀嚼で口の中のおおきな塊がなくなったと思ったら、こんどはパイがこんにちは。

 顔いっぱいが噛むたびにざっくざっくと震える。

 あまいとおいしいと、たのしいで頭の中が溶けちゃいそうだ。








 おいしいなぁ。


 おいしいよう。


 おいしいわね。


 うん、おいしいねぇ。






 こんなに、こんなにしあわせでいいんだろうか。

 わたしこのあとしんだりしない?

 もういっかいしんでるけどさ。






 あれ、おかしいな。

 ゆかにみずたまもようができてら。

 ふいとかないと。

 あるてぃはできるこなんだから、そうじもちゃんとできるのだ。


 それより、いまはおきゃくさまだ。








 最後の一口をじっくりと味わって、残りはお父さまとお客さま用に残しておく。

 作ったのはお父さまだけど、こんなにおいしいんだ。

 絶対あの人も笑顔になるに違いない。


 ふへへ、幸せの味だぞう。


 これで笑顔になれない人がいたら私がぶっとばしてやるんだから!

 今のところぺちぺちパンチしかできないけどね!


 んー、実験動物モルモットの時のあのぱうわぁはどこに行っちゃったのかしらね。

 まともに動けるようになった時にはこんな調子だから、私の元々の魔核が壊されちゃったからなのかな?

 ついでに言ったら魔術も使えなかったりする。使おうとすると全身の毛を逆なでされたみたいな気持ち悪さがあるのよね。

 まあ、幸せだからいっか。

 戦う力が必要ってわけじゃないし。




 えと。

 お客様のおもてなしっていったらあれよね。

 お紅茶。

 お菓子に合うって話だから、きっとこのりんごのパイも相乗効果でもっとおいしくいただけるに違いない。




 立派なティーセットは台所にあるんだけど、実はここにもあったりする。

 お父さまは寝る前にお紅茶を飲むのだ!

 私もここのところお白湯かミルクでご一緒してるからね。

これを飲むと私もお父さまも寝つきがとってもいいの!

 お紅茶だと眠れなくなっちゃうらしいから飲ませてもらえないけど、いつか一緒に飲みたいなあ。


 そしてここはお父さまの寝室。

 ちょっぴりものぐさなお父さまはナイトテーブルの下に質素なティーセット一式と、お湯が出る魔道具のケトルを忍ばせているのを私は知っている。

 よく取り出すのを見てるからね!






 おお、あったあった。

 透明なガラスでできたティーポットに、魔道具ケトルとトレー。

 いつもは二人分しか入ってない金縁のティーカップは、今日は4つ入ってた。

 さてはたまってたのをいっぺんにもってきたな?

 今日は助かるんだけどさ。


 で、問題はここからだ。

 リンゴのパイを乗せるお皿はソーサーを使うとして、フォークがない。

 私が食べる分のは持ってきてくれてたみたいだけど、それ以上がない。

 パイだけ持って行って食器がないってとんだおまぬけさんだし、お客様に失礼だ。

 何とかしなくては。











 といってもどうにもできないんですけどねー。

 そういう時は糖分だ。

 糖分とっときゃどうとでもなる。

 そう言ってた夜勤の看護師姉さんは目つきがヤバかったけども。


 リンゴのパイは食べるわけにいかないから、匂いだけだ。




 ふう、おちついた。

 ってあれ、ゆかにまたみずたまが。

 ふきんふきん。




 とりあえず、お紅茶だけでも持っていこう。

 丁寧におもてなしするよりも、会うことが目的なんだから。




 まずは魔道具ケトルをオーン。

 白だけの本体に青い花が咲いて、中に仕込まれた水の魔石からちょろちょろと水が生み出されていく。

 このままある程度までたまったら火の魔石を使った術式であっためてくれる。

 設定された温度になると上の方にたくさんのピンクのちっちゃな花が咲いて知らせてくれるとってもおしゃれな一品だ。これがあるだけでお茶の一時が華やかになるんだよねぇ。

 ホントは食卓用だったんだけど、私が見てるたびにきれーきれー言ってたらいつの間にかこっちに来てた。


 と、お湯が沸いたみたい。

 茶葉を入れたポットに注がなきゃ。

 両手でもって、こぼさないように……。

 力加減ができないからどぼどぼ入ってるけど、これ大丈夫かなぁ。




 まいっか!

 文句言ってきたら幼女になに期待してんだって笑ってやろう。

 こちとらはじめてのおもてなしだぞう。

 それでも何か言われたら、しょんぼりようじょしよう!




 ……おとうさまが暴走しそうだからこれはだめだな。




 砂時計を置いて、茶葉おちゃっぱからお茶が出るまでにカップを用意する。

 さりげなくトレーも魔道具なのよね。

 ソーサーの裏に魔術回路があって、乗せるとカップがあったまっていく。

 これで後は運ぶだけだ。


 ……冷蔵庫もあるし、キッチンのものも全部魔道具。

 明かりも水回りも全部魔道具だし、空調も完備。今更ながらに家の中が魔道具だらけってお父さますげえな。高価なものってインストールされた知識が言ってるし、どれだけ稼いでるんだろ。




 なんて考えていたら、時計の砂が半分落ちかかっていた。

 急いで持ってかなきゃ渋くなっちゃう!




 慌ててトレーを持ち上げようとするけど、予想以上に重い!

 そうだよね、ポットだけでも両手で持ってたもんね!

 そこにカップやら何やら乗ったらなおさら持ち上がんない!


 ででで、でも、力入れすぎたらこぼしちゃうし、どうしよう! どうしよう!






 ああ、砂が全部落ちちゃう!

 お父さま呼んで持っていってもらう?!


 ううん、私が持ってくんだ!


 ――そうだ台車ころころ持ってこよう!


 持てなきゃ運べるものがありゃいいんだ、隣の執務室にそれっぽいのがあったはず!

 扉で繋がってるから廊下に出なくても取りに行ける!






 そうして急いで行こうとしたのがまずかったのか、はたまたあせっていたのが悪かったのか。私の短い脚はカーペットの上でするんとすべり――




 べだんっ!




 と大きな音を立てて顔面から床に突っ込んだ。






 痛くはなかった。


 けど、何が起きたのか理解が出来なくて。




 振り返ってテーブルを見ると、私が見上げている前で紅茶の出来上がりを教えてくれる砂の粒は落ちきってしまった。








 なにかがむねからこみあげてきて、くるしい。


 これは、なんだろう。


 おもわずはこうとしたけど、それはくちをとおりすぎてうえへのぼってく。

 なんとなくだしちゃいけないもののようなきがして、くちをぴったりととじる。




 ――きゅううぅぅぅぅぅ。




 はいからおいやられたくうきがはなからぬけていくと、のどからへんなおとがなった。




 そのわけのわからないものはとまらない。つぎからつぎへとたまっていく。


 たまるたびにうえへうえとにげていくけど、はなだけじゃにげみちがたりないみたいで、めからもでていこうとする。




 ――はたり。はたり。




 ふだんむだにでてくる、しあわせじゃなかった。


 いつものそれとちがって、めからあふれていくそれは、とってもかなしくて。


 つらくて。


 このきもちを、なんというんだろう。


 あまりのくるしさにくちをあけてもでていってくれなかった。

 それどころか、どんどんからだにたまっていく。

 ぬぐってもぬぐっても、とまってくれない。




「あ。あ。あああぁぁああああぁぁぁ!!!!」




 なにこれ。


 なに、これ。


 こんなのしらない。


 しらないよう。











「アルティ!」


 どれだけそうしていたのだろう、わたしをよぶこえがきこえた。


 そっちをむいたら、いきをきらしたおとうさまがそこにいた。






 おとうさま。


 おとーさま!


 おとーさま!!


 きてくれた!!!


 つらいときはぜったいそばにいてくれるおとうさまおにいさまだ!!!!






「大丈夫ですくぇば!?」


 入口から飛び出そうとしたお父さまが真横に吹っ飛んだ。




 ……へぁ?




 横に三回転くらいして、頑丈な壁に激突。

 上半身がめり込んで動かなくなった。


 でもって、私の体を誰かが抱きしめたみたい。


 なんだかすっごくほあほあで、さらさらで、いいにおいがするぅ。




 ――じゃなくて、え? 何が起こったの?




 現状が呑み込めない私の目は入口と壁に刺さったお父さまの間を行ったり来たり。


 看護士さんのギャグアニメで見たぞこの光景。

 現実味のない状況のおかげか、胸の中で暴れまわっていたのがなんか引っ込んじゃった。




「大丈夫? やけどしてない? お怪我したところは額だけ?」


 肩をつかまれて、ほあほあから離された。

 でもって、目の前には、とっても綺麗な女の人。

 髪の毛からまつ毛、目までぜんぶ金色だ。

 こんなひといるんだ。




 ……え、だれ?


「え、あの、しょの……」


 視界ではいまだにお父さまがぷらんぷらんとゆれている。

 あなたはだあれって聞きたかったけど、まだ頭が混乱しているのかうまく言葉が出てこない。


「こんなに赤くしてしまって……痛かったね?」


 頭を後ろから支えられて、おでこにぴとって手を当てられた。

 ほそくてまっしろであったかい手。が、急に冷たくなっていく。

 こっちもね、ってちょっと下にずらされればそこにはおめめ。




 うー、きもちいい。






 しばらく目とおでこを交互に冷やされてたら、あたまがぼーっとしてきた。

 なんだかいろいろあった気がしたけど、考えがまとまらない。

 かっくんかっくんしてたら、女の人は困った顔でそっと抱っこしてくれた。


 あやすように体を揺らされて、お顔をほあほあに包まれて、ますます眠気に引きずり込まれる。

 それにこの人のあったかさと、とくん、とくんって心臓の音が、とっても心地いいんだ。




 ねちゃだめ。

 お父さまにお紅茶出すの。


 うなって、もぞもぞして、抵抗する。

 まだやらなきゃいけないことがあるんだ。




 そんな精いっぱいの抵抗も虚しく、無慈悲に背中をとんとんされた。

 とんとんだけでも陥落しそうになっているところに、やさしい曲調の鼻歌なんてものも追加される。




 それだめぇ。


 ゆらさないでぇ。


 おうたもうたっちゃやぁ。






「何も心配しなくていいの、目を閉じて。わた……わたくしがここにいますわ」


「ん、ぉかぁしゃ」


「――!? ええ、ええ! お母さまですよ。あれだけ泣いて疲れちゃったでしょう? もう大丈夫だから、寝ちゃいましょうね」




 なにかとんでもないこと言ったような気もするけど、もーどーでもいーやー。

ゆらゆらと、とんとんされて、いまはすっごくねむたいの。




「おや、しゅみなしゃ――」


「ええ、おやすみなさい」




 もう、ねちゃってもいいよね。

 おふくにぎゅーってしがみついて、私はゆっくりほあほあに沈み込んでいった。






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