108.会えてよかった

 ――いたたまれない!


 目の前で呆然としているフリッツとデボラに、萌香はこんなはずじゃなかったのにと内心頭を抱えた。

 この二人に会うのなら、普段よりも絵梨花っぽく振舞おうと思っていた。つまり、THE・お嬢様を演じるつもりだった。

 なのに、会ってそうそう泣きそうになるわ、ヤキモチ焼いているところを見られるわで散々だ。正直食事の味なんてさっぱりわからなかった。もったいない。


 それなのに、どうやらフリッツとデボラが不思議そうに見ているのがアルバートのほうだと気づき、萌香は首をかしげる。


 ――そんなに以前と違うのかしら? 


 またガルガルしながら萌香の肩に手を回すアルバートを見上げる。 

 確かにいつもと雰囲気は違うような? 萌香がそんなことを考えていると、トムが上品に顔を背けて吹き出し、またもやメラニーがクスクスと笑い転げた。

 今日のトムの雰囲気がちょっとだけ意地悪な気がするのは、たぶん絵梨花とフリッツとの婚約解消にずっとモヤモヤしてたからなのだろう。噴き出したトムからは、少し前まであった影のようなものがきれいさっぱり消えていた。



「ようするに、アルはフリッツにヤキモチを焼いていたのよね」

 ニコニコと、それはそれは楽しそうにメラニーがとんでもないことを言うと、フリッツが「はあ?」と間の抜けた声を漏らす。

「アルが、俺に?」

 何かとんでもないことを聞いたような目でフリッツがアルバートを見ると、アルバートのほうは微かに目をそらしてしまう。


 ――え? まさか本当に?


「他のやつになら絶対負けない自信があるけど、フリッツだけは別だろう」

 なんでもないような声なのに、微かにふてくされているような雰囲気を感じ、萌香は首を傾げ、フリッツは目を丸くした。

「ちょっと待て。お前本当にアルなんだよな」

「しつこいぞ」


 本気で戸惑っているフリッツの後ろで、デボラも同じ表情をしている。

「あの、フリッツさん」

 もぞもぞとアルバートの腕から抜け出し、アルバートから目が離れないフリッツに声をかけた。

「なんだい、エリカ」

「私のことは? デボラさんもそうですけど、アルバートさんのことばかり驚いてますよね?」

 もしや記憶喪失については全スルー?

 いや、別に構わないのだけれど。でも絵梨花と萌香ではずいぶん雰囲気が違うはずなのに?

「「エリカはエリカだから」」


 フリッツとデボラが異口同音に答える。

 ハモったことで、二人がにっこり微笑み合うのが微笑ましい。

 ――うん、仲良しさんだ。


「話し方や雰囲気は違うけれど、言ってることはエリカのままなんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。まあここで、エリカと二人きりで話をさせてほしいなんて言っても――ああ、うん。アル、やらないから。たぶんもう、話してもいいんだと思う」

 そこでフリッツとデボラが「ねっ」と頷き合い、今度はデボラが口を開く。


「前のエリカなら嫌がったでしょうけど、今ならね。――エリカ、今のあなたは、普段から私やフリッツに見せていた姿そのままに近いのよ」

 甘えていたってそういう意味だったのかと萌香が納得していると、なぜかトムとアルバートがショックを受けたような顔になった。

「今のエリカは可愛いだろ?」


 ――このお兄様、言うに事欠いて、何を言ってるのかしら。


 萌香として初めて会った日からそう言っているが、トムたちにとっては絵梨花と萌香の差は雰囲気の違いらしい。なのにフリッツ達には見慣れた姿だという。


「エリカはもともと可愛いよ」

 それは小さな子どもなんかに言うような雰囲気で、思わず萌香はポッと頬を赤らめた。

「フリッツ~」

「はいはい。妬かない妬かない。アルたちが見ているようなエリカのことなんて、俺達は昔から知ってるんだからね。さっきみたいに恥ずかしがってオロオロするところとかさ。――変わらないよ。根っこはそのままだ」

 その温かい笑みに、萌香はなんだかくすぐったくなる。

 素の自分を見せても大丈夫だと、ずっとエリカが信じてた人なんだと理解した。


 ――絵梨花は本当に、フリッツさんをお兄さんみたいだと思ってたんだって、今ものすごく納得しちゃったわ。


 ある意味近すぎる人だ。フリッツをトムより上位に置いていたのは、トムがはじめから、エリカの言葉を信じてくれなかったことが大きいのかもしれない。まあ、仕方がないことではあるけれど。


「絵梨花は、フリッツさんとデボラさんの側にいるのが、本当に心地よかったんだと思います。お二人が幸せそうで、すごく嬉しい。会えて本当によかったです」

 それは心からの萌香の本心だ。

 絵梨花の日記では、今後の計画や立場の関係で、二人を大っぴらに祝ったり、結婚準備の手伝いができないことを残念がっていた。本来なら近しい人が祝いで行う何かを。


「アルバートさん、二人に会えるようにしてくれてありがとうございます」

 彼が言いださなければ、この先数年は会えなかったかもしれない。

 そう思って感謝の言葉を告げる萌香に、アルバートは柔らかく微笑んだ。

 そこにデボラがやって来るのでごく自然に萌香が立ち上がると、彼女は萌香の両頬に音だけのキスをした。

「私もありがとう。とても驚いたけど、今も信じられないけれど、でもエリカが幸せそうで嬉しいわ」

 そしてアルバートと萌香を見比べる。

「二人は、そういうこと・・・・・・、で、いいのよね?」

 確認するように言葉を切りながら話すデボラに、アルバートが「結婚したいと思ってるよ」というので萌香は赤くなる。でもデボラのほうは萌香の肩を抱きながら、少し冷めた目でアルバートをじっと見つめた。


「せっかくだから聞いておきます。どういう風の吹き回し、アルバートさん。この子のことはあんなに避けてたじゃない」

「デボラさん」

「ごめんね、エリカ。でもどうしても聞きたいの。私はもう、あなたを泣かせるようなことはしたくない」

「泣いたことなんてないですよ?」

 それは記憶がないからだろうというデボラは、まだ心の底に罪悪感が残っているのだろう。萌香は彼女の柔らかい体をギュッと抱きしめた。

「本当よ、デボラさん。泣いてなんかいないわ。あなたたちのことなら、ずっとずーっと前から応援してたもの」

「エリカ、記憶が?」

 絵梨花のように話した萌香は、驚くデボラに首を振る。


「記憶がなくても分かるわ。デボラさんとフリッツさんに会って、一目で大好きだって思ったの。私のほうこそ泣かせてしまってごめんなさい。心配してくれてありがとう」

 そして、彼女の耳元で内緒話のように「今の私は、アルバートさんのことが好きで大切なの。幸せなのよ」と囁いた。


 こんな身近な人にまで完璧に気持ちを隠し通した絵梨花の代わりに、萌香は恥ずかしさを精一杯押し殺して素直な気持ちを吐露した。

 それが通じたのだろう。デボラは頬を染めて目が輝くも、顔だけはまじめに保ったまま萌香の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

「大事にしてもらってる?」

「ええ、とっても。私にはもったいないくらい」

 ついつい弱気な本音まで吐露してしまい、しまったとアルバートを見ると、目だけで叱られたので小さく笑って肩をすくめた。


「いやだわ、この子ったら。アルバートさんの変化も信じられないけど、ますます可愛くなっちゃって。ほんと、子猫みたい」

「子猫?」

「さっきアルバートさんも言ってたじゃない? 毛を逆立てた子猫みたいだって」

「あ……」

 アルバートの話で聞こえなかった部分はそれだったのかと気づく。

 メラニーたちの生暖かい視線にも気づき、萌香は目を泳がせた。年上の人から可愛がってもらうことは萌香としても多かったけれど、それよりずっと親密な雰囲気が急に気恥ずかしくなった。


「あの。アルバートさんて、前はどんな感じだったんですか? 絵梨花が苦手だったことは本人からも聞いて知ってるんですけど」

 主に恋人の前でと尋ねた萌香に、アルバートは「そんなこと聞かなくていい」と顔をしかめたが、後ろからすかさずフリッツが「かっこつけてた」というので思わず吹き出してしまった。


 みんなから次々上がる以前のアルバートは、女性の前ではクールでカッコいい感じだったようだ。来るもの拒まず、去る者追わず、なのに女が途切れない。


 ――うん。絵梨花の日記の通りだけど、生の声を聴くとまた違うわね。


 こんなことを余裕のある気持ちで聞けるのは、いかに今のアルバートが萌香を特別だと思っているかということを、皆が身振り手振りで異口同音に交えること。それからアルバート本人の、いかにも黒歴史だと言いたげな表情のせいだ。


 まださっきの女性のことはモヤモヤしているけれど――。

 そんなことを考えたとき、フリッツが萌香の前に立って顔を近づけたのでビックリした。顔の近くで「チュッ」とリップ音がした瞬間、思わず振り上げた手をフリッツが笑って止める。


「えっ? えっ?」

 ――何今の。なんでキスしようとしたの?

「さすがにここでぶたれると誤解を招く」

「え、でも」

 混乱する萌香に、フリッツは微妙に高い声で「おめでとう、アル。彼女に会えるのが楽しみだわ」と笑ったので、さらに呆然とした。これはモノマネ?


「さっきアルに起こったことの再現だよ。――はいはい、アル、俺を睨むな。エリカが気にしてたから教えただけでしょ。お前が教えてやらないから悪いんだぞ。かわいそうに、ずっと気にしてるじゃないか。――エリカ、これは親しい間柄で普通にある祝いだよ。さっきの女性はアルの親戚だ」

「親戚?」

 なんで気にしてるのがばれたのだろうとか、フリッツの演技力が高いなとか、驚き過ぎて考えがまとまらない。


 アルバートはしまったという顔で頭を掻き、「すまなかった」と頭を下げた。

「さっきの女性はエステルだよ。紹介したかったんだけど、今は急いでるらしくて」

 その名前に萌香はさっと青褪める。

 アルバートの親戚でエステルと言えば、冬に萌香が世話になる白薔薇亭の主人ではないか! パウルの義理の姉と聞いていたので、あんなに若いとは思っていなかった。

「どうしましょう。私、挨拶してない!」


 オロオロする萌香に、メラニーがいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「まあ、アルの元カノでもあながち間違いじゃないわよね?」

「えっ?」

「メラニー、頼む。話をややこしくしないでくれ。萌香、違うから。パートナーが必要だっていう行事に、二回付き合ったことがあるだけだから。挨拶は今度会ったときにな。楽しみにしてるらしいよ」

 最後の一言を誇らしげに告げるアルバートに、萌香はホッと息を吐いた。


「エステルさんは、私の顔を知ってたんですか?」

 さっき萌香に笑顔を見せたのは偶然ではなかったのだと気づいた。

「どうだろう。小さいころ何度か会ってるから覚えてるんじゃないか」

「エリカは一人でも白薔薇亭に行ったことがあるわよ」

 アルバートに頷こうとした萌香は、デボラの言葉に驚く。

「ほら。マリーの実家が近いから。――ああ、マリーのことも覚えてないのね」


 皆、今のマリーの状態を思い出したのだろう。しんと沈黙が落ちるが、ふと気づいたようにフリッツが「ところで萌香って?」と聞いた。

「ああ、記憶のない今のエリカの愛称だよ」


 トムがいつもの説明をする。

 席に座りなおして萌香とアルバートの馴れ初めをメラニーたちが話すのを他人事のように聞きながら、テーブルの下でアルバートが萌香の手をそっと握った。


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◆ お知らせ ◆

多忙につき、次回更新日は未定です。

代わりと言っては何ですが、今後の展開を予告まんがにしてますので、よろしかったらご覧ください。


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