胙(ひもろぎ)はその身を喰らわせ懊悩する 07

 そう、よくよく見れば、奴等は踊っていただけなのかもしれなかった。

 闇よりも尚濃い墨染めの鰭を優雅に風に遊ばせて、僅かな音も立てずに軽やかなステップを踏んで。

夕闇に染まる空を背景に、それはそれは美しく身体をひらめかせる姿は、金魚の群れによく似ていた。

倖姫はそこでやっと、前回のウミウシといい、墨の海と呼ばれる場所から来る彼らの姿が、水棲の生物に類似した姿を成していることに気が付く。

 踊る彼らの顔にはぽっかりと空いた、ビー玉ほどの円らな瞳が、満月のように輝いている。その目も、骨格もゆらゆらと靡く鰭の形も、奴等は全く同じ。円状に並んで舞う彼らの、その均一で統率のある美しさに倖姫は怖気立った。

 奴等の獲物は、円陣の中央に鎮座していた。髪の長い若い女で、まるで懺悔するように地面に両膝を突いて俯いている。

「うっ……」

女は咽喉を掻っ切られ、大量の赤黒い血をぶちまけていた。白いブラウスも地味なベージュのスカートも、だくだくと流れ落ちる血で喪服のように黒く染まり、まるで自分の死を悼んでいるようにも見えた。

 その女の周りで、奴等はくるくると回転しながら踊り狂っている。

歓喜しているのか、それともただ戯れに、かごめかごめ、籠の中の鳥はいついつ出やる、と死んだ鳥を相手に子供遊びを真似ているのか。

「倖姫……どうする?にげる?」

 ノウィは倖姫に尋ねる。彼にとって、この状況でとるべき選択は戦う事では無いらしい。無視してもいいのだ。だけど、倖姫がいるから、ノウィはこうして此処にいる。

「たおす?」

 じっと見つめてくる美しい宝石のようなノウィの瞳に、云いようの無い不吉な獰猛さを見て取って、猩猩緋の髪を持つ少年は息を呑む。

世にも異様な御伽草子の中に迷い込んでしまった人の無力さは、先達の物語の結末を見れば明らかだ。倖姫一人がどうこうして好転させられる事象ではない。

「わかってるよ……認めるよ。俺にはどうにもできないって!!だからノウィ、お前があいつ等を引き裂いてくれ!!」

 声に反応し、墨染の袖達が、ぴたりと舞いを止めて頭部だけを一斉に倖姫へと向けた。

胴体は微動だにせず、倖姫とノウィを首だけを回転させ見比べているうちに、彼等の顎から下が遠心力に負けパックリと裂けた。

 シュロロロロロロロォォォォ――――ッ

そこから蛇が威嚇をする時のような音が吹き出る。

次第に彼等の身体が再び揺れだし、その場で円型に並んだまま鰭を振り乱して踊りだした。彼等の長く優美だった尾鰭が気が触れたように跳ねまわり、中央に鎮座していた女の死体に触れると、死体の腕や髪があっさりと切断され転がった。

彼等の纏う――いや、身体の一部でもある鰭の一枚一枚が、名刀の如き切れ味を持つらしい。あんなものに囲まれたら一溜りもない。

「そう、無力な人間は、異形に力を借りるしかない……!」

 倖姫は掴まれていたシャツの袖口を捲って腕を露にし、ノウィへ捧げるように掲げた。正直利き腕は勘弁してほしかったが、数日前に左手はもう使ってしまっている。

日に焼けていない倖姫の白い腕は、まな板の上に乗せられた魚の腹を連想させる。ノウィは窮屈そうに長い背を折って、倖姫の腕の前まで顔を寄せた。

「食べて、いい?」

 その顔は待てをさせられている大型犬そのもので、倖姫は今から食べられるというのに場違いに苦笑してしまった。

「胙――いや、餌に向かってさ、そういうこと聞かないでよ」

 その瞬間、ノウィの茫洋としていた顔に凶暴な笑みが刻まれる。大きく顎が開かれ、三日月のごとく居並んだ臼歯が勢い良く倖姫の腕に迫る。

 ガブリ。

 間抜けな音だ、二度目にして倖姫はそう思う。

じゅるじゅると倖姫の躰を啜る、悍ましい音が響く。

腕が焼け付くように痛い。理性を失いかけ、倖姫は仰け反って暴れようとしたが、ノウィがその身体を大きな手で掴み、万力のように固定して離さない。

「っつ―――!!」

筋繊維の裂ける感覚から来る余りの痛みに、生理的な涙を流しながら意識を取り戻し、倖姫は歯を食いしばってこの儀式に耐えた。

どうだろう?衆目に晒されながら着物で簀巻きにされて斬りつけられるのと、こうして化け物に肉を食まれること、どちらのほうが自分にとって耐え難いのか。

倖姫は考えようとして、すでに出ている明白な答えに気づき、顔を歪めながら笑った。

 これは倖姫が自分で選んだ事だ。唯一、自分で選択できた事だ。

 食い込んだノウィの顎から、赤い血が滴っているのが目に入った。

 ノウィの白い頭から前回と同じく金枝の角が生えてくる。

 まるで、倖姫の命と引き換えにするように、大きく大きく生い茂る。


「あぁぁぁぁ……あかんことなってんでこれ」

 木の葉の隙間からその様子を窺っていた少年が途方に暮れたように肩を丸めている。御焚山の鳥居で一休みしていた時と同じダークスーツ姿、真っ黒な髪とも相まって、離れた木蔭に潜むその姿には誰も気づいていない。

「アホちゃうんかあのぼんくら、あんだけ戦うなー口酸っぱく言ってたのに、千年たったら脳みそも髪みたくまっさらけかいな」

 悪態を吐きながら少年は木の枝を爪先で小刻みに叩く。血の臭いと墨の臭いで酔ったように頭が疼く。

だがそれ以上に、それらの濁った臭いに混じって、微かに懐かしい匂いが漂ってくるのに少年の心がざわついていた。

「んー?」

背伸びをするが良く見えない。白い髪の大男の身体に隠れて、かろうじて人間がもう一人いる事は判断できた。

「よぉ見えへんわ」

 少年はばさりと羽音を立て、ゆっくりと木々の間を縫うように飛び始めた。

暗く陰る木立の中、彼の後を追うように黒い虹が闇の中で煌めく。

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