1ー2 ハローわたし!




「アルティ、昨日はすみませんでした!」


 いつの間にかベッドで目覚めた私を待っていたのはそんな言葉だった。

 時計を見れば、さっきよりも一時間早い。


 なんでお父さま謝ってるの?


 昨日?


 んー、なんかあったっけ?

 ベッドの端に腰掛けて働かない頭を動かしながら、昨日のことを思い浮かべていく。




 朝ごはんを食べてえ。


 新聞に目を通してえ。


 お稽古を……そうだ、お稽古!




 縋りつくように見つめてくる目の前の男を無視して、ぷんっとそっぽを向く。

 おてては腰だ。絶対に許しませんよという鋼の意思を前面に押し出していく。


 私のための稽古だということを忘れて全力で向かってきたこいつを私はけっしてゆるすことはないのだ!


 初めてのおやつ楽しみにしてたのに!

 丸一日気絶していたから食べられなかった!!




「アルティー?」


 顔を合わせたくないのに私の首の方へ回り込んでくる。

 

 うるさいしかいにはいるなっ、けっ!


 あっちいけと顔を押しのけてやったら、なんか幸せそうな顔しはじめやがった。


 むうううううう!!!


 腕を突っ張るのはやめて平手打ちに変更だ!

 とはいっても、今はなんでか外見年齢相応のぺちぺち攻撃しかできないんですけどね!

 ちくしょう、あの馬鹿力はどこ行った!!


「ふへへ、アルティはかわいいですねー」


 そんな私の攻撃でますます顔がゆるむヘンタイ。

 くっそ、黙っていればカッコいいのになんで気が緩むとこうもザンネンなんだ!






 ぷんすこ怒ってる私を存分に堪能したのか、ちょっと待っていてくださいとあのやろうは部屋から出て行った。


 なにをしようとゆるさないんだから!











 身だしなみを整えて、簡単に体を伸ばしていたらなにやらふわっと甘い香りが漂ってきた。

 今まで嗅いだことのない匂いに、つい扉の方を見つめてしまう。


 その向こうから、暴走癖のあるバカの能天気な声が聞こえる。

 無視しようと耳をふさごうとしたが、言葉の中に含まれていたある単語に、思わず固まってしまった。


「アルティの好きなりんごをお菓子にしましたよー? カスタードたっぷりですよー?」




 カ、スタードだと?

 すりりんごだけでも泣きじゃくりながら食べたのに!

 生まれてからずっと映像でしか見たことのないアレが食べれるのか!?

 というかこの世界にあるのか!


「バニラを手に入れるのに苦労したんですがね。それをパイにしてみました。とろとろさくさくでおいしいですよー?」




 ぱい!


 とろとろ! さくさく!




「とってもおいしくできました。お姫さまもそう食べられないおいしいおいしいお菓子です」




 おひめさまもたべられない!








 ――じゃない!

 物になんてつられないもん!


 けど! けど!!


 うー!


 うぅぅううぅぅーーーーー!!!






「アルティ」


 扉を勢いよく開ければ、そこには今にも焼きたてであろうパイを取り分けているあのヤロウの姿があった。

 ご丁寧に風魔術で匂いをこっちに飛ばしてきている。


「アルティ、出てきてくれぐぇ」


 ナイフを手放して両手を広げて歓迎してきたので、ここぞとばかりに質量攻撃を食らわせてやる。


「ものでれでぃーを釣るおとーさまなんてきらいです!」


 頭からの突撃によってくの字に折れ曲がったにも関わらずきちんとホールドしてくる。

 よろしい、ならばぐりぐりだ。

 なんだか鼻の奥がつんとしているけれど、知ったことじゃない。

 レディーの純情を弄び、しかも物で許してもらおうとしたことをしっかりと反省させなければならないのだ!


「本当に申し訳ありませんでした。僕のお姫様はどうしたら許してくれますか?」


 むううぅ! 背中ポンポンするな!!






「……おでかけ」


 ぼそっと口からこぼれた。

 お父さまとのおでかけ。

 お父さまと一緒に、お屋敷の外に出てみたい。




 いつでも行けるだろう。

 わがままを言ったらいけない。

 少しは我慢をしなさい。


 普通のおうちだったらこんなことを言われるだろう。




 冗談じゃない、と言ったら怒られるかな。

 けど私は、どうしても焦ってしまう。






 前世じゃ、動くこともできなかった。


 外なんて夢の中でしかなくて。

 いつもいつも、映像と文字を眺めながら、走るってとっても気持ちいいものだろう、友達ってどんなものなんだろうって想像してた。


 みんなが画面の向こうでおいしいおいしいと言っているものは、匂いをかいだこともなくて。


 やっとだ。

 やっと人並みに生きていけるんだって。

 生きてるって言えるようになったんだって。




 すりリンゴだけじゃない。

 まだベッドから起き上がれなかった時に食べさせてもらっていたおかゆだって、一口食べるたび涙が出たんだ。





 それに、私は造られた物。

 今は子供のようにいられたって、何が起きるかわからない。


 これでも、生後約1年なんだ。

 なのに、身体はもう走り回れるくらいには大きくなってる。


 学のない私でもわかる。

 人間がこんな成長をするわけがない。


 刷り込まれた記憶には稼働年数なんてわかるものはないけど、兵器として造られた以上長い年数なんて生きられないだろう。

 下手をしたら明日にだって動けなくなるかもしれない。




 そんなのいやだ。

 まだ何もできてない。

 やっと本当の家族もできたんだ。

 お金だけ出してあとは知らないなんて義務的な連中なんかじゃない。

 私を抱きしめて、愛してるって言ってくれて、私のことをちゃんと見てくれる。

 そんな大切にしてくれる、大切な人がいるんだ。

 一秒だって無駄にしたくない。


 新しくできた家族と、これからできるだろう友達と、私は全力で生きていくんだ。






「おでかけにつれてってください。ぜったいです」


 お父さまにぎゅうっとしがみつきながら、私にしたらとても大きな、お父さまにしたら小さなお願いを必死に伝える。


「アルティ、我慢しなくてもいいんです。やりたいことは何でも言いなさい、そのためにお父さまはいるのですから」


 何かを察したのか、そう言って優しく撫でてくれるこのヤロ……もういいか。お父さまの手は、とてもあたたかかった。その熱で私の中にあったもやもやも溶かされてくみたいだ。




 仕方ない、許してやるとするか。


「ぜったいですよ? ぜったいぜったいつれてってください」

「はい、絶対です。明日のお昼前でいかがですか?」


 うし、言質取ったぞ。絶対だかんな!

しっかし、ザンネンだけど困ったように笑うお父さまはやっぱりカッコいいなぁ。けど、この顔どこか見覚えあるのよねえ。なんなんだろ。






 ……あれ?

 なんで今日じゃダメなんだろう?

 探求者業も私のために休んでくれてるって言ってたし、ここのところお父様は私に付きっきりだ。

 お料理に必要なものは誰かに頼んでるみたいだし、お外に行く用事はないよね?






「この後、お客さんが来るんですよ」


 なんでだろって首をかしげていたら、お父さまが応えてくれた。


「おきゃくさま?」

「ええ、お客さんです。とっても大事な、ね」


 ほえー。

 大事なお客様かぁ。

 どんな人なんだろう。

 お友達かな。

 それともお仕事仲間?

 もしかしたら恋人かも!


「あってみたい!」


 私のテンションは急上昇だ!

 お父さまの大事な人なら、きっとお父さまと同じくらい優しくて素敵な人なんだろう。そんな人ならコミュニケーション経験の乏しい私でも一杯おしゃべりしてくれるはずだ!

 女の人だったらもっといいなぁ!

 恋バナとかしてみたい! おいしいお菓子も、かわいいお洋服の話もしたい!


「ええと。彼女は気難しいので、アルティに会わせるのは……」


 女の人だ!

 やった!

 ってことはあれよね!

 あれ言う練習もしなくちゃ!








 ……んん?

 今会わせたくないみたいなこと言いました?

 しかも、どことなくぼかして。


「どうして、ですか?」


 なんだか、胸に石が詰まったみたいに重たくなった。

 こんな風にお父さまにダメと言われるのは初めてだわ。

 ダメならダメって、はっきり言ってくれればいいのに。




 私は一杯わがままを言うよ。

 これが自分だ、あなたが大好きだから言えるんだって。

 だから、お父さまもわがままになって。

 遠慮しないで。

 私がいるよ。

 何があってもずっと一緒にいるんだから。


「あの人はね、“人”が苦手なんです。いいえ、大嫌いといってもいいでしょう。身内以外にはとにかく、ええと……キツイんですよ」


 ――私の所為でもありますが、と小さくつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。




 ああ、これだ。

 きっとここに原因があるんだ。

 お父さまがふっと見せる、辛そうな顔の意味が。

 私を拾ってくれて、守ってくれる理由が。




「だから、アルティ」




 あなたを会わせるわけにはいかないんです。

 優しげに笑う、慈しげに私を見つめているお父さまの顔は、とても痛々しくて。




「りんごのパイを食べて、待っていてくださいね」




 寝室へと向かいながら私の背を優しく撫でるその手は、失くしてしまった何かを探して必死にもがいているようだった。





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