全てをしずめる墨の海を揺蕩うのは 04

 夏が過ぎ秋も枯れ、凍える程に寒さが深まったある日の夜。

岩を積んで造った家の中で、倖姫と蘇皇は身を寄せ合って震えていた。二人が初めて迎える山での冬は、想像以上に過酷だった。

「ねえ、お星さまを見に行こうよ」

 眠ることもできずに手足を温めてあっていると、急に蘇皇がそう言いだした。そっと戸口から出ると、冴え冴えと光る満天の星が二人を押しつぶしそうなほどに輝いている。

「――倖姫、蘇皇、おいで」

 声も無く星に魅入っていると、ノウィの柔らかい声がかけられた。双子は岩の上に座すノウィを見つけ、手を繋ぎ歩み寄る。ノウィは片腕ずつで軽々と二人を岩の上へと引き上げる。

「ねむれない?」

「とっても冷たいの」

「寒いんだ……凍えそう」

 紙のように白い双子の顔をノウィの大きな手が撫でる。

「つめたいね」

 ノウィは二人を抱え込むように膝の間に置いた。すっぽりと二人はノウィの体で作られたかまくらに収まる。ノウィの纏う重たい着物の層が冷気を遮断し、二人の熱が逃げることなくそのかまくらを温める。

「あったかい?」

「うん」

「ええ!」

 幾重にも重なる着物の隙間から二人は空を覗く。温かさに包まれて幾分か調子を取り戻した倖姫は、瞬きする事も忘れて広大無辺の星空に心を奪われた。

「きれい……村から見るよりも星が多い」

「それはそうよ。御焚山のほうが空気が綺麗だし、今日は新月だもの」

 月の浮かばない空を幾億の星達が煌々と輝いている。いつもは月明かりに消されてしまう弱い星達も、今夜ばかりは群れ戯れて大きな流れを作り、悠々と空を泳いでいるかのようだ。

 飽きる事無く星達の宴を見つめ続けるうちに、蘇皇の方はことりと頭を傾けて眠ってしまった。倖姫は自分の肩を枕代わりに妹に貸してやる。

「のうぃは、寒くないの?」

「うん。慣れてる。ずっとここにいるんだもん。それに、今夜は倖姫と蘇皇がいるからあったかい」

 ぎゅっと抱き締められて、倖姫はくすくすと笑った。

「のうぃ、まだ信じられないんだ」

「ん――?」

「こうやって蘇皇が生きていて、本当に大神さまがいて――まだそれが信じられないんだ」

「俺なんて、いないとおもってた?」

「思ってた!」

 ふふふっとノウィが笑った。悪戯が成功した子供のような笑い方だった。

「――ねえのうぃ。お願いがあるんだ」

 眠る蘇皇の髪を撫でながら、倖姫が穏やかに口を開く。

「もし、胙を食べる必要があったら。俺を先に食べてくれないか?」

 倖姫は、初めてノウィが驚いているのを見た。

「――なんで」

「村で聞いた」

 本当に偶然だった。蘇皇が山に入って二カ月ほどしたころに、村の長が比与森神社の神主と密談しているのを盗み聞きしてしまったのだ。

「蘇皇を送ったのに一向に墨染の袖の数が減らない。このままじゃ村が滅ぶ。早くもう一人を送って大神さまの血肉とし顕現していただかねば、ってね」

 小さく冷たい手が、ノウィの頬を包む。

「倖姫と蘇皇は、村をすくいたいの?」

 ノウィが不思議そうに首を傾げる。倖姫は困ったように眉を寄せた。

「……どうだろう?わからない」

「俺は二人が好きだよ。二人が嫌なら、食べないよ」

 倖姫は自分が浮かべられる一番まともな笑顔を作って、ノウィに語りかけた。

「――うん。ありがとう」

 なぜだろう。その言葉にノウィは安心したようだった。

 双子が眠りについた後、そっとノウィの横にポルカが降り立った。

「……あかんな。藍ヶ淵の里村は、もうもたんね」

 瞬く星空に同化するように光る羽を散らせながら、ポルカは淡々とした声でそう告げた。

「鳥目なのに、ていさつごくろうさま」

「仕事やからな――なあこの事、二人には言わんでええかな」

「……いわなくていいよ。いったらきっと、たすけようとするもの」

 ノウィは空を見上げ、ほうっと白い息を吐く。白い歯がちらりと覗く。

「蘇皇は、食べさせへんで」

 気づけば、ポルカはそう言っていた。瞳だけを動かして、ノウィがポルカを流し見る。

「――倖姫なら、たべていいの?」

「それも嫌や。蘇皇が悲しむ……だけど、どっちかってなったら、僕は」

「あほうどりに、倖姫は食べさせないよ。そうするくらいなら、俺が骨までのこさず食べる」

 その視線の冷たさに、ポルカはぞっとすると同時に理解する。自分がどうしようもなく蘇皇に惹かれているように、目の前の山を統べる大神も倖姫に執着している。

「――もし戦わなあかんくなったら、お互いの胙の取り合いやね。争奪戦やん」

「そうならないといいけど、どうだろうね。ひとの心は、よくわからないから。けど俺は、倖姫が望むことをしてあげたいなあ――」

 そう、人の心が分からない化け物は言って、また一つ、ほうっと白い息を夜空に吐き出した。

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