化け物は胙(ひもろぎ)に出会い歓喜する 14

「君、せめて帰り道に浅葱病院には行きなさい。連絡しておくから」

袖口に隠していた怪我を見咎めるように先輩刑事が目を細めた。応戦した時に噛み付かれたものですと嘘をついたこれは、ノウィに喰われた跡だ。

 倖姫は素直に頷くと一礼して警察署を出た。門を超えたところで凝り固まった身体を大きく伸ばす。

「ふぃ~~~~っ、疲れた!」

 倖姫は夕暮れで真っ赤に染まる田端の畦道を辿って近道をする。聴取の緊張が解けていくと共に、思い出したようにじくじくと傷が痛みだす。

浅葱病院は古くからある由緒正しいオンボロ病院だ。

藪ではないが老眼でいつも眼鏡を上げたり下げたりする先生が院長で、ここらの小学生は良く真似をしている。倖姫は病院にかかったことが無かったので、その面白味がまったく理解できなかったのだが、いざ先生を目の前にすると、いかに子供たちが鋭い観察眼で物真似を研鑽していたのかを理解した。思わず吹き出しそうになるのを堪える程に。

「君を診るのは産まれた時ぶりだねえ」

 皺だらけの顔に、雛の産毛のような毛髪を儚く残した大豆のような形の頭。骨と皮ばかりの身体に年季の入った白衣を羽織っていて、今は眼鏡を首に下げている状態だ。

「え?俺ここで産まれたんですか」

「そうだよー、うわあ中々に深い傷だ」

先生は縫合までするかどうか悩んでいたようだが、結局ジェルタイプの大きな傷パッドを使って傷を覆い、包帯を巻いてくれた。

「正直、君等が出て来た時は死産だと思ったよ。ああまたかって」

「は?」

「君の場合はお母さんの胎盤が変形していて、羊水も変色してしまっていてね……症例としても見たことのないものだった。まあ、あの頃は毎回がそんな感じだったけど」

 先生の言葉はいまいち要領を掴んでいない。

「はい、これでおしまいだ」

眼鏡をかけた先生が、書き込み終わったカルテをぱたりと閉じた。診療時間外ということもあり看護師の視線もどこか冷たい。

詳しく話を聞きたかったがとても無駄な会話をできる空気ではなく、後ろ髪をひかれる思いながら倖姫は病院を出た。

倖姫はくたくただった。服はジャージのままだったし、汚れた上着は警察に押収される始末。だが荷物を取りに学校に帰るのも面倒だ。制服は最悪冬服を着ていけばいいから鞄はもう諦めよう。そう自分に言い聞かせると気が楽になった。

昔からそうだ、もう駄目だと思っても、案外拘りを捨てればどうとでもなる。矜持を捨てることを強要され続けてきた倖姫にしてみれば、その考え方の偏重も致し方ないものなのかもしれない。

 だからだろうか。夕日で真っ赤に染まる比与森家の門扉の脇に、大きな塊が蹲っているのを見た時も、倖姫はもう殊更に驚いたり、反応したりしなかった。近づいてみると真っ白な大男は、浅く呼吸しながら静かに眠っている。不思議なことに、数時間前に墨で真っ黒に汚れていた髪も服も、漂白したように元に戻り今は汚れの無い姿に戻っている。

「おい」

 爪先でつつくと、僅かに震えて「んー」と呻りながらノウィがもぞもぞと動く。

「いつまでそんなところに座り込んでるんだよ」

 夕日を背にした倖姫を、寝惚け眼でノウィはゆっくりと見上げた。

「倖姫だー」

「ほら中入れ!伯母さん達帰ってきたら警察呼ばれんぞ!」

「……いいの?」

「いいから!」

 ノウィがのろのろと立ち上がる。倖姫は周りを気にしながら、半ば背中を押すようにしてノウィに門を潜らせた。

「倖姫、馬鹿だね」

 敷居を越えた途端、倖姫は急に大きな手で肩を掴まれてくるりと振り向かされる。至近距離で白い前髪に覆われた内の、いつも眠そうにしている瞳と視線が合う。背を折るように屈ませて、ノウィの顔が倖姫の真近くに迫る。白い髪が倖姫の額に触れた。しゃりしゃりとした質感は、髪というより獣の毛に近かった。

「化け物はね、はいっていいよっていわれるまで人の家にはいれないの。なのに倖姫、俺をいれちゃった」

倖姫の背を冷や汗が一筋流れる。ノウィの背後には重たい木の門。昨日家に入ってこなかったのは、入って来れなかったからだったのか。

ノウィが大きく口を開いた。開かれた口の、均一に並んだ白い歯が嫌に目に付く。恐怖で目を見開いた倖姫の鼻先を、ノウィが軽く食んだ。さっきの痛みを思い出して、目一杯まで倖姫の石榴色の目が見開かれる。

だがノウィの歯はそれ以上食い込む事は無く、そっと離された。

「駄目だよ。俺以外の化け物にそんなことしたら――倖姫は俺の餌なんだから」

 ノウィは倖姫の心に染み込ませるようにゆっくりと告げ、そして何事も無かったかのようにっこりと笑った。

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