往復書簡
ヨナヨナ
(これはボツにした小説の冒頭にある古典的導入です。)
貴文
「いわば君の文章には宙に浮いたような調子が、それに君があると言えばガラス細工製のものだ。
筋と呼べるものは無い。読んで馬鹿にされたと思った。馬鹿にされたというか馬鹿みたいだな。」
八弥
「僕はつい「暢気な街は」と書いてしまう。「暢気な人々」と「街」が一緒になって「暢気な街」だ。
街を訪れる人はそこで互い見て見られる。人は何を信じているのかというと街に他ならない。
行人皆暢気。街は暢気也だ。
僕は原因を探さないせいで書いた文章には形容詞の使い方もままならないんだ。
文章を書く時はいつも繊細な心意気を示そうと努力する。
でも自分自身の幼稚なある部分と向き合えばすぐに首を引っ込めてしまう癖がある。」
貴文
「わざとのつもりでもないんだろ。>暢気な
君の理想は心の最も弱い部分をさらけ出すような幼稚な方法論だ。
君が好きなボードレールの詩に詩人とガラス売りの商人が出てくるが君はガラスだな。
そして書く人は詩人でガラスを運ぶ人は商人だ。(それに君は嫉妬で我慢ならないんだろ)
自分が商人におぶさっている姿を想像してみるがいい。
鏡が最も表現する。
これはちょっと大げさな表現かもしれないな。
もうなんでもいいや。
君の長編小説は駄作だよね。
あ、後で僕のことをナルシストって書くつもりかい?」
八弥
「書くか。
僕は原稿に向かって何を書くだろう。
壇上に立って男が「これに向かって喋ればいいんですか」と集音マイクロフォンに指差し、
あんなおどけが必要。それに向き合っていなければ、向かう先はむっつり顔の孤独な老人。
真面目な事柄はあるようでもないようだがないと見せかけてあるのは徒然なもの。
書いてもいい。書かなくてもいい。書いたら見せる相手がいる。書かなければ見せる相手はいない。
誰かの作品を見知らぬ人として見ることで他人の人生を覗き見する。
たくさん見なければ良いも悪いも分からない。
あるのはみんな読んでしまったとは言えるはずも無い。
SCPに立ち向かうエージェント達。
あるものが影響を与えるのを知るのに今得られるものを犠牲にした。
永遠に宙に浮いた時代背景があった。これは動かしがたい。不死鳥だ。
全て直感に従う行動はあとからそのまま説明すれば良いが、
それは本人に限った話で話を聞く方は内容に辻褄合わせをする手間が余計にかかりたまったものじゃない。
中身がない文章というのはつまりこういうことで、次に「手間」とは何でしょう。と尻取り式でくる。
相手の「手間」にも想像が及ぶには、こんな簡単に文章と文章を繋いではいけない気がする。
限られた絵の具とかたちまち消える音色で精一杯手間をかけて表現する人もある。
それにしてもなんて文章はダサいのだ。僕は
書かない。」
往復書簡 ヨナヨナ @yonayona47
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