血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 05
夏の終わりとはいえ、日が一番高い時間は、まだ半袖でも十分だ。包帯を隠すための黒い長袖シャツを恨めしく思いながら、倖姫は法条の店へと向かっていた。
「自転車ねえ……人は飛べへんから大変やねぇ」
「それで、倖姫はなにをするの?」
「井戸水を運ぶのに、ずっと欲しかったんだよ」
今は頼まれるとタンクを抱えて運んで行っていたのだ。自転車に荷台を着けてもらえば、それがずいぶん楽になるはずだ。
「……まぁた人の為。ホンマにひいさまは……」
瞠目するポルカを余所に「俺ものりたい!」とノウィが興味津々で目を輝かせている。
「どこか行きたいのか?」
「御焚山。ずーっとかえってないから」
ノウィが近くに聳える御焚山の輪郭を視線でなぞる。ノウィに大神の自覚があるのかはわからないが、彼が倖姫以外を気に掛ける事自体が珍しい。
「いいよ、御焚山の二合目くらいまでなら、交代で二人乗りでもいけるんじゃないかな」
「やったぁー!」
無邪気にノウィが喜んでいる。その姿が気になったのかポルカが問うた。
「どのくらい
神籬という言葉に倖姫が反応するとポルカが苦笑した。
「霊域の要にあたる場所のことを言うんよ」
ノウィは大きく首を傾げた。
「んーわかんない」
「はぁ?」
「御焚山のてっぺんでちょっと待ってたけど、いつまでたっても倖姫がこないから、人里におりて、さがしたの」
「それお前、千年以上昔のことやろ……」
ポルカも動揺していたが、倖姫はそれ以上に驚いていた。ノウィの時間の感覚は人のそれとはずいぶん違うらしい。
「ずっとさがしてた。いけるところはぜんぶまわった」
ノウィは平然とそう言った。二本の足しか持たない化け物が、旅をしたと話をする。
「御焚山をおりて、ずぅーっとあるいてって、山のなかも、人がいるところも、海も、ぜんぶまわった。なんかいも春と夏と秋と冬がとおりすぎていった。だけど倖姫はみつからなくて、しょうがないからもどってきたの。そしたら倖姫がいた」
そう言って本当に嬉しそうにノウィが笑う。
倖姫は想像する。怪物が、たった一人の人間を探して旅をする姿を。
冬の森を、春の海を、夏の田畑を、秋の渓谷を裸足で歩き続ける白い大男を。
想像するたびに、倖姫の胸が締め付けられるように痛みだす。化け物は招かれないと家には入れない。御焚山以外に居場所のないノウィは、その間ずっと野宿だったはずだ。雨が降ったときや雪の日はどうしていたのだろう。小さなバス停や、軒先で大きな体を小さく丸めて夜を明かしていたのだろうか。
何年も、何十年も、何百年も。
「なんで……?」
自分がそこまで想われていることが不思議だった。何故、自分が?
「――千三百年前に、御焚山に猩猩緋の髪を持つ双子がいた。倖姫と
「は?」
ポルカの言葉は、唐突で倖姫には理解できない。千年以上前?何を言っているのか。
「魂は死した後に輪廻を巡り、この世にまた還ってくる。ひいさまが今、ここにいるように」
「それって……俺が、前世でも胙で、お前たちに食われて死んだって事か……?」
その言葉に、何故かポルカが酷く辛そうな表情をした。
「……確かに、前世ではそうやったよ」
背筋に氷水を流し込まれたかのように倖姫は身震いした。
理解したくはなかったが、心のどこかで納得していた。
会ったことの無い化け物が自分に纏わりついてくる事への違和感。
やたらと慣れ慣れしいのも、彼らからすれば旧友と会っているくらいの感覚だったのか。
「ははっ……これじゃあ、本当に餌みたいだな」
食われて終わりどころか、生まれ変わってもまた食われるために戻ってくる。なんて都合の良い生餌なのだろう。
「せやけど、今世はそうじゃない。僕もぼんくらも、ひいさまをもう食べようなんて思ってへん」
「嘘つけ!!ノウィは俺を食べたがってるじゃないか!!千年以上探し回ってまで!」
まだ痛む両腕を突きだせば、困ったように眉を下げて小首を傾げた
「倖姫?だって倖姫はずっと墨染の袖を倒したいって」
「ずっとじゃない!!前世と今を一緒くたにすんな!!」
どうして自分がここまで激昂しているのか、倖姫自身にも良くわからなかった。
ノウィは泣きそうな顔で「ごめんなさい……」と小さく謝る。
ずるい、倖姫は歯噛みする。俺には関係ない。
永遠に近い時間自分を探し回って放浪した化け物のことも。今度こそ逃げようなんて告白じみたことをしてくる化け物のことも。
なのに、胸はずっときゅうきゅうと痛む。まるで運命なんてものが、摂理のようにこの世に存在しているんだというように。
きっかけが何であれ、もう倖姫には二人を突き放すことはできなかった。これが愚かしい人の情だと、倖姫ははっきりと理解していた。
「……もういいよ。悪かった。俺もお前達も別に何も悪くない。悪いことなんてしていない。これから間違えなきゃいいだけだ」
「うん……そやね」
二人の化け物が安堵したように頷くのを見て、燻っていた最後の怒りも霧散した。先を促し三人はまた歩き出す。
自分の身体を安易に差し出すのは止めよう、と倖姫は思った。
それで藍ヶ淵を墨染の袖から守れるのかまだわからないが、方法を探すことすらしていなかったのだ。模索する価値はある。お互いに傷付いてばかりの今の戦い方より、余程マシだ。
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