化け物は胙(ひもろぎ)に出会い歓喜する 08
次の日の朝、倖姫は重たく霞む頭を幾度と無く振って、なんとか起床した。
「う――――っ……」
神事の後の朝は何時もこれだ。神事自体が夜更けに執り行われるせいもあるが、そもそも胙として、あの心理的に受け入れがたい役目をこなすことが倖姫にとって相当なストレスとなっているらしい。ナイトが心配そうに足首に喉を擦り付けてくる。
朝の支度をしてから母屋に向かう。そのまま出るので、授業に必要なものも一緒に持っていかなければいけない。今日は課外学習用に体育用の上着を適当な手提げに放り込んで用意していた。
「おはようございます」
「おはよう」
台所には叔母の怜子が黒いエプロン姿で立っていた。洗練された佇まいに田舎臭さは全くなく、パーマのかかったショートヘアにピンと伸びた背筋、涼子とよく似た剣先のような眦のせいでどこぞの歌劇団の男役のようだ。
食器の数から察するに、涼子は既に部活の朝練で出ていったようだった。彼女も同じく夜遅くに神事を行ったのだから辛いはずだろうに、と倖姫は心配になる。
「いただきます」
湯気の立つ味噌汁をすすり、白ご飯を漬物で掻き込む。数分で食事を終えると「ご馳走様でした」と食器を流しにもっていき、溜まっていた食器と一緒に洗っておいた。
どこまでをお手伝いで、どこからが気を遣っていると言われる境目なのか。倖姫には良くわからない。倖姫の後ろに立っているだろう怜子からも特に何も言われたことはなかった。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
モダンな柄の手拭いで包まれたお弁当を鞄に詰めると倖姫は玄関に向かう。靴を履いていると背後から怜子の声がかかった。
「ああ、そういえば昨日の壁の件なのだけど、警察には通報していないから。貴方も口外はしないでほしいの」
倖姫は驚いて思わず振り向く。
「えっ、いいんですか?」
壁の染みはすでに倖姫の手によって昨日消されていたが、それで済む問題でもないだろう。
「いいのよ。あの人がそう言ってるから」
あの人――それが当主の護の意思だということを理解して、すぐに倖姫は「そうなんですね」と言葉を鞘に収めた。この家の絶対的な権力を前に、被害がどうだとか、少しでも犯人の手掛かりを、などという些末な意見を挙げる意味もない。
学校につくといつも通りの平穏さで、比与森家がコバルト事件の被害に遭ったことなど誰も知らない顔をしていて生徒達は過ごしていた。
あれだけ派手に壁を汚されて誰も見ていないなどということは無いと思ったが、下手につつくだけ野暮だろう。倖姫はその白々しい空気にしな垂れるように午前を過ごした。
だからこそ、不意打ちのようにぶつけられた台詞に、とっさに反応できなかった。
「比与森の家、出たんだよね?」
午後のフィールドワーク、ペアになっていた
おどおどとしているくせに、噂好きの主婦のような視線を時折覗かせてくる彼の事は元々苦手だった。
だから倖姫はその時も無視というあまり褒められない対応で流そうとしてしまい、その結果、空気の読めない草鹿は聞こえなかったのかとさらに声を上げる。
「ねえ、あれだよ、藍ヶ淵コバルト事件!」
「…………」
今日の課外活動は地域学習、藍ヶ淵に多数点在する道祖神や寺社仏閣、名のある坂や山をいくつかピックアップしてまとめ、その歴史や謂れを発表するというものだった。倖姫たちのペアは近くの小高い丘にひっそりと建つ社を調べることに決めていて、ジャージまで着込んで人一人がやっと通れるほどの林道を登っていた。
無言で目的地に向かって歩く倖姫に追いすがるように笹鹿が声をかけ続ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます