化け物は胙(ひもろぎ)に出会い歓喜する 15

 その時の、ナイトに対する申し訳なさと言ったらなかった。

「あっ、ふくふくにゃんこだー!」

 座布団の上でうとうとしていて、部屋の主が帰ってきたかと思ったら見知らぬ大男だったのだ。目を真ん丸に見開いて、毛をたわしのように逆立てたナイトは部屋で一番高い箪笥の上に逃げ込んだ。

しかし長身のノウィの長い手はそこまで届く。ナイトはひょいっと首根っこを掴まれて簡単に持ち上げられてしまった。

「大福みたいだねー」

 一口で食べられてしまうんじゃないかと倖姫は気が気じゃなかったが、ノウィはナイトの毛並みに頬擦りするだけだった。倖姫が冷蔵庫から麦茶を注いであげると、ガラスのコップを物珍しそうにみつめて、そっと手に取る。

「へえ、氷でできてるのかとおもったー」

 ごくごくと麦茶を飲むノウィ。あられを朱塗りの小さな皿に出すと、それもぽりぽりと躊躇いなく食べる。

「何だよ、普通の物食べれんじゃねーか」

「うん。でもいみはないよ」

 麦茶のおかわりまで要求しておきながら、いけしゃあしゃあとノウィはそう言った。

「俺にとってこれは遊んでるのとおなじだから。たのしいだけじゃあ生きていけないでしょ?」

「なんだよ真っ当な人間みたいなこと言いやがって」

「だから化け物なんだってばー」

「わかってるよ。今日の……あの黒いヤツ。あれ見ちゃったからな」

「ウミウサギ?」

「そうだよ。お前を家に迎え入れたのは、話を聞きたかったからだ」

 今まで他人事のように聞いていた藍ヶ淵コバルト事件。皆が興味をもって事件を噂する中で距離を置いていたのは、倖姫にはコバルトが黒にしか見えなかったからだ。

胙として儀式に参加し藍ヶ淵で特別待遇を受けている自分が、人と違う景色を見ているなどという気味の悪い事を、絶対に言えるはずがない。

だから黙していた。自衛の術がそれしかなかったから。

だが目を閉じ耳を塞いでも、事象は倖姫を追いかける、追い詰める。そして今日の決定的な事件が起きた。

逃げられないなら、知るしかない。

「あの黒い化け物――ウミウサギっていうのは、なんだ?」

「墨染の袖だよ。ウミウサギはそのうちのひとつ」

 墨染の袖。確か僧衣、もしくは喪服を差す衣のことだったか。

「ひとつ?沢山いるのか」

「うん。たーくさんいるよ。かたちも、つよさもいろいろなの」

 ウミウサギはよわよわだよね、といってノウィはへらりと笑った。

「ウミウサギは、なんで笹鹿を襲っていたんだ?」

「おなかがすいてたから。血がほしかったんじゃない」

 机を弾いて俺は慄く。

「あいつらもお前と同じ人を食らうものなのか!?」

 ノウィが不服そうに眉を寄せた。

「墨染の袖と、俺たちはねもとからちがうよ。あいつらは墨の海からとっぷりとあらわれ、人をおそって生き血をすする」

「墨の海――?」

「くらくてふかーい、うつしよとはわかたれた世界。ふたつはとってもちかいけど、ふだんはぜったいにかさならない。墨染の袖が、黒き波間からこちらがわに、そのかいなをのばしてくるまでは」

 笹鹿の腹から流れた血が、地面から湧き出る黒い泉と同化していた光景を思い出す。

「三千世界をのみこむ混沌。俺たちはあの墨を、厭ってそうよんでる」

「じゃあ、ウミウサギが死んだときに撒き散らしていたのは……?」

「あれも墨だよ、墨染の袖は墨の海からうまれいずる。だからしんだら、墨にもどる」

「それが普通の人にはコバルトに見えるのは?」

「こばると?」

 すらすらと説明していたノウィが急に言葉を止め、きょとんとした顔をする。

それを見て、ああ自分と同じなのか、と倖姫は共感から来る嬉しさと同時に暗澹たる気持ちになった。自分の視界に映るのは、やはり普通の人間のそれでは無く、ノウィ達化け物側と同じだと理解したからだ。

「あのコバルトがあいつら墨染の袖のせいだとしたら――襲われた奴らはそこで」

「んー、たべられてきえちゃう?」

 ナイトの腹を撫でながら平然と告げるノウィの言葉を聞いて、倖姫は警察の「話せる状態の目撃者」の意味を理解する。

残っていないのか、かろうじて残っている何かがあるのか。墨の海に沈んでいく笹鹿を見ているだけに、想像すると気分が悪くなった。

コバルト事件はここ三か月で激増している。一体その内のどれだけが墨染の袖の手によるもので、かつ人が被害を受けているのだろう。

「なあ、じゃあ人間はどうすればいいんだ?」

「んん?」

「その墨染の袖ってのが出てきて襲ってくるんだろ?それをどうやったら追っ払うことができるんだ?対処方法は?」

 俺の問いに、ノウィは困った顔をする。そこには少しだけ、愚かな人間に対して神が向ける、侮蔑にも似た感情が読み取れた。

「にげるしかないよ。人は、墨染の袖にかてない」

 はっきりと告げられた答えに倖姫は目の前が真っ暗になる。

「じゃあ、人間は墨染の袖に遭遇しませんように、食べられませんようにって祈って震えてることしかできないのかよ!?」

「――むかしからそうだよ。にんげんは、そうやって夜の闇を、化け物をおそれてたからこそ、俺たちをあがめて、胙をささげていきていたんだから」

「何言ってんだ……?」

「倖姫はわかってないね。胙はかみのためによういされる血肉。俺たちの餌」

 胙、と呼ばれ倖姫の身体が硬直する。悪いタイミングは重なるもので、倖姫の背後でがらりと部屋の襖が引き開けられる。

慌てて振り向くと、白い顔をした涼子が制服のままそこに立っていた。

「今夜も神事よ。用意して」

 淡々と要件を告げた後、涼子は切れ長の目をついっと動かして倖姫の背後を見た。

あ、ノウィを見られたと思ったが、涼子は「誰か来てたの?」と不思議な事を言う。

確かめるように振り返ると、卓袱台の向かいに座っていたノウィは影も形も居なくなって、ただグラスが一つ置かれているだけだった。

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