血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 04

 驚いてノウィを見ると、当の本人は胡坐を組んだ倖姫の膝に頭を乗せて、すやすやと眠っている。ポルカと小難しい話に入ったことで興味が無くなってしまったらしい。

「見えるやろ、あのでっかい山」

 ガラスの向こうの御焚山をポルカが親指で差す。

「御焚山?」

「そう、あれは正真正銘の日本有数の霊山。人間共が適当に格付けしたばったもんとちゃう、ほんもんや」

 そして次に熟睡しているノウィを指差す。

「んで、それを一人で司ってるんが、このぼんくら」

「……それって、すごいのか?」

「腹立つけど、別格やね。普通は、山でも森でも湖でも、霊域って呼ばれる所――せやな、ひいさま等で言うパワースポットってやつやね――には僕等みたいなんがいて、それなりに世の理っていうのを守るためのお仕事をしてるわけなんよ。大体それは会社みたいに組織立ってるんやね」

 鞍馬には五十人以上烏天狗がおるんよ、とポルカが補足する。

「ちなみに、富士山にはなんぼ僕等みたいなんがいると思う?」

「え……七十人ぐらい?」

「桁が違うでひいさま。末端の小間使いの使い魔まで入れたら、千人は下らへんな」

 倖姫が絶句していると、ポルカが苦笑いした。

「わかるやろ?高けりゃいいってもんでもないけど、御焚山も富士山に匹敵する有名な霊山や。そんな山を一匹でずっと仕切ってるなんて、狂気の沙汰。大神様様やで」

「……ほんとにちゃんとやれてるのか?藍ヶ淵では人も死んでるんだぞ」

「少なくとも理は維持されている。ぼんくらが破綻したらこの地一帯は一瞬で滅ぶわ……それに、それは正しくは僕等の仕事ちゃうよ」

 ポルカの言葉の意味が分からぬまま、倖姫はポルカに詰め寄った。

「じゃあ、ポルカもノウィと同じって事は、墨染の袖と戦えるんだよな?」

 それならば願ったり叶ったりだ。

「ひいさん近いって。目の毒やって」

「頼むよ、昨日も人が一人死んでたんだ!助けてくれよ。人間には墨染の袖は倒せない!」

「待ってってえな」

 ぐっとポルカに肩を掴まれて倖姫が身じろぎするが、自分よりも小柄なその身体に反して、その手に籠められた力は振りほどけない程強い。

「あんな、ひいさま。ごめんやけど――僕は墨染の袖を倒すためにこっちに出て来たんちゃうねん――」

 黒の中に虹を内包する瞳が、真っ直ぐに倖姫を覗き込んだ。

「うーん、ほんまかわってへんね……そやんな、ひいさんはそんなんやんな」

ぶつぶつとポルカは呟き、それから幾許かの逡巡があった。烏天狗の少年は、いくつかの物事を天秤にかけて、何かを深く考えているようだった。

 それから、まるで言い聞かせるように、祈るように、ポルカは倖姫に告白した。

「あんな。ひいさま、逃げよう。僕が、もう一度、今度こそ命に代えても逃がしたげる」

「え?――違う。俺が頼んでるのは、墨染の袖を……」

 倖姫は困ったようにゆるゆると首を振った。

「――その手、両方ともぼんくらにやったんやろ?」

 倖姫の血の滲んだ包帯塗れの両腕を見て、ポルカが顔を歪める。

「ひいさまが助けてって言ってるんは、私を食べてって言ってるのと同じなんよ?ええの?死ぬほど痛かったやろ?」

 倖姫は無意識に傷口を手で押さえた。二度のノウィの食事を思い出して。

「猩猩緋の髪を持つひいさまが藍ヶ淵に囲われてる。それがどういう意味か化け物の俺にはすぐわかる。ひいさまは胙なんやろ?それはわかってるんやろ」

「確かに俺は藍ヶ淵の胙だけど。急にそんなこと言われてもわからないよ……」

「ひいさまの、命が危ないって言ってるんや!」

 苛立ちを含んだ声に倖姫が肩を震わせる。

「頼むわひいさま。一緒について来るって言って。烏天狗は人攫いはできひんようになってんねん。だから、頼むから…………!!」

 いつのまにか主導権が自分に移っていることに気づくのに、倖姫は少しだけ時間がかかった。

 答えなければ。だが、倖姫がおずおずと口を開く前に、第三者の口から、その答えが返される。

「それは、ご遠慮願いたいな」

 この家の絶対君主の声音に、倖姫の背筋が反射的に伸びた。

 開け放たれた部屋の入口に、着物姿の当主の護が立っている。

「お客人。どなたかは知らぬが、この藍ヶ淵の者ではなかろう」

 ポルカが驚いたように片眉を上げた。護は自分達を家族だと曲解していない。

「人は人なりにこの地に生きる為に尽くしてきた。それは切り札だ。邪魔しないでいただきたい」

 深く護が頭を下げた。人と化け物の間に隔絶した立場の差があるのを理解した上での、有無を言わさぬ態度だった。

 憮然とした表情でポルカが口を開く。

「下賤が。お前たち人のそれを理解できぬ我等もおるんや――これは警告や。古きに倣い過ちを繰り返すんも人の常と理解せえよ」

「心します――しかし僭越ながら、こうして実際に大神は胙を求め顕現なされた。本来なら見る事すら叶わぬ存在を、世に留めておけるのはやはり猩猩緋の仔だけということでしょう?」

「――救い難いわ」

 眠るノウィを一瞥しポルカが言い捨てる。

護は無言で背を向け、離れから去っていった。

「――驚いたな。二人の事、護さんは化け物だってわかってる」

「そういうものがいる、と本気で――それこそ地球が丸いのと同じぐらいの気持ちで信じている奴には、そもそも幻覚は効かないんや。ママンと涼子ちゃんには効いてたんにな」

「二人は――特に涼子は性格も変わってた気がするんだけど」

「変わってへんで。僕等には人の心を変える程の力は無い。あくまでも僕等がいるという事実を都合のいいように曲解してもらうだけ。もし変わったって思うんやったら、それは通常の環境で抑圧されてたもんが表出しただけやね」

 ということは、涼子のあれは素だったということだ。三年前から本質的に彼女は変わっていなかったのだ。だけど、家族に接する時は硬く冷たい仮面を無理に被っている。

「記憶はどうなるんだ?」

「丁度良い塩梅に補正されるな。辻褄合わせぐらいやけどね」

「成程……」

 なんとなくわかってきた。きっと涼子の神事の記憶には、兄弟として二人が同席するようになったのだろう。

 罪の意識を共有する兄弟がいてくれて、しかも二人は自分にこんな振る舞いだ。自然と倖姫へのネガティブな想いも薄まって、本来の自分が現れたに違いない。

「それじゃあ、ノウィとポルカには、感謝しないといけないんだな」

 化け物が家族に紛れて、家庭が正常化するなんて笑い話にもならないが、事実なのだからしょうがない。

 心は決まった。倖姫はポルカに自分の口で言い損ねた答えを伝える。

「――まあ護さんはあんな感じで言ってたけど、俺自体も逃げる気はないよ」

「なんで?」

 じろりとポルカが睨んだ。吊り目が凄むように細められ、ダークスーツと相まって少し柄が悪く見える。

「だって俺が逃げたら、藍ヶ淵の人間を守れる奴が居なくなるって事だろう?」

「ええやん。ひいさまずっと辛い目にあってるんやろ?こんな寂しい離れに押し込まれて、囲われて」

「でも、涼子がいる」

 その言葉に、しまったとポルカの眉間に皺が寄る。

「母親が死んで、俺の家族はこの比与森だけになった。確かにあんまり良い家じゃないけど、涼子だけは違う。俺の事を兄と呼んでくれた。涼子が死んだら俺は悲しい」

 それから、思い出したように倖姫は手を叩く。

「後さ、俺初めて友達ができたんだよ。つんっつんのピカチュウみたいな髪しててさ、喧嘩っ早くて馬鹿なんだけど、良い奴で――」

 嬉しそうに人間の事を語る倖姫を見ていられなくて、ポルカは卓袱台に視線を落とす。そこに映るのは、恋に破れた子供のような顔。

「あっ、そうだ。法条の家に自転車を引き取りにいかないといけないんだった!ポルカ、ノウィ、午後は一緒に出掛けよう」

「…………」

 まだポルカは不貞腐れている。気まずくなってノウィを起こすと、寝ぼけ眼の開口一番で「倖姫、おなかすいた!」と抱きついてきた。

「アホか!!なにしてんねん!」

 ポルカが電光石火の速さでノウィの頭を叩き、部屋の空気が一気に緩まった。それがお互い心地良くて、倖姫もポルカも、先ほどまでの話をそれ以上蒸し返すことは無かった。

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