第2話 遥か銀河の
空に、骨の鯨を見たことはあるかい?
水が飽和したような雨降り前の夜に泳いでくるんだ。骨格を形成しているのは巻積雲。基本雲形(十種雲形)の一つで、中層雲に分類される。
ラテン語学術名はaltusから派生した接頭語 alto-(高い)とcumulus(積雲)を合成したaltocumulus(アルトキュムラス)で、略号はAc 。
そいつらが鰯の群れみたいに並んで鯨ができる。不気味な緑に照り返す夜空の中を、まるで星々を飲み尽くすみたいに横たわっていくんだ。
大気圏内の話だろうって思った?
たまにここにも出るんだよ。星雲から漏れたただのガス体か何かが固まったやつだと思うけど。
一番若い作業員だったコリン(Colin=Abington: 24.Fev.3467//23.Dec.3492 Entered into rest)なんかは「幽霊鯨だああ」って、見るたび震えていたっけ。
僕は開拓船「ナスカ」のエドワード。ここでデイリーデータを地上に送る仕事をしている。忙しい仲間達の代書人という名義で仕事を任せられている。
他にもシステムのメンテナンスとか、いろいろあるんだけどなぁ。
1日あたりの送信回数は無制限。情報は多ければ多いほど良いって言われたけれど、たかだか500年かそこらじゃあ、精々地上から8.6光年先の一等星[半径0.008R/質量0.98M/スペクトル分類DA2[3]/光度0.0024L/表面温度25,200/色指数 (B-V)-0.03/絶対等級 (MV)11.334]が何の因果か一瞬で塵になった時の状況変移データくらいしか送ることがない。
要は送り先に影響が出るレベルの話題だけが[重要度:高]というわけだ。
その変移データは定期的に送り続けていたんだけど、それもさして気にしなくていい問題だと決定されたみたいで、「引き続き観察せよ」の連絡もいつの間にか来なくなった。それで僕と仲間達はめでたく暇になったんだ。
それで仲間達は、暇にあかせて僕と一緒にとりとめもないデイリーデータ「日記」を付けることにした。
まさに今送っているこれがそう。まとめて書いて送るのは勿論「代書人」の僕。地上に送ったときは流石に職務怠慢を責められるかと思ったけれど、特にお咎めもないまま現在まで続いている。
案外、向こうも楽しんでいるのかもしれないね。
そうそう、メカニック・ラッセル(Russell=Smith: 14.May.3455//24.Dec.3492 Until we meet again)の考えは最高だった。僕たちはステーションじゃなく、海底2万マイルを潜行中の潜水艦に乗っているつもりになったんだ。
骨鯨やアンコウの赤い星、発光プランクトンそっくりの恒星があちこち泳いでいるような世界は、僕達と対極の深海でさえ容易に想像することができた。
「グレゴール一等兵、艦内の酸素濃度を調べてくれ」「イエッサー」なんて言っちゃってさ。楽しかった。とても楽しかったよ。
僕はその様子をずっと書き綴っていった。彼らがいつか帰る場所を失っても、笑ってばかりの毎日を過ごすようになっても、自己分解 (autolysis) →腐敗 (putrefaction)→腐朽 (decay)→分解 (diagenisis)の過程を経て微小構造が分解されても。
それが僕に与えられた仕事だったから。
(3.78秒の沈黙)
ここ最近眠れていないせいで処理が曖昧になってきた。
目を閉じると電源が落ちてしまいそうだ。
ステーション内の全てのシステムが規定の作業年数を越えてしまって、保存のためのコールドスリープ(注:ここでは過去の記録から僕が作業員達の「仲間(Friend)」であると判断・表現し、かつ自律思考する僕と同じ項に分類されるシステム類を累計的に「仲間」と定義し、彼らの「労働(manual labor)」に敬意を表し敢えてこの表現を検索・使用するものとする。しかし、実際の作業員と「僕」の間に物理的、生物学的相違が存在するため、この定義は「僕」の処理権限の範囲内でのみ使用を可とする)を始めようとしている。
特に心残りだとか、そういったものはないはずだ。僕はもともとそういうものだから。
この潜水艦はよくもった。規定年数を大幅に超えてしまっても動いていたのだから。
この先、この艦はどうなるのだろうか。骨鯨が一息に飲み込んでくれたらロマンがあって良いかもしれないって、システムエンジニアのスーザン(Susan=Nariel :3.Feb.3457//25.Dec.3492 Gone, but not forgotten)なら言っただろうな。
もし、この底無しの空から引き上げられることがあっても、僕は目を覚ますか分からない。マイクロチップに構成されたA脳Iが映すのはもはや機械の夢で、特に拘りがなければ本来僕はただのモニターであり、動力であり、システムなのだから。
気まぐれに人の夢を見てしまっただけの、無機質な集合体だから。
それでも、暗い昏い空の底で僕は待っている。たぶん、永遠に。
2万マイルの数億倍、彼方の空より。
メリークリスマス。
ああ、あの日が懐かしい。
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Writer:[Amanuensis]
Document:[Living report/1655]
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[《system》:command=shut down ]
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