第3話 クジラの5時

絵にも描けないうつくしさ、というのは何の唄だっただろうか。


もう何年目かの、何度目かの午前5時。起き上がって白いカーテンを開けた時、ふとそんなことが頭をよぎった。窓の外は遥かな水色で、光の輪が白いサンゴや水底の砂の上にいくつも揺れていた。


ノイズがかったような視界は、数度の瞬きでさあっと音を立てて澄み渡る。

睫毛に乗った泡の音だろうか。水色の明け方はまだ少しだけ夜の顔をしていたからか、開けたカーテンの間からすんなりとしろい部屋に落ちた。


仄あおい、そしてうすあかるい、私の好きな水底の色だった。


燦々と降り注ぐ陽射しの方が好きだといつか弟が言った。水上の大学を受験して3年、夏の数日しか戻らない彼の部屋は、今も不思議と暑い水面の匂いがする。


私と弟は何もかも正反対だった。明るいのも静かなのも、手先が器用なのも、そうでないのも。


ふと水色が翳った。

鯨かと窓を開けたが、朝一番の漁船が遥か上を通り過ぎただけだった。


だいたい鯨が通るのは夜更けと決まっている。けれどこうして水色の陽射しが翳るたび、私はカーテンを開けずには居られない。

耳の奥に響く唄を、大きく優美な影を、ナガスクジラを待っている。


いつだったか弟に聞いた話では、水上のひとは再び水底にかえるとき、ナガスクジラに連れて行ってもらうのだそうだ。あの神様のような生き物をバス代わりにするなんて信じられないけれど、私の知らない水上の話はやっぱり少し魅力的だった。


私と弟は何もかも正反対だった。背の高いのも低いのも、すぐに実行するのもただ思考を続けるのも。


砂の上でゆらゆらと踊る光の輪は、見ているうちにも様々に形を変えた。ときおり船影がそこに映って、そのたびに私は飽きもせず子供のように水面を見上げた。


私と弟は何もかも正反対だった。男であるのも女であるのも、生きているのも、そうでないのも。


きっと彼にとっては、こちらが「あちら」なのだろう。いつまでも待ち続ける姉も、白いサンゴも、ナガスクジラも。

昔昔、箱を開けたことで長い月日が経つと分かってしまったなら、私は開けないでおこう。カーテンを引き、水色に揺れる薄明かりの中でゆめうつつに弟を待っていよう。


何度目かの午前5時。ナガスクジラは通らない。


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