胙(ひもろぎ)はその身を喰らわせ懊悩する 03
それ以来、儀式は不規則ながらも途切れることなく続いている。
最初こそ泣き叫んでいたが、四五回も経験すれば倖姫も涼子もお互いがこの役目に慣れざるを得ない。今となっては儀式も淡々としたもので、今夜も滞りなく涼子は着物で簀巻きにされた倖姫を斬りつけて、血に濡れることのない刀を鞘に戻して既に拝殿を後にしていた。
思えば、この儀式が自分と涼子の関係が冷え切ったものにしてしまったのだ。そして、その頃から藍ヶ淵全体でも倖姫への視線が変わった。
皆が自分を胙だと蔑みはじめたのだ。
一体自分は何なのだろう。疑問はあったが知ることが怖かった。十八歳になれば藍ヶ淵を出て奨学金で大学に行くことも、仕事を探すこともできるようになる。
それまではひたすら義務を果たしながら耳を塞ぎ目を閉じ、口を噤んで耐え忍べばいい。
関わりたくなかった。この現代において必死で儀式などという代物に傾倒する比与森にも、それに縋るような藍ヶ淵の人々にも。
だが、ここにきてむくむくと危機感が疼く。ノウィという常識を外れた存在が目の前に現れたことで、小馬鹿にしていた今までの儀式や藍ヶ淵の人々の様子に対して、妙な現実感を抱くようになったのだ。
ノウィ曰く胙が神へ捧げられる血肉であるのなら、この自分から生を剥ぎ取ろうとするような儀式も理解できる。そして儀式の意味を噛み砕いていくことで、涼子の役目である祝りも、ほふり――屠りが訛ったものなのだとやっと気付くことができた。
昔のように気を失うことも無くなり、小さな覗き穴から天井をぼんやりと眺めながら、倖姫は儀式中もつらつらとそんな思考を続ける。
今藍ヶ淵に起こっている事象の、中心に近いところに自分がいる。こうなってくると早く事態を把握しなければいけない。自分を守れるのは、結局自分だけなのだから。
残った護と怜子、そして藍ヶ淵の住人達がぴくりとも動かない倖姫を祭壇に捧げて祈り続けている。倖姫はうんざりとしながら場がお開きになるのを待ち侘びていた。
その時、たまたま護の声が倖姫の耳に入った。
「沈め、鎮まれ、静まれ、沈め。沁み出す藍よ、淵に沈め――沈め、鎮まれ、静まれ、沈め。御焚を噴き上げ、藍を枯らせ――――」
倖姫はその声にはっとした。護は呟き続けている。低く小さな、唸るような声で諳んじられるそれは、自らの力ではどうすることもできないものに対して恩情を乞うような、切実な響きを帯びていた。
深刻な表情で部屋に戻った倖姫を迎えたのは、さっきと同じ座布団の上に座るノウィだった。
「おかえり~」
「ただいま――――って、まだ居たのかよ」
「うん、だって倖姫といっしょにいたいもん」
疲労困憊でもう怒る気もしない。怜子に渡された夜食を卓袱台の上に置いて、ぼそぼそと咀嚼しながら頭の中を整理する。
その姿を見ていたノウィが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「今の倖姫すっごくおいしそう……食べてもいい?」
「駄目だ」
「じゃあなんでこんなにおいしそうになってもどってくるのー」
「はあ?さっきから何言ってんだ?」
「魂がゆらゆらしてとうめいになってる。清浄なにおいがする」
じっと物欲しそうに凝視してくるから堪らない。しっしと手を振っておにぎりと齧る倖姫。
「沈め、鎮まれ、静まれ、沈め――」
頭に浮かぶのは護の台詞だ。
藍よ沈めと、枯れよと。藍――きっとそれはコバルトの事に違いない。
普通の人にはコバルトブルーに見えるあの墨の染みを、彼等もきちんと恐れている。あの神事の意味は、コバルト――藍への畏れに基づいたものだったのだ。
そこまで連想が続いて、倖姫は一つ思い当たることがあった。対象の決まった儀式。それならトリガーはもちろん――倖姫は引き戸を開けて外に出ると、夜の闇の中提灯を下げて納屋に向かう。そこから目当てのものを探し出して抱えると自室へ戻る。
「それなに?」
「新聞だよ」
畳の上に次々と広げていくのは地方紙だ。食卓に毎朝置いてあるが手を出しづらく、倖姫は目にすることは殆どない。見ていれば、もっと早く気付いたかもしれなかった。
「やっぱり……」
倖姫は壁に留めていたカレンダーと二色のラインマーカーを手に取って、夢中で○印を付け出した。それから新聞を広げて、別の色のマーカーでまた○印をつけていく。ノウィが興味深げに手元を覗き込む。
「きれいないろだね。俺の目とおなじ」
青と緑の丸が、カレンダーの同じ日に二つ並んでいる様を見てノウィはそう言った。倖姫は予想した通りの符号の一致に、肌が粟立つ。
「そうか……神事は、コバルト事件で被害者が出た時に行われているんだ」
神事が行われている日は、必ず藍ヶ淵コバルト事件の発生日と重なっている。便乗犯や被害者が出ない日もあるから、コバルト事件が起こった日を示す青いマークの方が多く、その間に行われている神事を表す緑のマークの方が数は少ない。
何年も前から倖姫は神事に参加していたので、あえてその二つが関係していることに気付けなかったのだ。
「待て……ってことは、藍ヶ淵コバルト事件――要は墨染の袖による人への被害は、少なくとも五年前から発生してたってことなのか……」
悪寒が背筋を這い上がる。黄昏時に人の生き血を求めてさまよう異形の者はずっと昔から――この藍ヶ淵に棲息していて、幸運にも偶々自分は遭遇していなかっただけだったおか。
「ふぁぁ」
凍った空気を溶かすように、ノウィが大きくまた欠伸した。化け物の癖に夜はしっかり眠くなるらしい。
「……考えてもしょうがないし、そろそろ寝るか」
ノウィがこくこくと頷いて、大きな体を小さく畳んで三角座りになる。膝の間に頭を埋めてそのまま寝ようとするノウィに「おいおい!」と突っ込むとノウィがきょとんとした顔で見上げてきた。
「化け物はそんな風に寝るのがデフォなのか?」
「んん?」
半分瞼の落ちかかった顔は質問の意味を理解していないようだったので、しょうがなく倖姫は隣の部屋に布団を離して二つ敷き、そこにノウィの手を引いて連れて行った。
「ふかふかで暖かいねぇ」
もぞもぞと布団に潜りこんだノウィはと蕩けるように微笑んで、ものの数秒ですーすーと寝息を立て始めた。
眠るノウィを見ていると自分も急に眠たくなって、倖姫も手早く寝支度を整えると布団に入った。
その夜、倖姫は寝つきが悪かった。何度か目を覚ましては布団の中で落ち着きなく寝返りをうつ。心の奥底には恐怖があった。
障子の向こうに、窓ガラスから覗く木々の陰に、闇から墨を湧かせて這い出すその存在の息遣いが聞こえる気がして、気になって気になってしょうがないのだ。
結局、自分の布団を眠るノウィのすぐ傍にまで引っ張っていくことで、不本意極まりないがその問題は解決した。
寝息をたてる白い髪の化け物は安寧を司るかのような表情を浮かべていて、それを見ているうちに倖姫の意識も深い深い眠りに沈んでいった。
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