第一章
化け物は胙(ひもろぎ)に出会い歓喜する 01
――君はいつも疲れたように笑っているね。
そうですか?
うん。まるで早朝から通勤列車でピストン輸送されるサラリーマンみたいな顔をしているよ。あ、こんな田舎で通勤ラッシュなんて比喩は伝わらないかな?先生は大学生の頃上京してたから。
そうですね。ちょっと想像できません。
そっか、すまないね――まあ、君はあの
胙でいいですよ。オブラートに包む必要もないでしょう?先生、ここは藍ヶ淵ですよ?東京からほど遠い田舎です。
倖姫君は、大人ですね。その性格は気苦労の多さによるものだと思うからこそ、やっぱり教師としてはちょっと心配で…………ああ、心配だと言えば、藍ヶ淵コバルト事件、あれも心配だよね、いつまで続くんだろう。怖いよね。
(なんだよ結局話を逸らしてるじゃないか)そうですか。ただの不良の悪戯では?
……うーん学校中で噂になってるこれも君は興味無しか。じゃあ学校はどうだい?特に不満はないかな?……友達とか、できたかな?法条君とよく居るみたいだけど。無理を言われていたりしていないかい?その――彼は決して素行が良いとは言えないからね。
良い奴ですよ、法条は。馬鹿だけど。あ、先生、もしかして法条がコバルト事件の犯人だと思ってますか?止めた方が良いです、疑うだけ時間の無駄です。あいつは喧嘩は好きでも、金をかけてまで悪戯するような奴じゃないです。喧嘩はね、タダですから。んで金が有ってもうまい棒をバイクのカゴに積めるだけ買うような馬鹿ですから。
そうかい、君がそこまで言うならそうなんだろうね。悪かったね、友達を疑って。
友達かどうかはまた別の話ですけど――学校については学力的な意味で言っても、校風的な意味で言っても、特に今のところ自分に問題は無いように思います。強いて言えば、学食がないのが惜しまれます。
成る程。わかりました。他の生徒からの要望も聞いて、一応上の先生達に挙げときましょう。
そうですか。ありがとうございます。
後は――特に君について先生からは何か言う事もないので、これぐらいでいいかな?
そうですね。いいと思います。
じゃあ、次の生徒を呼んできてくれるかい?
分かりました。ありがとうございました。
廊下に出て一礼し後戸を閉めると同時に、少年はほっと肩を落として大きく息を吐き出した。神事の次の日に気を張らなければいけない面談などやるものではない。
顔を上げると、曇り硝子に幽霊のようにぼんやりと輪郭を滲ませた自分の顔が映っている。少年は何度かそこに向かって笑いかけようとして、その結果出来上がった引き攣った笑顔にまた嘆息した。早々に表情を作ることを諦めると、少年は教室で待つ次の面談相手を呼びに向かう。教室にはまだ何人か生徒が残っていて、その中で一番派手な髪をした少年に向かって少年は手を振った。
「法条、次行ってくれ」
「はーい。ってか
「だって話すことも無いだろ」
「お前には無くても俺には山盛りなの!このナリ見りゃあ分かんだろ?」
今日発売の週刊誌を広げたまま机に伏せて、法条は立ち上がった。朝どれだけセットに時間をかけているのか想像もできないトゲトゲした髪型に片耳だけのピアスに可能な限り着崩した制服姿。法条瑛士という格調高い名前に反した柄の悪い外見に「確かに」と倖姫はたじろぎもせずに同意する。
「今日ぐらい大人しい恰好にしとけばいいのに」
「それができねーのが不良なんだよ」
「悲しい生き物だね」
「馬鹿な生き物なんだよ」
クラスどころか学年でも札付きのワルで通る法条は今年すでに喧嘩で一度の停学処分にあっている。その間、雷親父に怒鳴り散らされながら実家の自転車屋の手伝いをさせられていたのは有名な話だ。そしてそこへ来たお礼参りの連中を、息子を監督すべき雷親父が殴って叩き出したのは、もっと有名な話だった。だが親子共々本質的には面倒見のいい人情家、というのが専らの周りの評判で、そんな法条だからこそ、クラスで唯一自分と気負いもなく付き合ってくれているのだろう。
「長い面談になりそうだな」
「だよなあ――」
「いっそそれ、持ってけば良いんじゃない?」
「……倖姫、お前天才か?」
喜色満面の笑みで法条は倖姫の華奢な肩を叩くと、週刊誌片手に意気揚々と教室を出て行った。入れ違いに倖姫は蛇のようにするりと教室に滑り込む。順番待ちの何人かの生徒が机に向かって宿題をしていたり、談笑していた。教室に入った瞬間ちらりと皆から視線を向けられたが、それ以上何か反応されることは無い。倖姫は自分の席――教室の中央最後尾の机の上に置かれた学生鞄を手に取った。
「そういえば、藍ヶ淵コバルト事件、ついにそこの商店街でも出たらしいぜ」
待ち疲れた生徒たちの今の話題は、今一番藍ヶ淵でホットな事件に関するものだ。
「あーシャッターがやられたって花屋のおばちゃんが言ってたな」
「夜のうちに結構な店が被害に遭ったって、皆してカンカンだってよ!」
「先週捕まった暴走族は犯人じゃなかったのかねー」
「模倣犯が多いらしいってさー今や本家本元の犯人がどいつかなんてもう関係なくなってきてるらしいよー。先週の暴走族もその不特定多数の犯人の一部でしかないんだって」
会話に入ることなく「お先に」とだけ告げて倖姫は教室を出る。本当は無言で出ていきたかったが、それはそれで角が立つ。曖昧に適当に。過疎地の田舎では人間関係を断絶できるほど人口に余裕はないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます