第8話:水面駆く蜥蜴

 小山先輩の並々ならない能力を聞かされて、しかし、考えてみると納得出来ることもあった。


 一週間前にジューダスの二人の襲撃を受けてから、僕は安全の確保のため、オカルト部の部室で寝泊まりしていた。

 だが「部室で寝泊まり」なんて簡単に言っても、よくよく考えれば、そんなにすんなりとまかり通る事では無いはずなのだ。


 まず、基本的に高校というものには下校時刻が設定されている。この時間を過ぎたら生徒は家に帰りなさいという、風営に配慮された基本的なルールだ。

 で、その時間を過ぎると(うちの学校は午後七時)、宿直の教員などの警備担当の人間が各教室を見回る。


 うちの学校なんか、外部の警備会社と契約しているので、見回って来るのはガチガチのプロだ。

 空調や電気などのメーターだってあるはずだし、各階には監視カメラもある。一週間も学校で生活していて、普通に考えればバレない訳がない。


 にも関わらず僕は、警備員の足音すら聞いたことはない。のびのびと、安心して眠らせてもらった。


 今まで不自然に思わなかった僕も僕だが……なるほど、小山先輩がこの学校を掌握しているのなら、説明がつく。

 つーかこんな衝撃的な能力聞かされた後だと、オカルト部の部室なんてそもそも存在しないんじゃないか、って気すらしてくる……部員僕らにしか認識できない部屋、とか。


「異端の、猿どもが……」


 と、僕が呑気な考察をしていると、横合いから掠れた声が響いた。

 ハドソンだ。身体中を貫かれ、血を吐くような状態でありながら、その声には十分過ぎるほどの憎悪と殺意がこもっていた。


 津久茂先輩はそれを聞いて立ち上がり、ハドソンの元へ歩み寄った。


「お前は肉体改造術特化の魔術師だな。常人の範疇は飛び越えているが、攻撃手段は殴る蹴るだけだ。他には何も出来ない。典型的な脳筋だ……おい、小山?」


 呼びかけられた小山先輩は、


「あぁん?」


 と口悪く答えた。


「急所は外してあるだろうな。こいつには訊きたい事がまあまあ有るんだが」


「あー……まあまあかな」


「まあまあ?」


「心臓とか、一発でヤバいところはぶっ壊してねえけど、失血とかそういう繊細な配慮はしてねぇよ。ま、死にそうになったら自分てめぇで治癒術とか使うんだな」


「……まあ良いだろう」


 中々にバイオレンスな会話をしているが、流石に僕もちょっとずつ慣れてきた。

 ……ていうか、津久茂先輩と話す時の小山先輩、完全にキャラが別人じゃないか。


「お前は何故ここに来た?」


 津久茂先輩がハドソンの目の前に立ち、そう問うた。

 尋問だ。僕たちは戦争をしている訳じゃない。本来、敵の情報なんて必要ない。だからこれは、敵を攻め立てるためではなく、自分たちの身を守るための尋問だった。

 

「悪霊を排し、その宿主を殺すためだというのは分かっている。しかし何故このタイミングで、お前は襲撃を実行した?ジューダス本部からの沙汰はまだ下りていないだろう」


「本部だと?……ふん。頭の固い……愚図なジジイどもの命令なんぞ、俺が待つものか。それは貴様にも分かるはずだが?」


「……なるほど。つまり今日のこれは、お前の独断という訳か。もう一人の方はどうした。エルザス、だったか。腕は治してもらったらしいな」


 ハドソンの右腕は、あの夜エルザスによって切断された。しかし今、こいつの右肩にはきちんと腕がぶら下がっている。


 治癒術、という基礎的な霊媒術がある。精魂で魂に干渉し、連動的に体の傷を治すという術。

 応用すれば、失った部位であっても再生させることも可能だという。


 人の魂には個別に「形」があり、それによって得意な霊媒術も変わってくるらしいのだが、津久茂先輩曰く、ハドソンは治癒術に向いていないそうだ。

 自分で切断された腕を治すことは出来ない、治すにはエルザスの手を借りるしか無い。だからこそあの夜、エルザスの脅しが通用したのだと。


「あんな糞餓鬼など、俺の知ったことか。あの弱腰など……!」


「……ああ、そうか。やはりお前、過激派、、、の人間だったのか」


 津久茂先輩は一人、納得したように頷いた。


 ……いや、一人で納得されても、僕には何のことだかさっぱり分からないんだが。

 と、ぶっちゃけスルーしても良かったような疑問だったが、僕がそれを懐いたタイミングを見計らったようにして、津久茂先輩がこちらを振り向いた。


「ある程度組織というものが大きくなると必ず出現するのが『派閥』というものだ。思想や目的は同じでも、その方向性のささやかなズレから、本来一つの集団がいくつもの"かたまり"を抱えるんだ。西洋キリストが宗教改革によって、カトリックとプロテスタントに分裂したようにな」


「派閥……こいつらの組織にも、それが?」


「ああ。"ジューダス"は大きさで言えば、十分な規模を持つ組織だ。そしてこいつらの派閥は、ほぼ二つの思想に分かれている」


 曰く。

 ジューダス内部は、単純明快に"穏健派"と"過激派"に分かれる、らしい。


「怨霊や怪異の類から教えを守る人々を守ろうっていう、比較的"正義の味方"然としているのが穏健派だ。こいつらは別に、それこそキリスト像に中指立ててるところでも目撃しない限りは、一般人を襲ったりはしない。まだ話も通じる連中だよ」


 それを聞いて、僕の頭には一人の男の顔が浮かんだ。


 エルザス——ヤバそうな奴ではあったが、しかし同時に、確かに話が通じそうな相手でもあった。

 思い出してみれば、あいつが積極的に退治しようとしていたのは「悪霊」そのものであるイミナさんだけだ。むしろ凶暴なハドソンから、僕に限っては庇うような態度すら見せていた。


「問題はもう片方——過激派だな。キリストの、主の教えを信じない奴はこの世にいなくて良い。アンチキリストだけじゃない、平穏な無神論者も敵だ、殺してしまえ……と、そんな思想を持つ連中」


 言いながら津久茂先輩は、拘束されてひざまずくハドソンの体をその爪先で軽く小突く。

 

「こいつは過激派の人間だ。その中でも特に狂っている」


「は——貴様のような異端からのその言葉は、俺にとっては褒め言葉だ。貴様らとは違う、、、、、、、、、俺は敬虔な神の使徒だって事だからな」


 冷たい津久茂先輩の眼光を受けて、しかしハドソンは不敵に笑った。


「俺の言葉をどう解釈しようとお前の勝手だが、質問は続けさせてもらう。今ジューダスで何が起きている?」


「どういう意味だ?」


「とぼけるな。穏健派と過激派、お互いの成員が組んで動くなど本来絶対にあり得ないハズだ。余程のこと、、、、、が無い限りな」


 僕にはもはや与り知ることのできない、情報の駆け引きがされている。

 どこにでもある高等学校というこの場所で行われているのは、紛れもなく「尋問」だった。

 

「……ふん。そんなもの、貴様の考えすぎだろう」


「出会ったのが例えば雑魚二人の偵察隊だったなら、それも有り得たろう。だが実際に襲ってきたのはお前のような凶暴な殺し屋だった。それに、その相方は——エルザスなどとふざけた名前を使ってはいるが、あれは蜥蜴とかげ部隊の若大将だろう?」


「……!貴様、一体何者だ?ただの霊媒師風情が、何故そこまでジューダスわれわれの内情に詳しい?」


「俺のことは良い。質問に答えろ」


 ハナから津久茂先輩は、ハドソンと会話をするつもりは無いらしかった。彼は粛々と必用な情報を搾り取ろうとしているだけで、そこに人間らしい感情は向けられていない。


 そんなことは、ハドソンにも分かっていたのだろう、津久茂先輩の虫でも見下ろすかのような視線に対して、彼は「ふん」鼻を鳴らすだけだった。


「……"賢人会議けんじんかいぎ"だよ」


「な——」


 ハドソンがその単語を口にした瞬間、まるで稲妻が走ったかのような感覚があった。

 僕には何のことだか分からなかったが、少なくともそれは、津久茂先輩と小山先輩には十分に意味のある言葉だったらしい。あの二人が、僅かにだが、揃って表情に動揺を滲ませている。


「奴らを監視……さらには情報を収集、本国に持ち帰ることが、我らに課された任務だった」


「馬鹿な——お前らは過去一度も、賢人会議相手に手は出して来なかったハズだ。戦争の火種を作るような真似は!」


「今までならな。だが状況が変わったのさ——賢人会議議長直々から、我々は宣戦布告を受けたのだからな。籠城を決め込むだけの異能集団なら見過ごすことも出来たが、喧嘩を売られて黙っているほど我々の神は寛容じゃない」


「宣戦……布告だと?そんな馬鹿な……!」


「もう一ヶ月も前の話だ」


  僕の理解の範疇の外で、状況は刻一刻と変化しているようだった。


 実際のところ、彼らが話している事は、僕には少したりとも理解出来ていない。

 "賢人会議"……なんていう、いかにも荘厳な感じの名前など聞いたこともないし、その組織とジューダスにどんな関わりがあるのかも分からない。


「あの、小山先輩。さっきから言ってる『賢人会議』って、一体何なんですか?」


「……そうねぇ。なんて言うか、日本には霊媒師を統括する組織があるのよ。聖霊会せいれいかいって言うんだけどぉ」


「聖霊会——」


「要は、誰かが霊媒術を悪用して騒ぎを起こすような事が無いように、みんなで見張り合うって言うことなのかしら」


 霊媒師が悪さをしないように、管理・監督する組織——その必要性は、言われなくてもなんとなく理解出来た。


 霊媒術なんて、悪用しようと思えばいくらでも使い道がある。

 今の僕でも、あらゆる術を使えば、証拠を残さず人を殺すことくらい多分出来るだろう……そりゃあ、みんなでルールを作らなきゃ、日本という国が崩壊する。


「ルールっていうか、暗黙の了解を守り合ってるうなうなものなんだけどねぇ」


「暗黙の了解……」


「法律って訳じゃないからねぇ。もっとも、日本人って昔から悪行に臆病な種族だから、聖霊会のその存在意義も形骸化して久しいんだけど」


 形骸化。

 つまり、ほとんど形だけの組織になっている……のか。


「昔から続く霊媒師の家系の子供は、生まれた瞬間に、この聖霊会の名簿に載ることになる。津久茂や八百萬ちゃんも一応、聖霊会の一員なのよぉ。例外は、私みたいな存在とかぁ……あとは、何かの事故で後天的に霊媒師になっちゃった人」


「……つまり、僕も聖霊会には登録されてないって事ですね」


 正確に言えば、僕は後天的に霊媒師になったのではなく、元から能力はあったものを、封じられていたらしいのだが……イミナさんによって。

 そこは、動機も未だ謎だが。

 

「で。その聖霊会のトップメンバー——数人の有力な霊媒師たちによって動かされている、いわば聖霊会の意思決定機関。それが"賢人会議"なのよぉ」


「じゃあ、その機関が今、ジューダスと争ってる、って事ですか?」


 話の流れからしてそうだろうと思っての質問だったが、小山先輩は首を横に振った。


「さっきも言ったけど、聖霊会っていうのはほとんど形骸化した組織なのよぉ。賢人会議にしても同じ……言っちゃえば、年に一回集まってお茶飲む会。それが自らジューダスに喧嘩を売るなんて、本来なら考えられない」


 ……つまり、ハドソンの言ってた事が真実だとして、賢人会議の目的が分からないって事か?


「でも……こいつのような殺し屋が、こんな極東の島国でうろついている理由なんて、賢人会議くらいしか考えられないのも事実なのよねぇ」


「……じゃあ、こいつが一部嘘をついていて、本当はジューダスの方が賢人会議に喧嘩を売ってる、とか」


「それも無いわぁ。ジューダスからしても、賢人会議——聖霊会は、思想的には敵対しているとはいえ、おいそれと手を出せる存在じゃないのよ。要は、日本の霊媒師全員を敵に回すようなものなんだから」


 じゃあ、いよいよどういう事なんだ?

 今のところ完全に、ハドソンの言っていることはデタラメとしか……いや、つーか。


「……なら、こいつらはどうしてあの公園に居たんだ?」


 その賢人会議を相手に何かコソコソやるのが任務なら、そもそも何故、二人は僕たちを襲ってきた?


 僕は賢人会議なんて知らなかったし……未熟にも霊媒術を使うようになった今ならともかく、あの時点では聖霊会とも一切の関係が無かった。こいつらが僕やイミナさんをマークし、襲ってくる道理は無かったはずだ。


「ただの偶然——」


 と、そう答えたのは津久茂先輩だった。


「そんなところだろう?」


「……概ね、正解だ。日本こっちに着いて、さて任務に動こうかという時に、我らの視界に強力な悪霊が入り込んだ。それに取り憑かれた餓鬼もな。目に入ったからには祓うのが当然だろう」


「だが俺に撃退された。穏健派もう一人のストップもあったな。しかし、お前は本国の判断を待たず独断専行をし、挙句にこうして捕まっているわけだが」


 つまり、ほんの一週間で襲撃があったのは、津久茂先輩の読みが外れたわけではなく——ハドソンが単純に命令違反をしていただけ、という事か。

 だったら当初の予測通りの二週間、今からだったらあと一週間は、僕の身は安全……なのか?


「……ぐ、は」


 その時——唐突にハドソンが咳き込み、同時にその口から血を吐き出した。

 見れば既にその顔から色が消えつつあった。全身を貫かれ、そのまま何の処置もされていないのだから、当然と言えば当然だが。


 ……こいつは敵だ。

 僕は殺されかけたし、今日には無関係の宮本を巻き込みんだ。死んだって文句など無い男だ。


 しかし僕は、目の前で人間が死のうとしている事実に対して、そこまで論理的に達観できるほど、まだ精魂の世界というものに慣れてはいなかった。


「こいつも限界だな。おい、どうする。このまま死ぬか?お前が頼むんなら、動けない程度には治療してやっても良いぞ」


 と、平坦な声のままに津久茂先輩はハドソンに告げた。


 だが、もはや生死の垣根を彷徨っているはずのハドソンは、その言葉に返事を返す事はなく——笑った、、、

 不敵に、それでいて嘲るように、声を立てて笑ってみせた。


「……何がおかしい?」


「く、は、は……俺が、貴様らのような異端の猿に、何故ペラペラと知りたいことを教えてやったと思う?」


 じり、と津久茂先輩はその姿勢を静かに、しかし確実に臨戦的なものに変化させた。


「変な気を起こすなよ。お前は何も出来ない」


「確かに俺は何も出来ん。貴様の言った通り、肉体改造しか能が無い。それだけでここまでやってきた」


 だがな、とハドソンは続ける。


「能が無くとも俺とて魔術師よ——戦いではとても使えないが、火種、、を作ることくらいは出来るんだぜ」


 僕にはこいつが何を言ってるのか、何を言いたいのか理解出来なかった。

 しかしそこは流石の勘の良さ、津久茂先輩はその言葉を聞くや、はっとしたように目を見開いた。


 おもむろにハドソンの前に屈み込んだ先輩は、厚手のコートの前面を強引に引き千切った。ハドソンの体が外気に晒され——、


「——!」


 その様相を見た僕たちは、等しく息を呑んだ。


 露わになった屈強な胸筋の上に、合成樹脂の塊のような物体がいくつも、ベルトのようなもので固定されていた。

 合計六つ——そして、それぞれの物体から短くコードのようなものが伸びている。それらはある一箇所に纏まり、ちょうどハドソンの正面に先端がぶら下がっている。


 爆弾——それもこれは明らかに——自爆用、、、に作られていた。


 同時に、僕もハドソンの言った「火種」の意味を理解した。

 爆弾から伸びたコード——つまり導火線、、、の先端に、マッチでつけたほどの小さな炎が灯っていた。


 導火線の長さは恐らく数センチも無い。炎の昇っていく速さから見ても、あと数秒で爆発する。

 体を無数の"槍"で貫かれながら、津久茂先輩の質問に答えながら、こいつは着々と、僕らを道連れに自爆する準備を整えていたのだ。


「っ、小山——!」


 津久茂先輩が短く叫んだ。

 それを聞くや、小山先輩はその左手を僕の方に向ける。すると瞬く間に、動けずにいる僕の目の前の床が隆起し始めた。

 この学校そのもの、、、、、、、、が変質した防護壁——小山先輩の能力で、また僕は守られようとしているのだと、ギリギリで理解する。


 が、それはこの空間を巨大な光と音が包んだのとほぼ同時だった。


「————ッ‼︎」


 僕たちの周りから、光と音という概念が無くなったようだった。四方を防壁で守られながら、その隙間から覗く紅い炎。そして耳を塞ぐ間も無く、脳を貫く爆音。二つに覆い尽くされ、その他のものは消える。

 その中で僕が出来たことと言えば、気を失ったままの宮本を庇うように、若干身を前屈みにしたくらいだった。


 ——そして、地獄の終わりもまた唐突に現れる。


 爆発とはいわば、炎熱と圧力の全方位放射に過ぎない。その散り去ったエネルギーは、ほんの数秒で何事も無かったかのように終息する。

 しかし、辺りに残った熱の残滓と、白かったこの部屋の壁天井に所々まだ残っている小さな火が、この惨事が現実なのだと僕に教えていた。


「う、う……」


 衝撃でうまく動かない喉から呻き声を吐き出しながら、僕は恐る恐る目を開けた。


 プラスチック爆弾六つ分もの爆発の中、僕の体はほとんど無傷と言っていい状態だった。せいぜい制服にススが付いている程度。


 正面と左右、それに上方に、爆炎を逸らすような角度で作られた防壁。

 小山先輩によって生み出された、間一髪のシェルターだった。


「……嘘だろ」


 身を乗り出して、自分から見て防壁の裏側——爆発による熱風を直接受けた面を覗いて、僕は心の底からゾッとした。

 厚さ三十センチはあろうという防壁だが、その表面は見る影もなく真っ黒に焦げついていた。そればかりか、熱で変形したのか、防壁の形そのものが大きく凹んでいる。


 彼女がこれを作ってくれていなければ、僕は死んでいたと断言できる。

 空間に炎が飽和することによって生まれるはずの無酸素状態すらも、恐らく小山先輩の能力で捻じ曲げられたのだろう。


「無事——みたいねぇ。良かったわぁ」


 横から声をかけられて、僕がそちらを見ると、爆発が起こる前と全く同じ位置・姿勢で立ったままの小山先輩がいた。

 察するに、どうやら彼女は、一切の対策も無しにあれを無傷で乗り切ったらしい。まあ、土地神——神様と言うくらいだから、人間的な常識は通じないのだろう。


 と、僕は僕でだいぶ感覚が麻痺してきたようなことを考えながら、ともかく彼女に礼を言おうとして——気付く。

 僕の視界の端、ハドソンが居た場所の近く。奴の体を貫いていた無数の槍はもはや見る影も無く破壊されているが、そんなことはどうでも良い。


「……ぐ、ぁ……」


 掠れた声が耳に届く。それは間違いなく津久茂先輩のものだった。

 だがそちらを振り向いて——僕は今度こそ、言葉を失った。


 津久茂先輩は片膝をついた姿勢のまま、ぴくりとも動いていなかった。

 彼の体のほぼ左半分は、生命活動の体を成している事すら怪しかった。制服ごと皮膚は焼け落ち、そればかりか所々には爛れた筋肉すら露わになっている。


 爆風の直撃を受けた、と言うわけでは恐らく無い。彼は霊媒術によって、何らかの防御を行ったはずだ。

 だが、あの一瞬での事だ。結果としてそれは間に合わなかったのだろう。半身が焼け爛れ、もはや彼は、死にかけのようにすら見えた。


「お——小山先輩!」


 込み上げてくる焦りのまま、僕は叫ぶ。

 僕の言わんとするところは勿論——というか僕が言うまでもなく分かっていたのだろう。彼女はすでに能力を発動していた。


 半焼した津久茂先輩の体を、取り囲むようにして帯状の光が包む。その輝きに呼応するように、たちまちに彼の傷は癒えていった。


「危なかったな、おい」


「……あぁ、死ぬかと思ったよ」


 ぶっきらぼうに言った小山先輩に、吐くように返す津久茂先輩。

 そのいつも通りの光景に、僕はじわりとした冷や汗の残触を感じながら、胸を撫で下ろした。


 ……ここは学校の中。学校の中ならば彼女は何でもできる、、、、、、。生死さえも自由自在だと言っていた。

 だったら、瀕死の人間一人くらいどうとでもなるハズなんだ。


 その考え方は概ね正しかったらしく、実際、小山先輩の行動は迅速なものだった。割とこういう事態は、以前にもあったことだったのかも知れない。


「領場も無事だな。あと、その女子も……宮本っつったか。そりゃあ、良かった」


「津久茂先輩、大丈夫なんですか?」


「ああ。小山の能力は、既存の法則とは無関係に『結果』を作り出す、概念術式なんだ。俺の体からはもう、死にかけたという事実そのものが消えている」


 ……難しいことはよく分からないが、ともかくもう大丈夫らしい。


「しかし、自爆するとはな」


 嘆息するように、津久茂先輩は言った。その視線の先は、黒焦げになった爆心地——つまりハドソンの居た場所だった。

 その場所の床は焦げて、もはや真っ黒になっている。だがその黒に紛れて、赤黒く染まった部分があるのも、はっきりと見てとれた。


「おい、あのハゲ頭は流石に死んだぞ。どうする?生き返らすか?」


「いや……訊きたいことは聞けた。もう必要無いだろう。小山、戻して、、、くれ」


「てめぇに言われなくてもんなことは分かってる」


 小山先輩がひらひらと手を振ってそう答えると、次の瞬間から、再び空間が歪み始めた。

 部屋の、燃えている部分や焦げた部分がするすると中央に移動し、そのままどこかに消えていく。同時に僕たち生きた人間は、まるで壁に押し出されるようにして部屋から抜け出した。


 気がつくと、そこはオカルト部の部室だった。

 焦げ跡も、血痕もどこにも無くなっている。


 しかし目を瞑ってしまえば、瞼の裏側には少し前までの凶悪な光景が蘇ってくるだろうということも、また僕は理解していた。


「……狂ってる。自分の命を……」


 ぼそりと吐いたその言葉は、内心の混乱を知らず知らずに吐露していたようなものだった。


「ジューダスの過激派なんてのは皆こんなものだ。いや、穏健派にすら、こいつのような奴は多い。自分自身を神のとしてしか見ていないのさ」


「でも、こんな……こんな」


「言っておくがな、領場」


 くるりと、津久茂先輩はこちらを振り向いた。


「霊媒師として生きるならば、用意されているのはこんな最期、、、、、だけだぞ。自らを霊媒師として制し生きた者が幸せになったのなんざ、俺は見たことが無い」


「…………」


「霊媒術は便利だ。お前の場合、身を守るのに必要でもある。だが、そもそもお前は巻き込まれただけ、、、、、、、、だということを忘れるな。ここ一週間、熱心に練習していたらしいが、あんなものも辞めたきゃいつでも辞めて良いんだ」


 そう言いながら、おもむろに津久茂先輩は制服の胸ポケットを探り、何かを取り出した。


 それは鎖のような形をしている、手のひらほどの物体だった。赤い色をした半透明の物体で、艶めいた表面は光を反射し、ガラスのような光沢を生み出している。


 "あかいくさり"——だ。

 よくよく見れば絶えず淡い光を放っているそれは、一見して、尋常な代物では無かった。


「お前とあの悪霊は、魂の一部分で繋がっている。悪霊が宿主の魂を喰らうための経路パスとしてな。この鎖は、その"繋がり"という概念を具現化して抽出したものだ」


「それって……」


 僕が何かを言う前に、津久茂先輩はその鎖を差し出してきた。


「お前の寿命のことだよ。どうせもう、八百萬あたりから聞いてるだろう。あのお人好しめ」


「……!」


「今からでも悪霊との繋がりを断てば、十年ですり減った分もまだ間に合う。いいか、その鎖はお前と悪霊の繋がりそのもの、、、、、、、だ。鎖を破壊すれば繋がりも消える」


「は、破壊……って」


 イミナさんの顔と、それからさっき八百萬先輩から聞いた話が、頭の中をぐるぐると入れ替わっていった。


 一、二年はもうすり減った寿命。僕の生きる時間そのもの。

 しかしこの鎖を壊せば、もうすり減ることはない——どころか、今までの分すらも戻ってくる?


「そして、その鎖はお前の意志、、、、、でしか動かない。必要な時にお前の意志に呼応して現れ、そしてお前が確固たる意志でそれを壊した時のみ、お前らの"繋がり"も破壊される」


 津久茂先輩が言うと、それに反応するように、唐突に鎖が空中へ浮遊した。

 面食らう僕だが、浮いた鎖は、まるでそれ自体が意志を持っているように、一直線に移動し僕の体に入り込んだ。痛みも、感触すらも無く——まるで霊体がモノを通り過ぎるような感じだった。


 つまり……少なくともこの鎖が、僕の意志に反して、それこそ事故とかで壊れたりすることはあり得ないってことか。


「好きに使え。どうしようとお前の勝手だ」


「……ありがとう、ございます」


 ここが礼を言う場面なのかは迷うところだったが、少なくとも先輩から物を貰ったのだから、言うことにした。


 幸い変な空気になることは無く、津久茂先輩は頷いて、もう話は終わったとばかりに伸びを始めた。


「ん、ん……さて。ともかく、これで敵は一人減ったことになるな」


 ハドソンは死んだ。

 残りはエルザス——彼は"穏健派"の人間らしいから、たとえ襲ってくるとしても津久茂先輩の予想通り、今から一週間以上後ということになる。


「エルザスという名前は忘れろ」


「……え?」


 唐突に言われて、思わず訊き返す。


「エルザスというのは偽名だ。この任務のために与えられた暗号名コードネームだろう。奴はある程度有名だからな——賢人会議を相手にするなら、名前を隠した方がやりやすかったんだろう」


「コードネーム、って……」


 少々いきなりな話の流れに困惑しながらも、僕は尋ねた。


「じゃあエルザス……じゃないのか。あいつ、何て名前なんです?」


「バシリスク」


 津久茂先輩の言ったその名前は——何故だか、僕の脳に深く浸透してくるような感覚があった。


「奴はバシリスク蜥蜴=オールウェンス。ジューダス内部の少数精鋭で構成された、"蜥蜴トカゲ部隊"と呼ばれる集団——そのリーダーだ」


「バシリスク……オールウェンス」


 バシリスク。

 もう一度口の中で呟く。あの冷静沈着な、それでいて無表情のまま仲間の腕を斬りとばすような男だ——その顔と名前を、僕はもう一度自分の脳味噌に刻み込んだ。

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