第6話:カーニバル・ファンタズム

 文化祭——言わずと知れた、高校生であるうちに三回だけ経験する楽しい方のイベントである(個人差はある)。


 M大附属高校でも、きちんと毎年催されている。昨今、主に進学校に増えているらしい、学業のために文化祭は行わない……なんてパターンではない。土日二日間、きちんと開催される。


 仮にも文化祭という題目である以上、この学校の文化系の部活には、何らかの出展が義務として課されている。それは我らがオカルト部も例外ではない。

 

 しかし残念なことに、オカルト部は部員が四人しかいないマイナーな部活だ。

 たった四人で展示物の準備やら展示会場の作成やらをこなすのは、準備期間を鑑みても、ほぼ無理と言っていい——そこで津久茂先輩が発案したのが、「もう適当にやっちまおう作戦」だった。


 具体的には、デジタル系に強い津久茂先輩がちょちょいと心霊写真を合成してでっち上げてしまおう、という話である。それもスマホで出来る安い代物。

 あとは小さい教室に適当に飾って終わり、という作戦……作戦ってもうちょっと筋道の立ったものの事を言うんじゃ無いのか?


「……はあ、疲れた」


 言いながら僕は、近くの椅子にどさりと腰を下ろした。

 

 ハドソンとエルザスに襲われてから、一週間が過ぎていた。

 あれから僕は一度も家に帰っていない——まあ正確には、津久茂先輩の護衛のもと、着替えやら何やらを取りに行っているが(結局襲撃は無かった)、自宅で一夜を明かしたことは無かった。


 で、束の間の平和というのか、僕たちはいよいよ文化祭準備に勤しんでいた。

 今日はもう文化祭当日、開会式直前の午前八時である。


「部活とも言えねえような俺らみたいな面白集団が、文化祭なんぞに出店する必要は無いと思わないか?」


「そうは言っても学校のルールなんだからしょうがないでしょ。つーか、津久茂先輩も少しは手伝ってくださいよ」


「俺は写真作ったから労働基準法はクリアしてる」


「小山先輩と八百萬先輩が手伝ってくれないから、完全に僕一人で仕事してるんですよ。つーか労基クリアは『ちゃんと働いた』って意味じゃねえ」


 雇う側に課せられた基準だろ、労基は。

 ……ともかく、文化祭準備は滞りなく終了した。僕が疲れちゃったことくらい滞りには入らない。


 女性二人に関しては、やりたく無いことは本当にやらない人たちなので、今日は遅刻している。多分一時間後には来るだろう。

 いい人たちではあるが、やっぱり社会の上では性格に問題アリだと思う。


「——お祭りとか好きよね、生きた人間は」


 と。

 タイミングを見計らったように、僕の隣にふわりと現れたのはイミナさん。


 一週間前の"顔合わせ"以来、彼女は時たまこの部室で顔を出すようになった。

 当然、先輩方と仲睦まじく談笑するためではない。現れたとしても言葉を交わす相手は、ほとんど僕くらいのものだ。


 要は、単純に行動範囲が広がっただけなのだろう——今までこの部室で姿を現さなかったことに、どんな心理的意味があるのかは分からないが、その枠から外れた、それだけの話。


「アンタの生きてた頃は違ったのか」


 独り言のように呟いたイミナさんの言葉を拾う、津久茂先輩。


「……いえ。事あるごとに祭事は催されていたわ。その都度、随分とお酒が消費されたものだけど」


「ようは日常的な意味での祭りってのは、毎日繰り返しのだるい日々に、息抜きのため都合よく用意された風穴なんだよ。楽しくもなる」


 ……イミナさんに対して、今現在のところ、小山先輩と八百萬先輩は無干渉を貫いている。イミナさんから彼女らに話しかけることもないが、彼女らからイミナさんに話しかけることはもっと無い。


 そんな中、何故か津久茂先輩だけは、ちょうど今のように、イミナさんに対して普通……くらいの態度をとっていた。


「そう言うもの、ね」


 ……と、いかにも幽霊っぽく古めかしい観点からモノを言ってるが、いざ文化祭が始まればイミナさんは、甘いものを売ってる模擬店を探しに行くことを知っている。

 幽霊だから食事の必要は無いはずなのに、彼女甘党なのだ。本当に意味分からないが。


「まあ、これで準備は終わりだな。何はともあれご苦労だった」


「本当にご苦労ですからね、僕。謙遜とかしないですからね」


 ちなみに、オカルト部に与えられた展示教室は、中学棟六階にある我らが部室では無い。

 共用棟にある小さな空き部屋だ。そこに、学校から支給された展示用のボードを運び込み、津久茂先輩の作った捏造CG心霊写真を飾った。


 およそ人を入れることを想定しているとは思えない、お粗末な場所だが……。


「さて、となると一気に暇だな。文化部は開会式には出なくて良いことになってるし」


「津久茂先輩はクラスの方でも展示があるんでしょう?そっちに行けば良いんじゃ無いですか?」


「ああ……そう言えばそうだった。顔を出して来るか」


 津久茂先輩は三年生で、要は高校最後の文化祭となるので、全てのクラスが有志展示を義務付けられている(有志とは?)。

 うろ覚えだけど、なんだったかな、お化け屋敷だっけ……お化け関係ばっかりだな。


「はぁ……割と眠いな」


 そんな事を言いながら、津久茂先輩は気だるそうに立ち上がった。

 まあ、お化け屋敷なんてどう考えてもここよりは準備が大変だろうから気持ちは分かる。


 ちなみに僕のクラスは有志展示をしていない。なのでこれからは、本当に暇な時間になる。

 オカルト部の展示に関しては、受付すら設置する予定はないので、この後僕の文化祭は展示用ボードの裏でやる事もなく過ごすだけ……。


「ああ——そう言えば」


 ふと、思い出したように津久茂先輩はこちらを振り返った。


「お前、霊媒術の方の調子はどうなんだ?」


「ん……どうですかね」


 この一週間、僕がこの学校、というか部室に寝泊まりしている理由だ。例の忠義者ジューダスとやらの襲撃を避けるというのはもちろんだが、もう一つ、出来た時間で自衛のすべ——霊媒術を学ぶ、という意味合いがあった。


「まあ、順調だとは思いますよ」


 僕は答える。これは本音だった。


 霊媒術のトレーニングは、およそ順調に進んでいる。

 一週間前、よく分からないままに"魂の軟禁"が解けたことによって僕は、新しい世界、精魂と触れ合うことが可能になった。


 何も分からない状態から始めたトレーニングだったので、不安も懸念も尽きなかったが、しかしそれは杞憂だった。

 精魂を認識し、触れ合い、使役する——すんなりと。


 何も分からないはずなのに。

 精魂なんて荒唐無稽なもの、初めて触れるはずなのに。


 しかし——こればかりは、説明しろと言われても無理だ。

 それこそ感覚的には、腕をどうやって動かしているのか、というようなものだ。まるで最初からそうだった、、、、、、、、、ように——当たり前に、、、、、出来てしまう、、、、、、

 

 その上先輩方の指導もあったのだから、そりゃあ順調にもなる。基本的な霊媒術ならば、もう既に少しずつ使えるようにもなった。


 とは言え、流石に自由自在とは行かない。まだ結構違和感もあるし……そう、例えるなら、左手で絵を描いてるような感じだ。


「ふむ。ま、順調なら言うことはないか。じゃあな」


 そう言って、津久茂先輩は展示教室を後にした。必然後には、僕一人——否、僕とイミナさんのみが残る。


 要するに、いつもの感じ。


 僕はともかく、展示用ボードの裏へと移動した。

 これは展示教室に出来た、いわば余りの空間であり、完全なる休憩室だ。関係者生徒以外立ち入り禁止の、外からは見えない場所なのだから、もうなんでもアリである。


 聞いた話では、テレビとゲーム機を持ち込んでる部活もあるらしい……もっとも僕にそんな度胸は無いので、せいぜい、在校中は使用禁止のスマホを使ってゲームに興じるくらいなのだが。

 

「ゲームに興じるって……文化祭なんでしょ?回りたいところとか無いの?」


「無いんですそれが。パンフレットは一通り見たけど、特には」


「貴方が無くても、一緒に回る友達とか……」


「そこから先は言ったら戦争」


「…………」


 呆れたような、哀れむような、イミナさんの視線。

 うるさいわ。大体、イミナさんだって、友達が沢山いるタイプじゃないだろうに……。


「あら、それは心外ね。生前の私には、小学校の時から百人の友達がいたわ」


「イミナさんの生前小学校はあったの……?」


 それが本当なら、謎だった彼女の来歴が若干明るみになったぞ……少なくとも戦後の人じゃん。

 確か戦前って、小学校って名称は使われてなかったんだよな?国民学校だっけ。


「まあ、それは嘘だけど」


「嘘かよ」


「行きたいところも一緒に回る友達もいないんだったら、お祭りのパンフレットを貸してもらえるかしら」


 ……!

 言いやがった!友達いないって言いやがった!戦争だって言ったのに!


「い……いや、僕だって友達くらい居ますよ?ただ、文化祭を回る必要性はあんまり感じなかっただけで。文化祭一緒に回らなきゃ友達じゃ無いなんてことはないでしょう?」


「そんな見苦しい言い訳をしなくても……貴方には私がいるじゃない」


「…………」


 イミナさんの台詞がなんか、安いキャバ嬢みたいになってるんだが……ただでさえこの間のことがあって、若干彼女への距離感を掴みかねているのに、ここに来てそう言うことを言われると調子が狂う。

 いつも通りの軽口だということは分かっているのだがというか……いや、どさくさに紛れて見苦しいとか言ったな。やっぱり軽口だこれ。


「で、パンフレット。まさか持って来てないの?」


「……流石に持って来てますよ。どうぞ」


 僕は言いながら、カバンの中からお求めのパンフレットを取り出して、イミナさんに手渡した。


 それを受け取り、各学年の有志展示の案内ページを開くイミナさん——部活動の、それこそ美術部の展示とかには目も触れようとしない。

 まあ、高校の文化祭で見る油絵なんて大したことは無いのだろうが……それにしたって、ほんの少しの芸術志向とか、なんと言うのだろう、「それらしさ」を見せてほしかった。


 文化祭のパンフレット開いて、甘味処を探す幽霊……なまじ艶かしい容姿をしているので、ますます台無し感が強くなる。

 萌えキャラじゃ無いんだから。


「ふむ……大学芋……レンくん、私ちょっと行ってくるわね」


「あ、はい、行ってらっしゃい」


 返す言葉が果たして耳に届いたのか、イミナさんは僕が返事を言うのと完全に同時というタイミングで、展示教室の扉から出て行った。開閉することなく、その霊体を活用したすり抜けで。


 ……大学芋?って言ったか今?


 先週あんなシリアスな感じに扱われてた、仮にも悪霊とか呼ばれている彼女がウキウキで、黄金色に輝く大学芋を食いに行ったの?

 つーか、まだ文化祭が始まるまでまだ時間あるぞ……?


「…………」


 とか。

 残念ながら、ツッコミとは相手が居なければ虚しいものである……僕は脳内に閑話休題、と大文字で表示し、溜息をつく。


 文化祭は嫌いじゃ無いが、退屈だ。

 毎度毎度、行きたいようなところも無いし、一緒に回るような友達もいない——そこは結局、イミナさんと話していた通りだ。癪だが。


 だから僕には、ここでスマホをいじっているしかやることが無かった——勉強とかする時期でも無いし。そもそもこの学校は大学附属校なので、定期試験以外の勉強はほとんど必要ない。


 で。

 スマホを操作し始めて数十分、いよいよもって暇を持て余した僕は、結局時間の有効活用を選択した——暇を有効に活用する。


 有効に。

 つまり、有意義に。


 学生の身である僕が時間を有効に使うと言えば、普通は勉強するという事になるが、今回はそうじゃない。

 すなわち——霊媒術の練習、、、、、、、である。


「————」


 目を閉じる。

 そうすると、肌に触れる世界というものが、より鮮明に感じられる。


 温度。湿度。空調の動き。座った椅子の僅かに軋む音。僕自身の息遣い——それら「世界」の中に、僕が存在することを認識する。

 認識して、目を開ける——そうすると、もう目の前には、精魂の世界が広がっていた。


 その感覚を説明するのは難しいが、視覚的に分かりやすく言うのなら、世界に色がついた、、、、、、、、ような感じだろうか。


 雪が降り出したような、仄かな色づきだ。この部屋に存在するあらゆるモノから、雪が降るように"色"が滲み出ている。

 これが精魂——この世界を構成する精霊魂魄、、、、だ。


 霊媒師が霊媒術を扱う第一段階が、この「認識」だった。

 世界にあまねく精魂を自ら認識する——これは要するに、スイッチを入れるような意味合いを持つ。いずれはこの第一段階を、瞬きの一瞬でこなさなければならないらしい。


 そして第二段階は、精魂に自分の意志を伝えること。

 

「————」


 自らの魂、、、、を介して、世界に意志を伝える。

 何にでもなれる、何でも出来る精魂という存在に、自分が何をしたいのか——自分に何をさせて欲しいのか、、、、、、、、、、、伝える。

 

 僕が"お願い"するのは、人智を超えた超常現象。

 それが通じた時——僕は、この世の法理から解き放たれた。


 つまり、浮いた、、、

 重力という絶対の力に逆らい、あるいはそれを無視し、僕の身体は宙に浮いた——椅子からほんの十センチほど、しかし上々の大成功である。

 ライト兄弟による人類初の有人動力飛行が、たった十二秒間の事だったように、たった十センチが、僕には革命にも等しかった。


「わ、と、と、おお?」


 よろよろと、僕はみっともなくバランスをとる。

 いや、精魂に体を支えてもらっている今、集中力さえ持続すれば物理的に落ちることは無いのだが……これはもう、人間としての反射的な反応だろう。

 集中力が続けばの話だが、邪魔さえ入らなければ僕は、なんなら一時間だって宙に浮いていられるはずだ……まあ心の中でそういうフラグを立てた時点で、もうなんか、アレだが。


 突然、展示教室の扉が開かれる。つまり誰かがこの部屋に入って来たのだ——集中力、終わり。


「な、わ、あ、ああ!」


 精魂との融和性を著しく損ねた僕は、一瞬のうちに重力圏に引き戻され、落下した。


 そして、馬鹿か?と自虐する。

 このまま浮いていても問題は無かったのに。展示用ボードで遮られているのだから、この部屋に誰かが入って来ても、見られることはないのだ。謎の力で宙に浮かぶオカルト部員は見られない。


 焦って落ちて、大きな音を立てるほうがよほど不審さを演出する——ちなみに、たった十センチの高さだが、バランスを崩した僕は綺麗に頭から落下した。

 痛えよ。


「……自主練習は偉いけど、安全なところでやりなさい。危ない」


 と、関係者以外立ち入り禁止のボード裏に躊躇いなく入り込んで来た人物……いや、躊躇いはなくて良かった。だって彼女は——八百萬先輩は紛うことなく関係者だ。


「ほら」


「すみません……痛って」


 差し出された手を借りて、僕は体を起こす。


 横目に時計を見てみると、時刻は九時を回ろうとしていた。文化祭開始の時間だ——彼女もようやく登校してきたらしい。

 準備を手伝ってくれよ、という旨の文句も言いたかったが、霊媒術について教えてもらったり、体を起こしてもらっちゃったりした今だと、それも言い辛い。


 で、そんな僕の隣に腰を下ろす八百萬先輩。

 準備をサボったことについては、悪びれないどころか、認識さえしていない様子だった……まあ、こういう人だ。


「……一人?」


「え、はい。あ、津久茂先輩だったらクラスの方に……」


「それは知ってる、さっき会って来た。多分しばらく戻ってこない。ゾンビ役を押し付けられてた」


「あ、そうすか……」


 ゾンビ役って。

 似合いそうだな。


「私が訊いてるのは、あの悪霊は一緒じゃ無いの?ってこと」


「悪霊……イミナさんですか?」


「姿を消してても、その存在は私たちには分かる。けど今は分からない。彼女はどこに?」


「どこに、って言われたら知らないとか言えないんですけど……どっか行きましたよ。多分大学芋食ってます」


「…………はぁ?」


 八百萬先輩から今まで聞いたことのない声が出た。

 故障した機械から空気が抜けたような、素っ頓狂という概念を具現化したらこうなるんだろうというような、およそクールビューティーで通ったイメージの彼女には考えられない声だった。


 つーか、顔。

 ギャグみたいな表情をしてる。


「……人間に取り憑いた幽霊が?悪霊が別行動?」


「別行動は、今までにもちょくちょくしてますけど」


「というかご飯?おやつ?大学芋?」


「そっち関しては僕に説明を求めないでください……」


 イミナさんの甘党……というか、そういう幽霊らしからぬ行動に一々突っ込んでいたら身がもたない。そもそも彼女の行動に予測なんて、僕だってつくものか。

 自分でリモコン使ってテレビ見るしな、あの人。


「……人間に取り憑いた幽霊は基本、取り憑いた人間から離れないはず……なのに」


「彼女自由人ですから」


「そういうレベルを逸脱してる。はっきり言って有り得ない。引く」


「ええ……?」


 そこまで言うか……?

 

 と、八百萬先輩はそこで、区切るように溜息をつき、面持ちを真剣なものに切り替えた。真剣な、と言うか彼女の場合、いつも通りなのだが。


「……まあ、丁度いい。二人きりなら話しておきたいことがある」


「はい?」


悪霊は魂を削り喰らう、、、、、、、、、、ということ——きちんと聞いては、ないでしょ?」


 辺りの空気が、一転してなんと言うのか……シリアスなものに変化していた。

 八百萬先輩の言った言葉を咀嚼し、頭で理解して、僕は眉をひそめる。それは、正確な意味は理解出来なくとも、響きだけで十分な不穏当さを含んでいた。

 

 そして、ふと思い出す。津久茂先輩も同じような事を言っていたのだ。


『その女はただの幽霊じゃ無い——悪霊なんだよ。強力な、強力な悪霊だ。魂を喰らう、人を取り殺す存在だ』


 ——こうなると、八百萬先輩の"いつもの"真剣な表情も、何故か、不穏で不安なものに見える。


「きちんと考えてる?ジューダスが狙ってきたのはあなたじゃないってこと。あなたはついで、、、に過ぎなかったこと、理解してる?」


「それって、どういう……」


「連中が狙っていたのはあの女の方。悪霊を滅するために、ジューダスは襲ってきた。連中が霊媒師を敵視するのは宗教のせいだけど、あの女は違う」


 イミナさんが狙われたのは、宗教的な理由じゃない——?

 あいつらは、神様の教えに従って暴力を振るっているんじゃないのか?


「悪霊が生きた人間に取り憑くということは、その悪霊が人間の生気を糧に、、、、、、、、存在を保つということ。あなたの魂は、あの女のためにすり減っている」


「すり減っている、って……どういうことですか?体がだるくなるとか?」


「違う。生気がすり減るというのはつまり、そのまま、寿命が削られる、、、、、、、ということ」


 寿命が——生そのものが、減る、、

 八百萬先輩は、そう言った。

 それは間違い無く、適当にスルー出来るような情報ではなかった。


「寿命、ってそんな、死神じゃ無いんだから……」


「死神も悪霊も似たようなもの。"人に憑いて"、"唆し"、"命を糧に"、"時には人を殺す"」


「それは——そんなことは」


「だからあの女は狙われたの。人に害をなす害悪の存在——だから。言っておくけど、悪霊を敵視するのは何もジューダスだけじゃない。霊媒師だって、無力な一般人に取り憑いた悪霊を見れば、祓おうとする」


 一週間前の、津久茂先輩の言葉を思い出す。

 今からその女を祓っても良いと——彼はそう言っていた。


「十年も一緒にいたんでしょう?あなたの寿命は確実に減っている」


 十年一緒にいた。

 だからこそ、家族みたいなものだ——その彼女が。


「じゃ、じゃあ……僕の」


 口を開く。重い口を。

 頭が情報を処理しきれていないのだ——突然にこんな事を言われて、それは、一瞬で処理するのには重すぎる。


「ぼ、僕の寿命は、どれくらい減ってるんですか?」


「魂を目計りするしか無いから、正確なことは言えないけど——極端に少ない、、、


「す、少ない?」


減っている量が、、、、、、、、よ。十年も、あんな強力な悪霊に憑かれておきながら、あまりにも魂が健全。せいぜい一、二年分」


 告げられた言葉の意味を正確に捉えあぐねて、僕の胸中は一瞬困惑の一色に染まった。


 えっ、と……?

 そ、それは言葉通りに、喜ばしいニュースとして受け取って……良いのか?


 魂が、寿命がすり減っているという悪影響が、結果僕にはそれほど作用していない、という字面通りの意味ならば——。


「喜んでいいことじゃない」


 と、八百萬先輩は先んじて僕に釘を刺した。


たった、、、数年じゃないの。あなたの生は数年失われている。今は短く感じるかもしれない。でも死のきわになって、失った時間を必ず後悔するし、恨むことになる。"あと数年生きたいられたならもっと何かを、、、、、、出来たのに、、、、、"——って」


「…………」


「もっと何かを、、、、まだあるはずだ、もっと何かを、、、、、、と……それが人間の人生よ」


 「今以上」を求めなければならない。夢、希望、未来 ——そんな風に銘打たれた、その運命によって成り立ったモノが人だ。

 ならば、だからこそ、時間を無駄にすることは本来許されない。上を求めるという運命のための猶予が、寿命であり余生だ。


 少なくとも僕より二年長く生きた"先人"である八百萬先輩は、それを分かっていた。

 そしてそれを僕に教えてくれている——僕は彼女の言っていることが、理解出来る。


 確かにそうだ、、、、、、

 そうなんだけど——でもそれならば、僕はどうすれば良い?


「津久茂が、どうしてこんな重要なことをあなたに黙っていたのかは分からない。一週間前に、あいつは尋ねた。『悪霊を祓うことも出来る、そうしなくても良いのか?』」


「それは……そう言えば」


 そうだ、確かにあの時、津久茂先輩はそんなことを尋ねてきた。

 僕はその選択肢を、二つ返事に跳ね除けたわけで、口を挟む暇が無かったと言えば無かったのかも知れないが——しかしまさかあの人が、そんな会話のテンポのようなものに置いていかれて、説明をし損ねたと言うわけではあるまい。


 津久茂先輩は、意図的に話さなかったのだ。

 僕の寿命はイミナさんによって削り食われていると言うことを——それに。


 僕はイミナさんによって、魂を制限され、精魂の世界に接触することが出来なくなっていた。

 その事実に対し、あの時津久茂先輩は珍しく怒りのようなものを見せたが、その怒りが義憤に駆られてのものだったなら、それは本来、魂を食われているという事実の方に向ける方が、らしい、、、んじゃないのか?


 「軟禁」と、いわば「緩やかな殺人」。

 非人道さのレベルは、誰が見ても比べるまでも無かったはずなのに。


「悪霊と、それに取り憑かれた後輩をわざわざ代行者から助けておいて……でも悪霊と共にいるリスクの話はしないなんて、私からすれば、無責任の人でなしとしか言えない」


「無責任——」


「今の話を聞いた上で、もう一度きちんと考えるべき。自分の人生の事だから——きちんと」


 そう言って。

 八百萬先輩は、もう話は終わったとばかりに、展示教室から出て行ってしまう——無責任にも。


 ……違う、分かってるだろう。彼女は僕を一人にしてくれたんだ。

 一人で自分のことを考えろ——と、そう言っているのだ、彼女は。


 "——必ず後悔する——必ず恨む——"


 脳の内に反響する、記憶に新しい声。

 攻め立てるようなその残響に、僕は思わず首を振った。


「……なんだって、文化祭初っ端に、こんな重いこと考えなきゃならないんだよ」


 吐くように言ってみても、僕の声は虚空に消えていくばかりだった。

 ここには今僕一人しかいない——オカルト部の展示会場には、未だ誰一人として、客が入っていない。

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