第三章

血肉を捧げ食ますは外道かされど畜生か 01

 覚えている。

 覚えている。

 約束すると微笑んだあなたの顔を。

 差し伸ばされた小指を絡めた感触を。

 その指が別たれた瞬間を。


 覚えている。

 覚えている。

 全ての約束は反故にされ、全ての想いが踏み躙られた事を。

 こんなにも生き難い世界では、人間も化け物も同じようにのた打ち回るしかないということを。

 それでも、

 それでも、

 それでも、

 もう一度あなたに会うためには、泥を啜ってでもこの世界を生き続けないといけないということを。


 ただ乞い願う。

 声も枯れ果てて、記憶もおぼろげになり、あなたの笑顔が霞んでも。

 それでも、何度でも、縋るように。

 乾いた唇を開き、呟くのだ。

 

 あなたに、会いたいと。



 昏々と眠り続ける倖姫を二匹の化け物が見守っている。お互いの髪や服が心なし乱れているのは、どちらが倖姫を家まで運ぶかで子供の喧嘩のように揉めたからだ。

「おきないね……」

 倖姫の紙のように白い顔を覗き込んで、ノウィは落ち着かない。倖姫がこうなった原因は完全にノウィの捕食にあるのだが、それに彼本人は気づいていなかった。ポルカが溜め息をつく。

「難儀やなあ。自分がどんないきもんなんかもわからんと、人にくっついてるなんて」

「意味わかんない」

「せやろなあ、だからお前はぼんくらなんや」

 言葉には険が在るが、ポルカはノウィの隣に肩を並べてうずくまったまま、それ以上動かない。墨染の袖の大群と戦って、二人の化け物も相応に疲弊していた。

「京でもこっちの話は噂になってんで。千年以上鎮まってたんに、またここにきて藍ヶ淵が波立ってるってな」

「きみたち烏の群のさえずりはよくわからない」

「僕等からしたらぼんくらの方がわからへんのよ。この国の化け物の中でも上から数えた方が早いんにそんな調子やから――今回も兄弟等が誰も来たくない言うから、古い縁で僕が調査に派遣されてんで」

「えん、ねぇ」

「そもそも自分ずっと藍ヶ淵から離れてたやろ?いつ戻ったん?」

「とおかまえ」

「まじで!?よおそんな長い間この場所放っておいて無事やったな」

 呆れたようにポルカは天上を仰ぎみた。動きに合わせて黒い虹を放つ羽が舞い散る。ノウィがしっしっ、と嫌そうに手で羽を払った。

「それにしてもひいさま、ほんまにまた生まれてきてはったんやね」

 ポルカが眠る倖姫の輪郭を、視線でなぞり目を細めた。

「――ちがうよ」

 ポルカの心臓がどくりと跳ねた。

「ぼんくら……?何ゆうとるん?」

「倖姫はかえってきたの。俺が血肉を食べて、魂は輪廻をめぐって。ここにまたもどってきた」

「いや、ちゃうやろ?これはひいさまやん」

「倖姫は、倖姫だよ」

その声には、不安を掻き起すほどの確信があった。

暗闇の中、月の冴え冴えとした光を浴びてノウィの青と緑の瞳が露わになる。

「ね?」

ポルカはぐっと喉を詰まらせた。これ以上、目の前の化け物の琴線を揺らすようなことを言えば、ただでは済まない。

「……だからって好き勝手してええ訳ちゃうねん。墨染の袖を何体倒した?あれは、僕等が手を出していいもんちゃう」

「倖姫が、たおしてっていったんだ」

 ノウィが苛々として大声を上げる。

「むかしとおなじ。倖姫はやさしいままなの。俺は、倖姫のねがいをきくよ」

「それがあかん言ってんねん!そんなんやからあん時も――」

 がらり、と音を立てて襖が開かれた。

「……五月蠅い。何なの?」

 凄味のある不機嫌な声が、低く部屋に響く。着崩れた浴衣姿の涼子が、二匹の化け物を見下ろしていた。

奇妙なことに涼子は、初対面にもかかわらず二人に対して不審の目は向けていない。

「明日も朝練なのよ。さっさと寝て」

 マナーのなってない兄弟を叱咤するような口調でそう言うと、涼子は踵を返して離れから部屋に戻ろうとする。

 ポルカが慌てて手を上げた。

「ちょっと待ってえな妹ちゃん。ひいさまが調子悪いねん」

 ぴたりと足を止め、涼子が切れ長の瞳を険しくして振り返った。

「倖兄が――?」

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