血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 07

 藍ヶ淵の北東に位置する御焚山の潤沢な水源から湧き出た水から、南西に流れる大きな川がある。第一級河川、御手洗川。川幅は三十メートル程もあり、大きなコンクリートの橋が架かっている。御焚山の貯水力が高いので、川の流れは常に緩やかだ。

「ゆっくりだぞー」

「持ってるよな?まだ持ってるよな?」

 河川敷でわいわいと騒ぎながら、倖姫と法条達は自転車の練習をしていた。自転車のなんたるかもわかっていないノウィとポルカは河川敷の斜面に腰掛けて、ひやひやした顔で倖姫を見守っている。

「ちゃんと漕げてる?」

「そうそう、そのままなー」

 後ろの荷台を両手で押さえながら、法条が補助輪代わりになって倖姫の運転に指示を出す。倖姫はあっちに行ったりこっちに行ったりと若干ふらふらしながらだったが、一時間ほどでコツを掴みつつあった。

「ほーら真っ直ぐ前だけ見て漕ぐんだぞー」

 言われるままに無心で自転車をこぐ倖姫。「おっ」「おぉぉ」と二人の化け物が小さく歓声を上げた。

「おい馬鹿、声出すな」

「え、何?」

 法条の叱責に反応して思わず振り返ると、倖姫の後ろには誰もいなかった。少し離れたところから、法条がこちらを見ている。ということは……

「俺、ひとりで乗れてる!?」

 驚きと嬉しさの入り混じった声を出して、その勢いで倖姫は派手にこけた。皆が慌てて駆け寄ると、倖姫は地面に転がってけらけらと笑っている。

「すげー。乗れるもんなんだなあ。乗ってる人見る度に、なんであんな曲芸みたいなことできるんだろうって思ってたんだ」

「やっぱ、乗ったことなかったのな」

「……機会を逸しちゃってさ」

 倖姫は土埃を叩いて起き上がる。

「二人も乗ってみる?」

 ノウィとポルカもそんなに倖姫が面白そうなら、と自転車に交互に跨ってみる。二人とも倖姫とサイズ違うので運転しにくそうだったが、同じように補助してもらって練習しはじめると、意外に飲み込みは早い。

「何やこのぐいぐい前に進んでいく感じ……めっちゃこわい」

「……普段飛んでる奴が何言ってるんだよ」

 ポルカが鳥肌を立てて自転車から飛び降りる。ノウィがよいしょっと次に跨る。

「ねーねーちっとも前にすすまないよ」

「ノウィ、バイクじゃないんだから」

 両足をペダルの上に乗せて、ノウィは絶妙のバランスで自転車を漕がないまま静止している。

「二人とも駄目だなー。もっと自転車乗ってくれよ。商売上がったりじゃねえか」

 草むらに腰を落とした法条が苦笑いした。倖姫も果敢に自転車に挑戦する二人をおいてその横に座る。

いつしか日が落ちて辺りは赤く染まりつつあった。

「こんな時間まで突き合わせて悪かったな。休みなのに」

「いいよ。どーせ家の手伝いだからよ」

 首にかけたタオルで滲む汗を拭いながら、法条が二人を見下ろす。

「倖姫ってさ、兄弟こんなにいたんだな」

 不意にかけられた言葉に、倖姫の心臓が跳ねた。

 化け物たちの弁を借りるなら、倖姫が二人の現実への介入を認めた段階で、周囲が巻き込まれる形で二人を曲解するということになる。

「ああ、馬鹿な兄ばっかりだけどね」

「あのちっさい方って兄貴なのかよ!?」

「え?そうそう、一応年齢的には兄かな……うん」

 設定の作り込みなど殆どしていないので、倖姫の回答も自然と覚束ない。だが法条にはあまりその辺りは気にならないようで「へえ」と気のない返事だ。

「……なんか、安心したよ。お前学校で全然じゃん?ヒモロギヒモロギって黴の生えたレッテル張られて、先公にも距離置かれてさ。それを止めもせずに煽るような家族ってどんなヤバイ奴等なんだろーなって正直引いてたんだよ俺」

 法条の口から出た言葉は、藍ヶ淵に縛られる倖姫には新鮮だった。

「法条、お前がそう言ってくれるの、すごく嬉しいよ」

 閉鎖的な場所で声を上げるのは勇気がいる。それは胙としての役割を与えられてなんの抵抗もできなかった倖姫が一番よくわかっていた。

「――俺も、自分の役割を押し付けられるってのが一番嫌いなんだ。生まれた時から全部決まってるなんてクソ喰らえだと思わねえか?」

 首にかかった【法条自転車店】のタオルを見て、倖姫は法条の心情を推し量る。彼も自分を取り囲む何かに、声を上げられないでいるのだろうか。

「今度、俺ん家遊びにこいよ。もっと話そう」

 倖姫はそう言っておずおずと法条の肩を叩いた。今の比与森家なら友人の一人を連れてくるくらい何の問題もないだろう。

 自分の周りが少しずつ変わってくことに倖姫は知らず知らずのうちに喜びを覚えていた。

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