第16話:告白
僕は何も覚えていない。
つまり記憶喪失ってやつだ。あの事故以前のことを、実を言うと一つも覚えちゃいないんだ。
両親が死んだと聞かされて、涙なんて流れるはずもない——彼らの顔も名前も、僕が知っているのは病院で役所の人間に教わったことだけだったんだから。
宮本美雪が、僕を幼馴染だって言ってた。
あの時僕は、「覚えてる気もするしいない気もする」とか、曖昧に言葉を濁したが、白状するよ、一切覚えちゃいない。覚えてるわけがない。
あの事故より前のことなんて、僕は一つも覚えてないんだ。
……うん?
ああ、そうか——まあアンタがそう言うのも無理はない。
いや、否定しておくよ。
確かに僕は今、領場蓮の体でベッドに寝ているし、領場蓮の口で喋っているが——僕は領場連じゃない。
分かりにくければ一人称も変えておこうか?
なら今から、自分のことを「私」と呼ぼう。
「私」は領場連じゃない。
二重人格かって?ううん、それとも少し違うんだが……まあ似たようなものか。多分似たようなものだ。
少なくとも、何らかの精神的な障害である事は間違い無いだろうよ。多重人格障害の派生だと思えば良いか。
どう説明すれば良いかな。
つまり、「私」はあくまで領場蓮の中にいるんだ。
領場蓮の
要は、枝分かれした芽の先みたいなもんだよ。領場蓮の中で、領場蓮とは違うことを考える、ちょっとした別人——それがきっと「私」だ。つまり「私」は、領場蓮の精神の冗長部分なんだ。
自分の中にもう一人自分がいる、という風に考えてほしい。
そのもう一人の自分は常に、外から与えられる情報を冷静に分析・吟味して、どれが最善の行動なのかを考え出す。そして、オリジナルの自分——この場合は領場蓮——に囁くんだ。もっとも「僕」の方の蓮は、たまにしか「私」の言うことに耳を傾けなかったけどな。聞こえてなかったのかもしれない。
うん?
ああ、そう。「私」が生まれたのは十年前だよ。記憶喪失と同じだ。
そりゃそうさ、人の精神がここまで異常をきたしてるんだ、あの事故くらいしか原因はないだろ。
そこからずっと、「私」は一人領場蓮の中にいた。
……おい、そんな目で見るな。その孤独な囚人を見るような目をやめろ。
孤独だと?馬鹿か、そんなものがあるか。馬鹿なのかアンタ。そう言えば馬鹿だったな。
「私」は領場蓮じゃないが、ほとんど領場蓮のようなものだ。
だから「僕」が感じた小っ恥ずかしいニセモンの感情やら暖かさやら、一応は共有されてる——そもそも、あたかも完全に分かたれた人格のように説明したが、実際はそんなことも無いのかもしれない。
誰だってあるだろう?
自分が笑いながら喋っていることに対して、心の奥底で冷静にツッコミを入れている自分がいることくらい。
「私」もつまり、そんなのと変わりないんだ。
何のことはない、領場蓮は心の奥底では、冷たいやつなのさ、「私」のように——それはアンタも分かってるだろう。
……「私」が今、表に出ている理由?
なるほど、確かに完全な別人格でもないなら、こんな風に「私」が喋ってるのは変か。
正直なところ、それは分からない。
察するに、魂の端っこがアンタとくっついたせいで、何らかの不条理に捕らわれたのかもな、領場蓮は。
理由はよく分からないが、目覚めたら「私」だったんだ。
多分、夢の巷ほど一瞬の出来事なんだろう。眠気と一緒に、自分の存在がまた引っ込んでいくのを感じるし……そう、だから。
せっかく冷静な「私」が表に出てるんだから——言いたいことをアンタに、正確に伝えておきたくて。
だからこんな風に喋ってるんだ、「私」は。どうせ「僕」はまた、上手く言葉に出来ないだろうし。
聞いてくれ。
つまり、領場蓮がアンタとの縁を捨てなかった、その理由について。
結局「僕」は、その理由を分かってるんだか分かってないんだか微妙な感じだったが……奥底で静観してた「私」には分かる。
何だかうじうじと悩んでいたが、最終的な決め手は、
……ん?何を今更、そんな顔をしてる?
そうだろう?だってあの時、
アンタは命の恩人だったんだ。
全てを失った後、突然現れた幽霊なんかじゃなく……「僕」は完全に忘れてたみたいだが。
黙っていたのは、罪悪感か?片足と片目だけ、力及ばなかったことへの。
木に潰されて見るも無残だった領場蓮の体がみるみる治癒して、死ぬ危険はほぼ無くなったって時だった。アンタいきなり手をかざすのをやめて、それっきり姿を消しちまったもんな。
悪霊の特性とやらで霊媒術を万全に使えなかったから、って事なんだろう?「私」も理解したのはバシリスクの言葉を聞いてからだが……まったく難儀な枷を負わされてたんだな。
言うまでもないが、アンタには感謝してる。それは「僕」も同じだろう。死ぬしかなかった領場蓮を、間違いなく救い出してくれたんだからな。
感謝してもし足りない——だからあんな風に、突然現れた危機に流されるままお別れなんて、冗談じゃなかった。
けど、
確かに、あんな鎖を呑むという、確たる結果予測も立たない危うい橋を渡る決め手にはなっただろうが——決め手はあくまで決め手。
理由じゃないんだ。理由はもっと別にある。
理解してもらいたいんだが——
あの事故のショックで記憶喪失にはなるわ、多重人格の出来損ないみたいなものが生まれるわ、もう滅茶苦茶だ。真っ当な感情とか、色々と精神的なものを、領場蓮は失っている。
一瞬にして家族を失い、おまけに死にかけて、助かったと思えば身体が二箇所ほど欠けていたんだ。「自分」で言うのもなんだが、ぶっ壊れない方がどうかしているだろう。
だが——普段、少なくとも「僕」はそんな風に見えないはずだ。
少なくとも今は、普通に人間らしく、困惑したら喜んだり怯えたりしている。「人間らしく」だ。
それは、アンタのおかげなんだ。
人間らしいアンタが側にいるから、領場蓮は人間らしいんだ。
アンタは確かに、領場蓮から寿命を啜りとっていたんだろう。
命は大切だ。死んだら——例外はあるみたいだが——基本的に終わりだからな。そんなことを「僕」は悩んでいたようだが、「私」に言わせれば愚の骨頂だよ。
本当は分かっていただろうに。
だからバシリスクの安穏な提案を、にべもなく撥ね付けたんだろうに。
確信がある——
寿命がどうだとか、そんな長期的な話じゃないんだ。アンタが側にいなければ、領場蓮は人間として死ぬことになる。
なあ。
なあ、アンタに言ってるんだぞ。
アンタが空っぽの領場蓮を、人間に仕立て上げたんだ。きっと、一番近くにいたアンタがそんなにも人間らしい幽霊だったから——領場連は、アンタがいなきゃダメになったんだ。
たかが六歳の子供が、突然何もかもを失った。
そこに、降って湧いたように、新しい「縁」が与えられた——文字通り「降って湧いた」ようにしか見えなかった、領場蓮には。
縋らずに生きていける人間が、どれだけいるんだろうな、果たして。
領場蓮には無理だった。だからどっぷりその「縁」に縋って、アンタを当たり前の日常として認識して、依存した。
アンタ、「僕」に言ってたよな。「変わった」って。
前はもっと冷たい感じだったって、確かそう言ってたろ。
確かにこの四月、オカルト部に入ってから「僕」は、また随分と人が変わったな。
新しい「人」と深く関わったから、領場蓮も少し変わったんだ。あんな濃い部活に入って、濃い先輩方と関わってたから。
領場蓮という人間は、周囲の存在を許容し反映することしか出来ないんだ。
空っぽの中身に外の光景を投影して、合わせ鏡に「人間らしさ」を演じる——これが壊れていなくて、一体なんだと言うのか。
しかもそんな事実に、
「僕」はあれで、自分らしいつもりでいるのさ——まあやっと、そうじゃないことに少し気付いたらしいが。
なあ。
今はぶっ壊れている領場蓮でも、いずれは本当に人間らしさってものを取り戻せる日が来ると、「私」は思う。
事実一年前まで友達もいなかった「僕」が、最近は随分と交友関係を広げているだろう?多分時間が少しずつ解決してくれる類の問題なんだ、これは。
だから、それまでの間は。
それまでの間はアンタが側にいなきゃ、「領場蓮」はダメなんだ。
いつか友達が増えて、アンタなんていなくても大丈夫ってなるまでは——ダメなんだよ。依存を断ち切れるくらいに、「領場蓮」が立ち直るまでは。
……「私」がもう、眠っちまう前に。
きっと「僕」は、こんなこんがらかった事情を自分の口で整理することは出来ない。「僕」は多分、目が覚めたら、アンタが寿命をどうこうという話は一切しないだろう。
『鎖を呑んで魂が繋がったなら、もう言わなくても色々分かるだろ?』なんて風に、自分の中で完結して、今まで通りに振る舞おうと努めるんだろう。「私」という自分がすでに、いろんなことをぶっちゃけてるから、不安も懐かないと思う。
なんとも都合のいいことだが、多分そうなるさ——自分のことだから分かるんだ。
……「私」がもう、眠っちまう前に。この夢の巷に、恥ずかしげもなくアンタに頼もう。
僕と共に在ってくれ、と。
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