血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 02

 目を覚ますと。世界が一変していた。

「ん――?」

 温かい。自分を温める熱の存在を感じる。倖姫は微睡の中でその温かさに浸っていた。

ずっとここにいたい。離れがたい。もぞもぞと倖姫が寝返りを打って今何時だろうと薄目を開く。

「へっ……?」

 普段絶対に起き抜けには見ることの無い顔があった。倖姫は何度も瞬きし、きっちりと包帯の巻かれた腕で目を擦る。だが目の前に川をつくる癖一つない黒髪に、細い筆で迷いなく掃かれたような涼やかな目元は、どう考えても涼子のものだ。

「えええええぇぇぇぇぇ!?」

 倖姫の声が盛大に部屋に響く。

「んっ」

 声に反応して涼子がともぞもぞと動き、切れ長の瞳が開かれた。倖姫の心臓が早鐘のように鳴っている。どれだけ今冷え切った関係であっても、神事の役目を与えられるまでは本当の妹のように可愛がっていたのだ。だから、こんな至近距離で辛辣な言葉を突き付けられるのはやめてほしかった。

 涼子の目が半身を起こしていた倖姫を捉え、ゆるりと細まる。

「――あー倖兄、目が覚めたんだ」

 それは、懐かしいというより新鮮で、嬉しさよりも驚きのほうが大きかった。

そう、彼にとって世界はまだこの小さな家にあった。

 だから彼にとってこの出来事は、世界が変わる――いや世界が平和だった頃に戻ったということと、同じだった。



「ご飯おかわりしてもええやろか?」

 黒いスーツに包まれた腕が、涼子にご飯茶碗を差し出した。黒硝子のように艶やかな髪が、朝日の下で艶々ときらめく。

 今朝の比与森家の食卓は、恙無く五人で進められていた。

「って一人多いんだよまた増えてんだよ!!」

「倖兄、朝から五月蝿い!」

 激しく悶絶しつっこむ倖姫を氷点下の視線で突き刺し「はいポー兄」と注いだご飯茶碗を涼子はポルカに差し出す。

 新たに増えた闖入者に、何の躊躇いも無く。

「俺もおかわりー」

 ノウィも負けじとどんぶり茶碗を掲げる。明らかにポルカに対して対抗意識を出している。今もこうして、化け物にとって何の栄養にもならない食事をかっ喰らうくらいには。

「やっぱり男の子が三人も居るとご飯の減りが早いわねー」

 怜子が口元を隠して上品に笑う。倖姫は母娘の変貌振りに目を剥きそうになるが、泣こうが喚こうが明らかにこの場は自分に不利だ。認めないだのおかしいだの言ったところで、記憶を改竄された人間は倖姫の言葉を信じてはくれない。

 子供のように拗ねた顔をして、目の前の鮭の切り身を突っつく。ふんわりと焼き上げられた厚焼き玉子も、オクラのおひたしも、玉葱の味噌汁も絶品で、倖姫が箸を付ける前にノウィとポルカ、そして驚くべき事に涼子さえもそれらを取り合って一段と食卓は賑やかになる。

「ちょっとポー兄お浸しばっかり食べすぎ!」

「いやー流石に卵焼きはなあ……露骨に共食い過ぎて食べにくいわあ」

「じゃあ俺がくう!味噌汁もおかわり!」

 なんと激しい争奪戦だ、食卓は戦場だとは良く言ったもの。怪我人である倖姫の前には別皿で大盛りのおかずが確保されているので目の前の仁義なき戦いには一切参加しなくてよいのが有り難い。

「争奪戦ね……」

 倖姫はぽつりと呟く。

 第二次胙争奪戦。現れた新たな化け物、ポルカは言い切った。

身に覚えのない第一次戦は横に置いておいて、新たに現れた化け物のせいで、俄然ノウィの倖姫を喰う気が上がってしまったのは頭の痛い問題だった。

 幸いな事に二度の捕食による怪我で、倖姫の肥育は進むどころか後退していたが、その内「もういい!食べる!」なんて言い出したならば悲劇でしかないだろう。

 何とかポルカも当面は俺を食べる事を延期してもらわないと――と倖姫は溜め息を付きながら何とか鮭の切り身とご飯一杯を食べ終える。先はまだ長そうだ。

 ちらりと騒々しい食のバトルロイヤルの戦況を伺い見ると、ちょうどポルカの黒いプリズムの瞳と視線が合った。彼の薄い唇が弧を描いて、吐息のような声が一筋、風と共に自分だけの耳に届く。

「しばらくは家族みいんなで仲良うしよや。な、ひいさま」

 抗い難い誘惑だった。だってこれは、倖姫の夢見た『仲の良い幸せな家族』そのものだったから。

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