血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 06

「あ、あれやんね?」

 ポルカの声で倖姫は我に返る。古めかしいコンクリートの四角い建物に、エンボス加工された【法条自転車店】という金属製の看板が掲げられている。店先にはママチャリからマウンテンバイクまで、様々な種類の自転車が整然と並べられており、蜂の巣のような棚には倖姫には名前さえもわからない細かなパーツが所狭しと陳列されていた。

「らっしゃーい」

 店の奥から煙草を咥えた法条の父親が顔を出す。店内が狭いので、二人には外で待っていてもらい、倖姫が居並ぶ自転車の間を通って奥に入る。

「こんにちは」

「ああ、倖姫君か。大きくなったな」

 皺の刻まれたいかつい顔に刈り込まれた短い髪。引き締まった体を鼠色のつなぎで包んでいる。強面だが、ニコリと笑うと愛嬌が滲み出るところが不思議だった。

「ますます累に似てきたなあ」

「母さんに?」

 この街で倖姫の母親のことを話す人は滅多にいない。

 もっと知りたいと顔に出ていたのだろう、法条の父親は過去を思い出すように店の天井へと視線を飛ばした。

「そうそう、うちの死んだ家内とは同級生だったんだよ。ほんとにあの世代には辛い事ばかりが起きた。家内も瑛士を産んだ時に産後の肥立ちが悪くてな、累も双子を身籠っていたのに、元気に二人とも産むことができなかった――俺は今でも思うよ。あの頃の藍ヶ淵は、絶対に何かおかしなことが起こってたって」

 つらつらと話す法条の父親の言葉はもう倖姫の耳に入らない。

「双子――?」

 倖姫の反応を見て、法条の父親は言葉を切った。

「もしかして、知らなかったのかい?」

「はい……というか、浅葱病院の先生はそんなこと一言も……」

 いや、思い返せばあの日先生は“君等”といっていた。てっきり母親と自分のことだと解釈していたが、違ったのか――倖姫は胸が早鐘を打つのを感じながら、眉を下げる法条の父親の次の言葉を待った。

「それはすまない事をした。そうか、累は、言ってなかったのか。きっと先生も、あえて伝えなかったんだな。本当に申し訳ない。いらぬことを」

「いえ、それより。僕は本当に双子だったんですか?」

「ああ、そうだ。確か男の子と女の子の双子だって、累は言っていたよ。エコーで見たって」

 自分と一緒に生まれてくるはずだった女の子。写真の母の大きなお腹。

 そう、一人には、少し大きすぎていた。

「――――すおう」

 ぽつりと呟いた倖姫の肩を、機械油で汚れた軍手が叩いた。振り返ると、父親と同じつなぎを着た、法条の笑顔があった。

「倖姫じゃねーか!来いよ、もう完成だ」

「倖姫君、変な話をして悪かったな。瑛士が珍しく真面目に仕事したんだ。見てやってくれ」

「あ、ああ。楽しみだな」

 店のさらに奥に二畳ほどの作業スペースがあり、そこに新品と見紛うばかりの自転車が一台停められていた。

「どうだ、捨てられてたもんだとは思えないだろ?」

「うわぁ……!!」

 自転車は、丸いフォルムのシティサイクルだった。松葉のような深い緑のボディに、タイヤカバーの部分はホワイトシルバーに塗り替えてある。

「触ってもいい?」

「当たり前だろ。これから乗って帰るんだから」

 倖姫は恐る恐るハンドルに手をかけて、ボディに手を触れる。指が塗装の下に隠れた微かな凹凸を伝えてくるが、きっちりとコーティングされているので全く気にならない。普段の法条の人柄と正反対の丁寧な仕事に、新鮮な驚きと称賛を覚えた。

「ありがとう。大事に使うよ」

 倖姫は財布をから貯めていた小遣いをまとめて差し出した。

「いいっつてんだろ。ちょっと直しただけだっての」

 法条が手を振って遠慮するが、倖姫もそれでは気が収まらない。押し問答の末、倖姫の差し出した内の数枚の紙幣を法条は「毎度あり」としぶしぶ受け取った。

「じゃあ、本当にありがとう!」

 倖姫は自転車を押して店から出ると、待っていた二匹の化け物に誇らしげにそれを見せびらかした。

「どう?カッコいいだろ!」

「おぉー」

「似合てますよひいさま。ほら、乗ってみて!」

 喜ぶ倖姫を見るのが嬉しいのか、二人はしきりに自転車を褒めて囃し立てる。倖姫は自転車に跨り青空の下ゆっくりと大きくべダルを漕ぎだし―――

 ガシャァァン!!

「どうした!?」

 大きな物音に法条が店から飛び出てくる。

 そこには自転車に跨った間また横倒れしそうになった倖姫を、自転車ごと大きな体で支えるノウィがいた。

「え……?え、え、もしかして倖姫お前……?」

「……ちょっと勘を取り戻せてないだけだ」

 目を逸らし倖姫が下手な嘘を吐く。彼を取り巻くノウィとポルカは「これむずかしいの?」「いや僕も乗ったことないし」と不安しかない言葉を交わしている。

「しょうがねえなあ、金も貰ったし。お客様が自転車に乗れるまでが仕事ですよっと」

大きく溜息をついて法条は汚れた軍手とゴーグルを外して店先のバケツに放り入れた。

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