胙(ひもろぎ)はその身を喰らわせ懊悩する 02
それは倖姫も同じで、動けぬほどに着せられた着物の重みと、浅い呼吸ですでに意識が朦朧としていた。だがそれでも、兄として涼子を小さな声で励ます。
「涼子、がんばれ。この前は上手くできただろ」
涼子は揺れる瞳でちらりと倖姫を見て、こくりと頷いた。
渡された扇を広げてたどたどしく踊り始める。心の迷いが見て取れる精彩を欠いた動きだったが、護も怜子も固く口元を引き結んでその舞を見守る。
「――かしこみかしこみみざにおわすかみたちにささぐ――」
涼子の舞が終わり、力無く投げられた扇は護摩へと届かずに無様に床へと落ちた。
全てが滑稽で、子供のお遊戯会のようだった。ただそれを見つめる大人たちの真剣さだけが、その場で空滑りする二人の子供たちを支えていた。
「よくやった」
護の声に、ほっと口元を綻ばせた涼子は、次の瞬間に驚愕に身を固めた。
「では、これで、倖姫を斬りなさい」
護が涼子の背丈ほどもある刀を、涼子へ捧げ持っていた。涼子は数秒間呆然と立ち尽くし、それからゆるゆると首を振った。
「い……いや……」
「言うことを聞きなさい涼子。あなたは祝りなのだから」
怜子がぴしりと言い放ち、涼子に無理矢理刀を握らせようとする。だが「やあっ!!」と押し付けられる刀を押し遣り、いやいやと首を振って涼子は泣き出した。
「やだぁぁ――!!おにいちゃぁぁぁんっ………!!やあぁぁ――――」
倖姫は真横で繰り広げられる見るに堪えない惨状を小さな覗き穴から窺いながら、同じく驚愕に身を震わせていた。
俺が、この場で斬られる――?
何の冗談だろう。確かにこの家に貰われてきたときに「お前には役目がある」と護に言われたことは覚えている。それがこんなとんでもない事だとは思ってもいなかった。
「いい加減にしなさいっ!」
涼子が頬を張られ、床に伏した。一層泣き声が大きくなる。
強引に引きずり起こされ、護が涼子の背後から覆い被さるように抜身の刀を握らせた。涼子は暴れるが、頬を張られたショックで先ほどまでよりも抵抗は弱まっている。
「うわぁぁん、あぁぁん!!やだぁぁぁ――!!」
涼子は泣いていた。小さな手で望まざる刃を握らされ、横たわる倖姫の前に背を押されていく。
「ううぅぅぅっ、あがぁぁぁぁ!!」
気付けば倖姫も泣いていた。まるで涼子に呼応するように。理不尽な仕打ちに怒り震えるように。
「ぐぁぁぁぁぁ―――――!!」
倖姫は魂を引き絞るように呻り、哭いた。鎖で繋がれた獣のように、重たく動きを阻む着物の下で、血肉を震わせながら。
涙と涎で、面の中は酷いものだった。さぞ醜いことだろう、その瞬間まで諦めきれずに生を求め、死を拒み、泣き叫び続ける知性無き生き物の姿は。
「やっ……やぁ……」
涼子は父に怯え、母に怯え、優しい兄の変わり果てた姿に怯えた。そして、その心の隙を、護は見逃さなかった。
「さあ涼子。お前が救うのだ。胙と成りきれず生に執着する、哀れな猩猩緋の仔を」
耳元で囁かれた父の声を受け入れ涼子の纏う空気が、すっと冷えた。護の補助を受けて、涼子の腕がなめらかな動きで振り上げられる。
赤い火を受けて、刃がぎらりと粘つくように光る。
「倖兄ちゃん――」
囁くような声と共に、刃が振り下ろされた。そこにはもう、躊躇いは一欠片も無い。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ―――――!!」
断末魔の悲鳴を上げて、倖姫はふっつりと気を失った。
刀は倖姫を何重にも包む着物にずぷりと刺さり、その何枚かを裂いて止まっていた。
倖姫の身体には傷一つない。だが、倖姫の精神は、確かにその時斬り裂かれた。
魂亡き肉体を祭壇に捧げ、比与森の三人は頭を垂れ祈る。周囲を取り囲む藍ヶ淵の住人達も、同じく静かに祈りを捧げていた。
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