第2話:ジューダス・プリースト

 JR新宿駅から徒歩十分ほど、居酒屋「一平」。申しつけられた時間通り、僕はそこで津久茂先輩と合流した。


 津久茂先輩について話そう。


 彼は僕が所属するオカルト部の、三年の先輩だ。

 いつもローテンションな人だが、そのくせ口数は嫌に多い。見た目に反して実は面倒見の良い人で、後輩であるところの僕に対しては、何かと気を使ってくれる。


 意外なことに三年生の中では優等生らしく、成績は優秀、運動神経も抜群だという。だが反面、というか見た目通り、非常に性根がひん曲がった人なのだが……何でもそんな一癖ある人格が、良い風に作用して結構な人気者らしい。

 女子からはモテる、友達は多い。あやかりたいくらいだった。


「悪事はバレなきゃ良いのさ」


 なんて、顧問のいる部室で堂々と宣う彼だ。それは口だけでは無いらしく、噂によれば彼は、高校生にして煙草愛好家だという……あくまで噂だが。


 彼には一人お兄さんがいる。

 これが謎に人脈がある人で、この合コンに関しても企画したのはほとんどそのお兄さんらしい。最後の足りない人数の調整だけは、津久茂先輩が押し付けられて、それに僕が巻き込まれた——というのが、今回の合コンの正体である。


 まあ、暇だから良いんだけど、それにしたって高校生の身分で日曜の夜に新宿と言うのは、いささか危険な感じは否めない。具体的には、教師に見つかったらどうするんだ的な意味で、僕は若干に頭を悩ませていた。


「実際どうするつもりなのかしらね、見つかっちゃったら」


 イミナさんはそんな僕の後ろを、例によってふわふわと浮遊しながら言う。


「……そう言えばイミナさん、オカルト部で顔出すこと無いですよね」


「ああ言う陰気な場所は好きじゃ無いのよ、私」


 陰気……まあ言いたいことは理解出来た。

 僕の他、三人の先輩方による悪趣味の結果、オカルト部の部室はその名に恥じることのない、世にも奇妙なカオスの空間と化している。


「それに私は、あなただけの幽霊だから」


「……?」


 僕はその言葉の意味を考えようとしたが、視界の端に津久茂先輩の陰気な顔が目に入り、やめた。どうやら歩いているうちに待ち合わせの場所——居酒屋まで到着していたらしい。

 津久茂先輩の前に僕が出る時には、イミナさんは消えていた。


 学生服を脱ぎ、私服を着た津久茂先輩は、普段とは打って変わって、むしろイケメンと言える部類の人間に変貌していた。

 というか、普通にファッションセンスが良い。スラリとした大学生のようだ。なんだこの人、学校の外だとモテるのか?


「……ああ、領場か」


「呼んどいてその言い草はどうなんです……?」


「そう目くじらを立てるな。万が一、いや億分の一兄貴が酔い潰れなかったら、お前の分の食費は俺が持つ」


 いや、僕は食費の心配をしてるんじゃない……というかそもそも、居酒屋って酒注文しない限りそこまで値は張らないんじゃないのか?


 ともかく、僕と津久茂先輩は居酒屋の扉を開け、店内に入る。先輩が店員に自分の名前を伝えると、僕らは奥の座敷席に通された。

 そこには合計八人の男女がいた。僕らを入れて、男性女性の比率はぴったり5:5になる。ただ、事前に聞いていた情報から予想できた通り、この空間には僕から見て年上の人間しかいなかった。


 津久茂先輩とその他数名の年上の方々に押し込まれるまま、僕は持っていた杖を靴置き場に置き、男側の座席の一番端に座る。


 そうして、多分タダ飯になるであろう合コンは始まった。


 今回の主催者である、津久茂先輩の兄が進行を務める。挨拶もそこそこ、自己紹介が始まった。

 相手方の女性は大学生ばかりだが、彼女らの感想を述べるとすれば、まず化粧が濃い。つーかケバい。そして服格好が総じてチャラい。

 なるほど津久茂先輩の言う通り、尻軽という表現は的を射ているかも知れない。初対面の人に失礼だが、頭が良さそうには見えなかった。


領場蓮えりばれんです。高一です」


「きゃー、高一!かわいいー!」


「何その傷ー?」


「ワイルドー!」


「カッコいー!」


「…………」


 僕が想像していたより大分、集まった女性たちの頭空っぽ加減はヤバかった。マジで脳味噌入ってないのかと思うほどだった。


 ともかく——合コンは滞りなく(世間一般のイメージ通り乱痴気パーティー、の意)進行する。焼き鳥がホイホイ注文され、酒はなみなみ注がれていき(神と、ついでに幽霊に誓って僕はアルコールは摂取していない)、しまいには、年長の方々の半数は意識の安定性というものを手放していた。

 合コンとか言うけど、この状況で成立するカップルとか一人もいないんじゃないかな。


 で、僕と津久茂先輩は、高校生なので酒は飲まない。そのためこの異様な混沌とした空間の中で、正気を保っていた。


「…………」


「…………」


 沈黙である。

 気まずさも何もない、身を守るための沈黙。この場では一言一挙動が酔っ払いに弄ばれるネタになりかねない。

 まあ最年少である僕は、すでに酒の回ったおねーさん達から散々に遊び道具にされているのだが——羨ましいとか思ったなら代わってほしい、酒と化粧の匂いで気分最悪なんだ。


 というか、こういう事があると、家に帰った後イミナさんにからかわれるのは確実なわけで、僕はむしろそっちの方が嫌だった。


「……津久茂先輩」


「何だ」


「乾杯から二時間経ちますけど、僕ら補導受ける時間までに帰れるんですか?」


「知るか」


 とか。

 そんな事を言っていたが、僕らは結局、その一時間後——午後十時頃に解放された。めでたく酔い潰れた津久茂先輩のお兄さんは、僕どころか津久茂先輩の割り勘分まで一括で払ってくれた。優しい、というか酒の力である。


 新宿の夜、二十二時。

 僕らは居酒屋を出て、年上の酔っ払いの方々と別れ、繁華街を歩いていた。十月半ばでこの時間は、流石に少々肌寒い。というか新宿の町を歩くには、良い加減に危険な時間帯なので、さっさと電車に乗りたいところだったのだが……そんなタイミングで、津久茂先輩が無茶を言い出した。


「静かなところで休みたい」


「え、先輩酒飲んで無いですよね……?」


「人に酔った。頭痛が痛い。静かなところに行きたい」


 とか、マジで気分悪そうに言い出したのだ。

 「頭痛が痛い」とか言ってるあたり、本気で脳が回らなくなっているらしい。


 ……いや、この新宿のど真ん中で静かな場所探せと言われても、本当に困る。僕はこのあたりの地理には疎い。


「高田馬場の方に静かな住宅街と公園がある……」


「マジですか」


 この「マジですか」というのは、こんな都心に静かな公園があるんですか?という意味では無く、津久茂先輩のちょっとした情報力に対するものだった。

 さらりとそういう情報が出てくるってことは、結構都心慣れしてるのか、この人……僕なんか、地図アプリ見ても未だに新宿駅内で迷うのに。


 ともかく僕は、先輩の指示に従って進んだ。

 歩道橋を渡り、よく分からん細道を通って、ようやく閑静と言える住宅街に入り、さらに十分ほど歩いたところに、確かに公園はあった。ブランコ、滑り台、バスケットコートがある割りかし大きめの場所だ。


 僕たちの他にも、ここには何人か中高生と思わしき男女がいた。チンピラっぽい、知能指数の低そうなカップルとか、珍妙な格好をしたグループがいくつか。

 治安が良さそうとも思わなかったが、まあ男二人、まさか襲われることも無いだろう。


 津久茂先輩は早々にベンチに座り、溜息をついた。


「自分から人集めまで買って出ておいて何だか、合コンというものがあそこまで騒がしいものとは思わなかった」


「現実に人酔いする人を僕は初めて見ましたけど」


「騒音酔いだな、あれは……騒音だった」


 聞くからにダルそうな声で、津久茂先輩は言う。つられてこっちまで気怠くなってくるほどだ。

 僕にしたって少なくとも津久茂先輩よりは人生経験が下であり、騒ぐことに慣れているわけでも無いはずなのだが……何とも情けない先輩だな、と僕は思った。


「……便所に行ってくる。荷物を見ててくれ」


「え、吐くほど気持ち悪いんですか?」


「いや、下の方だ。さっきから大腸の内側が聞き慣れない轟音を奏でてる」


「原因人じゃ無いなそれ!食い過ぎでしょ!」


 とか言って。

 津久茂先輩は、ベンチにウエストポーチを置いたまま、公園へ向かって行った……あの様子だとしばらく帰って来なさそうだ。


 僕はともかく、溜息をついて(最初から溜息つきたい展開だったが)、空いたベンチに腰を下ろす。杖は手すり部分に立てかけた。

 時刻はすでに十時半を回っていた。流石にこの時期にこの時間となると、肌寒い。半袖に申し訳程度の薄手のパーカーだけ羽織ってきたのは、普通に後悔した。


 このまま一人で先輩の帰りを待つのは、何気に退屈だな——と思い始めた時。

 僕の隣で、「ふわり」という感触が発生した。


「——寒くなってきたわね」


 と。

 ベンチの空いたスペースに座るような形で、イミナさんが出現した——この夜中の暗闇と仄かな明かりの中、彼女は異様なほどに艶やかだった。


「幽霊なのに、寒いって感じるんですか?」


「あなたが寒そうにしてたから言ってみただけよ」


「……まあ確かに、肌寒いですけど」


 二の腕をさすりながら僕は答える。


 イミナさんとはもう十年来の付き合いになる。にも関わらず、この妖しげな幽霊のことはほとんど謎と言えた。


 根っこから言えば、彼女の本名も知らない——流石に「イミナ」単体でフルネームと言うことは無いだろう。

 実年齢とか、家族のこととか、どんな食べ物が好きだとか、実年齢だとか——つまりは彼女の生前、、、、、のことも、何も分からない。

 

 それに。

 僕はにとっては最も大きく、そしてある意味最も身近な疑問も、そのヒントすら見えていない。


"イミナさんはどうして僕と一緒にいるのか?"


 十年前から抱き続けている、この疑問。

 尋ねたことは何回もある。だがその度に、彼女は「あなたの事が好きだからよ」と、微笑んで言うのだ。


 思春期に入った頃に初めてそれを聞けばまた懐く感想も違うのだろうが、残念ながらこれを言われた最初の時には、僕は六歳だった。そのため、この「はぐらかし」にはドキリともした事は無い。

 もちろん、今になってこの言葉を都合よく鵜呑みにするほど、僕もおめでたくは無かった。


 加えて、最近になって新たに懐き始めた疑問もある。


 イミナさんは普段、今こうしているように僕のそばに浮遊しているか、合コンの最中のように、姿を消しているかのどちらかの状態を保っている。

 姿を消している時でも僕が呼びかけると大抵は姿を現してくれるし、幽霊なんだからそんなものなのだろうと、僕は特別気にすることもしていなかったのが——最近になって、姿を消す割合が確実に増えているのだ。


 具体的には、津久茂先輩の前。

 と言うよりも——僕が所属するオカルト部、でだ。

 

 高校に入学してすぐにある部活入部イベントで、僕はオカルト研究部に入った。


 ウチの学校は強制入部では無いが、それにしたって高校生活三年間帰宅部というのはいかがなものかと思い、僕はなんとなく適当に、入るべき部活を探していた。

 M大附属高校は運動部が盛んな学校だが、あいにく僕は十年前の事故によって、激しい運動が不可能な体になっている。必然、選択肢は文化部に絞られた。


 とはいえ、文化系にしても僕には際立った趣味や特技は無い。

 せいぜいイラストが多少描けるのと、人並みに漫画を読むくらいだ。だがM大附属には、イラスト部も漫研部も存在しなかった(美術部はあったが、敷居が高そうだったのでやめた)。


 そんな中、ふと気になったのが、オカルト研究部である。

 新入部員の勧誘もしていなかった、普通にしていれば目にも入らないような部活だったが、僕の目にはその存在がはっきりと映った——理由は明白だ。


 オカルトという分野において、僕はこの身にこれ以上ないほどの「オカルト」を背負っていた。

 

 それと——たかだか一高等学校の同好会に期待することでは無かったが——イミナさんの"正体"について、何か分かるかもしれないと考えたことも、入部の一因ではある。


 イミナさん自身とは別に、「幽霊という存在そのもの」が、僕にとっては謎だった。

 僕はイミナさん以外の"それっぽい"存在を目撃した事が無い。彼女自身が自らを幽霊と称している以上、少なくとも「幽霊が見える」という文言に嘘はないのだが、それでも僕は、幽霊について何も知らなかった。


 具体的にどういう存在なのか。

 さっき寒さを感じないと言っていたが、そんな感じの幽霊の「性質」。


 それらの解明を多少ながらも期待して、僕はオカルト部に入部し——三人の先輩に迎えられた。

 そのうちの一人が津久茂先輩で、他二人の先輩もまあ、いい人たちなのだが。


 イミナさんはしかし、彼らの前で絶対に姿を現さない。

 それまで規則的な性質などほとんど見せなかった彼女が、ここ半年ほど、違和感を覚えるほどの徹底ぶりだ。


「……あの、イミナさん」


 と——隣に座る彼女に話しかけてから僕は、訊く内容を考えていなかった事に気付く。

 いや、質問したい事は山ほどあったのだ——今までぐだぐだと考えていた通り。だがそれらの核心を突く質問を、こんな何でもない場面で口にするほど、僕の肝は座っていなかった。


「イミナさんの他にも、幽霊っているんですか?」


 結局口をついて出たのは、まあまあ核心、まあまあどうでもいいような質問だった。


 イミナさんは、「そうね」と前置きして、顎に手を乗せた。


「私の他にも、死んだ身、、、、でこの世を彷徨っている人間は結構いるわ。仲間意識とかは無いし、さっさと成仏しなさいとは思うけど」


「成仏」


 少なくとも、そういう在りそうな概念は存在するのか。


「でも会ったことありませんよ、僕。イミナさん以外の幽霊」


「霊を見れるのは、基本的にその霊に取り憑かれた人間、、、、、、、、だけなのよ。他の精魂せいこん——霊的な存在を見るには、特別な才能が必要なの」


「僕にはそれが無い、って事ですか?」


「無いほうがいいわ。ロクなことにならないから」


 これを話している時のイミナさんは、珍しく微笑みもしていなかった。憂鬱そうに、何というかつんとした態度で淡々と喋っている感じだ。

 彼女自身、自分が死してこの世に留まる存在であることに、何か思うことでもあるのだろうか——とか。


 僕が、そんないかにもオカルト部っぽいことを考えていた時。

 僕の視界に、電灯に照らされ公園の地面に伸びる人影が映る。


 僕は津久茂先輩が戻ってきたのかと思ったが、違った。イミナさんは姿を消していないし、何よりも、人影は二人分だったのだ。


「おい兄ちゃん、さっきから何一人でブツブツ言ってんだ?」


「うるせぇんだよ。おいこら、とりあえず財布出せや」


 二人組の男女——そう、この公園に入った時に目に入った、知能指数の低そうなカップルだ。

 男の方はガングロの筋骨隆々に、顔は唇と鼻にピアスをつけているパンチパーマ。女の方は金赤に染められた派手な長髪に、この季節にどうなのかと思う半袖から覗くのはタトゥーで……紛うことのない、チンピラだった。


「…………」


 えぇー。

 えぇー……。


 僕の認識機能が世間一般のそれと大幅に乖離していないならば、この状況は恐喝カツアゲで間違いない、のだが、えぇ……?

 いや、確かにここは東京都心で、時刻は夜行性の方々が動き出す時間だが……にしたって、ここ、住宅街のど真ん中の公園だぞ?

 

「おい何黙ってんだよ兄ちゃん、何とか言えや」


「えっと、いや……ですね」


 ここですぐさま「警察呼ぶぞ!」と叫ぶことが出来れば、僕もまあ格好いい部類の変人になれるのだろうが(国家権力に即頼るあたり格好良くは無いかも知れない)、それは不可能だった。


 いや、物理的な話をすればこの場を切り抜けるのは簡単なのだ——ここは何も歌舞伎町の裏道では無いし、何ならこの公園の中にでも、僕以外に人はいる。一言「助けてください」と叫べばいい。


 しかし、僕は事もあろうにテンパってしまった。ギラギラのチンピラに脅されているこの状況にでは無く、このチンピラ二人の、あまりにあまりな様相にである。


 ひ弱な奴が不用心に一人でいるように見えたのかは知らないが——そもそも僕だって津久茂先輩を待っているだけであって、一人きりというわけじゃない。

 それ以前に、周りに普通に人がいるこの状況でカツアゲを実行するとか、はっきり言って頭沸いてんのかと思う……まあ要するに。


「こんな手垢でベッタベタのベタなチンピラが現実にいるのかよ!」という、困惑だった。


「おい、何だよその目は。ああ?」


「ウチらを馬鹿にしてんのか?おお?」


 どうも僕の目線が気に入らないらしく(僕の小馬鹿にした思考が伝わったのかも)、チンピラ達は顎をしゃくりながら因縁をつけてくる。


 逃げてもいいかな……いや、それは駄目か。

 僕は津久茂先輩から荷物を預かってるわけだし、第一不自由なこの足で逃げ切れるとも思えない。


 ——と。

 

「何とか言えよコラ……ぐはぁっ!」


 断末魔レベルの悲鳴をあげて、唐突に、チンピラの男の方が右後方に吹っ飛んだ。スナイパーライフルで脳天狙撃されたのかという勢いで。


 地面に倒れこんで気絶したチンピラのこめかみは、シンプルに出血していた。

 そしてその頭部のすぐそばに——ころり、と拳ほどの大きさの石ころ、、、が転がる。ご丁寧に赤黒い液体でベッタリと濡れていた。


 察するに、何者か、、、が投擲した石つぶての攻撃によって、このチンピラは意識を失ったのだろうが……洒落にならねえ。

 死んでるって、これ。


 僕は背中にひやりとしたものを感じて、後ろを振り向いた。

 そこには、澄まし顔でピッチャーよろしく投擲姿勢をとるイミナさんがいた。


「……!」


 嘘だろ……!

 

 いや、そう、イミナさんは幽霊のくせに「ものに触ることができる」。テレビのチャンネルを自分の手で合わせていたように、公園にある石を拾ってぶん投げるのも、普通に可能だろう。

 生身の人間には触れられないという制限がある以上、石を投げるというのはシンプルに強力な手段だ。


「えっ、は?」


 女の方があたふたしながら、倒れたチンピラこ顔を覗き込む。しかし悪いことは言わない、あんたは逃げるべきだ。


 と、僕が言う前に。

 女の方も間も無く、その額に石つぶてを喰らい、瞬く間に気絶した。


「綺麗に決まったわね」


「いや綺麗に決まってたけど!」


 妖艶なドヤ顔とかいう、訳の分からない表情でそんなとこを言うイミナさん。しかし僕としては、もう少し穏健な手段がなかったものかと言わざるを得ない。


「あら、ちょっと心外ね。さっきまでの状況、レンくん一人でどうにか出来たのかしら?」


「うぐ……それは、ありがとうですけど」


 実際のところ、津久茂先輩が戻って来れば何とでもなったと言えばそれまでだが、イミナさんが僕を助けてくれたのは事実だ。 


 僕はイミナさんに礼を言って、それから小さな砲弾の被害にあったチンピラ二人を覗き込む……うっわあ。

 リアルに頭から流血してるし、白目剥いてるし……変死体とすら形容できそうな有様だ。


「もしかして、マジで死んでるんじゃ……」


「まさか。そんなに強く投げてないわよ」


 なら良いか、とはならない。

 とは言えこの件に関して、これ以上文句を言っても仕方がない。僕は溜息を一つついて、ベンチに座り直した。


 寒いが、チンピラ二人は放置することにした。よくよく考えれば、こいつら僕から有り金奪おうとした犯罪者な訳だし、良いだろう。風邪でも引いて痛い目を見れば良い。痛い目は十分に見ている気もするが気にしない。


 僕が背後に人の気配を感じたのは、そうしてこのトラブルにひとまず始末をつけた時だった。


「——君、大丈夫かい?」


 と、唐突に後方から声をかけられ、僕は振り向く。


「……?」


 そこに立っていたのは、この夜でも目立つ金髪を首元まで伸ばした、人当たりの良さそうな青年だった。彫りの深い顔立ちを見ると、どうやら外国人らしい。


「遠巻きに見てたが、災難だったな。この公園は、夜になると不良が居座る。一人でいると狙われるから気をつけた方が良い——怪我、して無いか?」


 どうやら、僕がチンピラ二人に絡まれる様子を見て心配してくれたらしい。

 僕はいくらか警戒心を解いて、いささか遅い親切な忠言に言葉を返した。


「いや、大丈夫ですよ。心配してもらってありがとうございます」


「そうか、なら良い。にしてもこの二人、いきなり倒れたように見えたけど、どうしたんだろうな」


「さ……さぁ、どうしたんでしょう?」


 そうか、イミナさんのことが見えない一般人からすると、そんな風に見えるわけだ——暗かったからか、石つぶてが顔面を直撃していたことには気付いていないらしいが。


 青年は津久茂先輩と同い年くらい、つまり僕より少し年上のように思えた。

 黒いロングコートを羽織っていて、首からは十字架のネックレスを下げている——これもファッションという感じでは無いので、宗教関係者なのかもしれない。


「——聞いていた話と違うな。日本ここも随分治安が悪いようじゃねえか」


 ふと、新たな声が割り込んできた。

 首を動かし青年の背後を見やると、大柄な男がこちらに歩いてくるのが見える。


「ハドソン」


 青年が名前を呼ぶと、大男は首をこき、と鳴らし、ジロリとこちらを見下ろして来た。

 スキンヘッドの頭に、頬には切り傷の跡が残っている。先ほどのチンピラ二人よりもむしろ、この男の方が危うい人間に見える。


 青年と違い優しげな印象は一切ないが、この男も、首から十字架を下げていた。


「ふん——醜悪な所だ。こんな信仰心のカケラもねぇ島国、さっさと滅ぼしちまえば良いんだよ」


「…………?」


 なんかこの男、今ものすごく物騒なことを言わなかったか?

 信仰心がない国は滅ぼせだの、どうのこうの……。


「そういう冗談は慎め」


「冗談、ねぇ」


 大男の剣呑な言葉を、青年が諌める。

 冗談とは言うが、しかし今の言葉は普通に解釈すると、冗談の域を逸脱している気もするが——僕はともかく、一度仕舞った警戒心をもう一度表に出した。


「……あんたたち、誰です?」


 僕は訊く。

 今一度客観的に見てみると、この二人の存在は異様と言えた。日本の住宅街、その中にあるありふれた公園、時刻は夜中。そこに外国人が二人——旅行者という感じではないし、うち一人は、明らかに堅気ではない格好をしている。


「ふん、俺たちは——」


 と、大男が答えを口にしようとした、そのタイミングだった。


「すまん領場、遅くなった」


 僕の名前を呼ぶ、聞き慣れた声。前方のその声は二人とは反対の、つまりは公衆トイレのある後方から聞こえてきた——やっとかよ。


「……遅いですよ、マジで」


「いやな、思っていたよりも大量の焼き鳥が腹のなかをぐるぐると——ん?なんだこの、頭から血を流した二つの変死体は」


「先輩が腹痛めてる間に、チンピラに絡まれてたんです。あと死んでないから。変死体じゃないから」


 気持ちはわかるけど。


「ふむ——?そりゃあ災難だったな」


 津久茂先輩はとぼけた声でそう言った。くそったれめ、あんたの荷物も危なかったんだぞ。

 口に出すことこそしないが、僕が心の中でそんな恨み言を言った、その時だった。


 突然に——僕の視界から津久茂先輩の姿が消えたのだ。


「ぐっ——⁉︎」


 続いて、まるで断末魔のような苦悶の声と、この世の終わりを想起させる凄まじい破壊音が響く。反射的にそちらを見やり——僕は、絶句した。


 公衆トイレ、その外壁が完全に崩壊していた。他ならぬ津久茂先輩の体によって、だ。


「…………嘘」


 嘘、と。

 口から漏れたその言葉は、実際のところ願望に近かったのだろう。目の前で、人間の肉体一つでコンクリートの壁が崩れ去るなどという非現実——それが嘘であってほしいという願い。

 

「ハドソン!」


 視界の外から叱責するような声が飛び、僕はそちらを振り返る。

 声は金髪の青年のものだったが、そこに先ほどまでの穏やかさは無い。鋭い、この世の全てを律するような声だった。


「騒ぎを立てるな、俺たちの目的は——」


「てめぇはいつもトロいんだよ!最初からこうしちまえばいい。そこの小坊主含めてな、悪霊ぶっ殺す、、、、、、のが俺たちの仕事だろうが!」


 エルザス、と呼ばれた青年。

 そして大男——ハドソン。津久茂先輩の肉体を、爆弾の如き凶器に変えたのはこの男だ。


 ハドソンは、腰を落としたままに拳を前に突き出した姿勢を保っていた。一見してそれは、敵に握り拳を叩き込む拳法家の構えのようだ。


 いや、違う。「ようだ」ではない。

 この男は今、実際に津久茂先輩にその拳を叩き込んだのだ。その勢いによって、先輩の体は吹っ飛ばされ、そしてコンクリートの壁が崩れた。


「……っ!」


 だが、そんなことが人間に可能なのか?

 コンクリートを砕く、しかも他人の肉体を介して間接的にだ。その結果を現実に顕現させるためには、いったいどれほどの力が必要になるのだろうか?


 とっさに振り向いた時に見えた津久茂先輩の体は、まさしく惨状だった。

 腹部はその輪郭を大きく歪ませ、恐らくは肋骨ごと体組織は破壊されているはずだ。口からは大量の血を吐いていた。あんな状態で人間は、生存できるものなのか——?


「つ、くも先輩——」


 僕は、何をしようとしたのだろう。津久茂先輩の元に慌てて駆け寄ろうとしたのだろうか?それともただ逃げようとしたのか?

 どちらにせよ、脚を動かして何かをしようとしたはずだ。だが僕の両脚——不自由な右足も無事な左足も、ピクリとも動かない。


 極限の緊張、あるいは恐怖によって脚がすくんでしまっている。

 まるっきり理解不能な現状ではあるが、少なくとも僕の命に、差し迫った危機が近付いているのは分かっていた。


「何をしてるの、逃げなさい‼︎」


「——っ!」


 脳を鋭く律する、凛とした声。そのおかげで僕は、固まった脚を動かし、ベンチに立てかけた杖を掴んで、その場から逃げ出す事ができた。

 無論、僕を助けた声の正体はイミナさんだった。


 しかし——まずい。僕は走ることが出来ないのに。


 十年前の交通事故で、僕は足の一部を失った。

 右足の爪先から十センチほどの部分だ——幸いにも日常生活を送るのには、さして影響のない規模の負傷である。


 だが負傷は負傷。完全に不自由が無いとは言い難い。

 少なくともこの足では、全力疾走は不可能だ。右足の欠損部分には、一応の埋め合わせにプラスチック製の義足が施されている(足先だけで義足というのか分からないけれど)。だがこれは、関節などは付いていない安物なのだ。


 一度片足の半分を、テーピングでもしてガチガチに固定してから走ってみるといい——いや、やっぱり走っちゃダメだ。絶対に転んで怪我をすることになるから。


 だから。

 杖があっても——僕に出来ることは、"みっともない"逃亡でしか無い。よたよたと、がくがくと足を動かす、不完全な逃亡。


 公園の敷地を出て、寝静まった住宅街を逃げる。僕の横を、浮遊したままにイミナさんも追従していた。


「あ、あいつら……何なんだよ、一体⁉︎」


 息を切らしながら、僕は静寂をはばかることなく叫ぶ。


「イミナさんこと、見えてたみたいだし……優しい顔して声かけてきたと思ったら、いきなり津久茂先輩が……!」


 ハドソンと呼ばれた大男は、悪霊退治が仕事だ、という節のことを言っていた。

 "悪霊"という単語の意味はわからないが、あの場で霊という類のものならば、イミナさん以外に考えられない。


 だが、どういうことだ?

 僕はイミナさんの他に幽霊を見た事がないのと同じように、僕以外にイミナさんを見ることのできる人間に会ったことも一度もない。


「考えるのは後!」


「……くそっ!」


 僕の胸中の混乱を察したのだろう、イミナさんに鋭い声で言われ、僕はごちゃごちゃと考えるのを中断した。


 十字路に差し掛かって、僕は何も考えず、右に曲がった。

 この辺りの地理など一欠片も分からないが、真っ直ぐ逃げるよりも色々なところで曲がった方が良いはずだ。


「そのまま真っ直ぐ行けば人の多いところに出るわ!」


「っ、はい……!」


 イミナさんに言われた通り、僕はひたすらに全力で、道も分からぬ入り組んだ住宅街を走り——唐突に、後方から言いようのない衝撃に襲われる。


「ッ——⁉︎」


 体が宙を浮く感覚があった。地上の重力から一瞬逃れ、僕は次の瞬間、地面に叩きつけられた。


 衝撃に体を飛ばされるその過程で、僕は自分が間一髪で命を拾ったことを理解した。

 一歩後ろ、僕が一秒前まで走っていた位置——そこに、強烈な筋力に支えられたハドソンの踵が振り下ろされていた。


「ぐ、う……っ」


 コンクリートの上を、僕はろくに受け身も取れずに転がる。

 古いアスファルトが僕の腕の皮膚を抉った。鋭い痛みに襲われて、顔をしかめる。


「逃げられるつもりだったのか?その足で?随分と楽観したなぁ、小坊主」


 大砲を思わせる、ハドソンの声が響く。その後ろには、エルザスと呼ばれた金髪の青年もきちんと追いついていた。


 ハドソンの踵落としの直撃を受けた場所は、隕石でも落ちてきたのか、広範囲にわたってひび割れ、地面そのものが沈んでいるようだった。


「嘘だろ……っ⁉︎」


 先ほどと変わらない言葉を、僕は吐き出す。


 たかが一人の人間の踵落とし。中学校でそれが対人で行われれば立派ないじめだが、この場においては、もはやそれは殺人凶器の概念と化していた。


 コンクリートで舗装された道路を破壊するほどの威力。

 それが人間の生身に与えられた時、何が起こるかは想像に難くない。


 ——僕は、馬鹿だ。


 さっき僕は、並んだハドソンとエルザスを見て、「うち一人は明らかに堅気ではない」と表現した。

 しかし、こうして見てみると、明らかにこの二人は、二人ともが異常としか言えなかった。


 もう口元に笑みが無いのは当然だが、地面に横たわる僕を見下ろす、エルザスの目——そこにあるのは、ひたすらの虚無だ。命と意思ある人間を見る目では無い。


 こいつらは——化物だ。


「っ、くそ!」


 転倒した時に転がった杖を拾って、僕はなんとか姿勢を立て直し、安定しないバランスで逃走を再開する。

 転んだ時に打ち付けた身体中が痛んだが、気にしていられる時では無い。何が何だかわからないが、僕を殺そうとしてくる、この化物たちの手から逃げなければ——いや、でも。


 逃げるって——どこに、どうやって?


 ある程度間をおいて、入り組んだ住宅街を走った後ですら、簡単に追いつかれたのだ。たった今命を拾ったのは単なる偶然、奇跡とも呼ぶべき不条理に過ぎない。

 それがこの至近距離から逃げたところで、もう助かるはずがない。


 諦め。

 命を諦める——それは、十年前にも味わった感覚だった。広義において、この状態は絶望と表現される。


 事実、ハドソンは背後ですでに僕に対する再三の攻撃態勢をとっているようだった——背中から伝わる、全身が総毛立つような感触がそれを教えてくれる。なら、これが殺気というやつなのか。


 風圧が感じられるまでにハドソンの拳が接近する——僕は内臓の全てを破裂させて死ぬのか。最悪だ…………、


「————手を!」


 諦めと絶望に支配された脳内に、再びその声が入り込む。僕の全てを覚醒させてくれる声だ。


 僕は、目の前の景色を見ることに神経を注ぎ直す。

 そこに差し出されていたのは、白く細い、傷ひとつない腕——イミナさんの、幽霊の手だった。


 彼女は、何をしているんだろう?

 

 通常なら、それが僕の腕を引き、窮地から救うための行動なのだと理解できる。

 だが、幽霊はモノに触ることが出来ても、人と触れ合うことは出来ない——他ならぬイミナさん自身が言ったことだ。事実、僕はこれまでイミナさんの存在に直接触れたことは無い。

 

 何を、そんな無意味なことを。

 だか僕はしかし、背中の皮膚一センチにまで迫った化物の手から逃れるように、そこ白い手を——掴んだ、、、


「————⁉︎」


 驚く間も無く、イミナさんの手は僕を体ごとそちらに引き寄せる。あるいは、それはすぐ後方、ハドソンの肉体が再び作り出した衝撃波よりもずっと強く感じられた。


 何が起きているのか理解できない、不安なのか混乱なのかよく分からない感情にほだされて、僕は目を瞑ってしまった。なので、事細かにこの身に何が起きたのかは分からない。


 だが気付くと僕は、包み込まれるような感覚の中にいた。

 人に抱き抱えられる、、、、、、、、、という感覚——それは十年前から、永遠に失われたはずのものだった。


 たまらずに目を開け——僕は驚愕した。


 すぐ近くに、イミナさんの顔がある。慌てて視線を外すと、今度は遥か下、、、に、住宅街の明かりが見えた。


「な————っ」


 何かを言おうとして、しかし何もいうことが出来ず、ただ中身のない驚嘆の声だけが漏れる。


 周囲に人工物は何一つなく、下を見ても足をつくべき地面はない。

 決して触れることのできないはずの彼女に抱かれ、僕は——空を飛んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る