109.侍女(レディズ・コンパニオン)
十月下旬からの萌香の派遣先は、アルバートのイトコであるミアの家――フテン家だ。
もともと十一月末あたりから白薔薇亭への派遣が決まっていたのだが、空白期間があるならその間是非にと呼ばれたと聞いている。
仕事の内容は今までとは違って「侍女」だ。
侍女といっても、茶会のときミアについていた世話係のような仕事ではなく、姉妹や友人のような役割。萌香の耳には侍女と聞こえるけれど、昔小説で読んだレディズコンパニオンに近いのかなと理解している。
「ミアさんは、一か月間も学校を休んでしまうんですね」
最終的な打ち合わせが終わったとクリステルに呼ばれ、ミアの母スザンナと二人きりになった時。期間と仕事内容について話を聞いた萌香が複雑な気持ちでそう言うと、スザンナのほうは満面の笑みで「問題ないわ!」と請け合った。
「こう言ってはなんだけど、エリ……萌香さんに来てもらえる貴重な機会ですもの」
あえて仕事用の名前ということにしている萌香と呼び直したスザンナは、どこか彼女の姑である女王と似たいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。私でお役に立てるでしょうか」
ミアが学ぶのは、ごく普通の学問やダンスなどの基礎教養だ。
萌香としては、絵梨花が学んできたであろう体験を一緒にさせてもらっていることになる。一応役割としては、萌香がミアに手本となる姿勢を見せ、彼女の背中を押すことだと聞いていた。しかし本音を言えば、エムーア人としては赤子に近い萌香では、かえって足手まといではと少し尻込みしてしまうのだ。仕事だという名目でありながら、今の萌香のためにミアに気を遣わせたのではないかと。
そんな萌香の不安を吹き飛ばすかのように、スザンナは大きく頷いたあと身を乗り出した。
「役に立つかですって? もちろんだわ。むしろ、だからこそよ」
「だからこそですか?」
微かに首をかしげる萌香を見て、スザンヌがクスッと可愛らしく笑った。
「ええ、だからこそなの。萌香さんが一緒に学んでくれるなら、それは間違いなくミアにとっていい刺激になるわ。ミアがあなたを目標にしていたのは知ってるわよね? そのあなたに、自分でも何か教えることが出来るかもしれないと、いつもにも増して張り切っているのよ。人に教えようと思うと、普段より理解が深まるとあの子も驚いていたわ。ね、それだけでもいいことでしょう? まあ、こちらとしては、叶うはずのなかった同級生ごっこを、一緒に楽しんでもらえればいいと思っているの」
目をきらめかせるスザンヌの言葉に、萌香はミアの顔を思い浮かべる。
やはり気を使われていたのは間違いないようだが、ミアが
「あのね、萌香さんは覚えていないでしょうけど、こういうことは決して珍しいことではないのよ。この侍女というのは、体が弱かったり、何らかの事情があって学園に行くのが難しい子につくことが一般的だけど、それ以外にも夏や冬の長期の休暇に色々な世代や地方の子が集まって学ぶことはあるのよ。今回珍しいのは時期くらいね」
同世代の友人と学ぶ機会があるのは、知識を得ること以上の意味を持つ。
それが色々な地方や異年齢の人間となれば、また違った経験になるだろう。
そう聞いて萌香は、サマーキャンプや合同合宿を思い浮かべて納得する。
そんな萌香の様子にホッとしたのか、スザンヌはゆったりと座りなおし、頬に手を当ててゆったりと微笑んだ。
「今回のことは夫も乗り気――というか、もともと彼の提案でね。人選も夫がしたのよ。ミアの友人もいれば、初めて会う子もいるわ」
――女の子ばかりが集まると、ゲイルさんがつまらないんじゃないかしら?
ふとそう思ったのがばれたのか、ゲイルはその期間兄の家に遊びに行くことになっていて大喜びだという。ゲイルはまだ七歳でエムーアでは未就学児だが、彼の兄は二十九歳と二十八歳だというからびっくりだ。今回ゲイルが遊びに行くのは下の兄の家らしく、同い年の甥がいるという。
――クリステルさんもそうだけど、スザンヌさんもアラサーの子どもがいるようには見えないわ。若く見積もっても四十代後半はいってるはずなのに……。
エムーアの人は結婚が早いなとか、子だくさんだなとか、ついついそんなことに感心してしまう。文化の違いなのか、それとも今の萌香の周りがたまたまなのかは分からないけれど。
「萌香さん、これは慈善事業ではなく仕事として依頼してるのよ。夫とはもちろん、クリステルさんともよく話し合って決めたことです。なので気を使う必要も、変に負い目を感じる必要もありません。あなたらしく過ごしてくれれば、それだけで子どもたちに利点がある。そう判断して依頼したのですから、自信をもっていらして」
スザンヌは落ち着いた声でそう話すと、内緒話をするように最後にこそっと、
「私とも少し遊んでくれると嬉しいわ」
と囁いた。
「お化粧のこととか髪型とか、おしゃべりしたいことがたくさんあるのよ。そうそう。パーティーなんかの行事も何度かあるからそのつもりでいてね! 忙しくなるわよ。ああ、楽しみ!」
スザンヌは茶会の時、萌香にメイクしてもらえなかったことがよっぽど心残りだったらしく、胸のあたりで両手を組んで少女のように目を輝かせた。
――もしやそちらがメインでは?
ふとそう感じた萌香は一気に気が楽になり、肩の力を抜いて微笑みを浮かべた。
「承知しました。では精一杯務めさせていただきますね!」
「ええ、期待しているわ。――それでね、ひとつお願いというか、提案があるんだけど……」
◆
そして派遣初日。
いつものように迎えに来てくれたアルバートは、萌香の姿を見ると面白そうに目を瞬かせた。
「ずいぶん若返ったな?」
今日の萌香は十代半ば風の装いだ。
メイド服ではなく和ロリ風の私服に、髪は緩く編んでおろしているなんちゃって女学生風。メイクはナチュラルに見えるよう、早起きして念入りに施した。
スザンヌからの提案は、萌香にミア達と同世代に見せることができないかということだった。
萌香がエリカであることは表向き秘密なので、侍女としておかしくない見た目にできるか聞いてほしいと、スザンヌの夫から言われていたそうだ。
不思議な提案だなと思ったものの、二十歳の萌香よりもミアと同世代の少女のほうがいいのだろうと思い、日々メイクや髪型、しぐさまで研究した。
「どうです? 私、十五歳くらいに見えますか?」
アルバートの前でくるんと一回りして、萌香はおどけて一礼して見せた。
「ああ、見える。懐かしいような、違うような、不思議な感じだ。どうやってるんだ? 魔法でも使ってるのかい?」
「時間をかけてお化粧したんですよ」
「ほぼ素顔に見えるが」
「そう見せるために、むしろ普段より色々塗っているんです」
絵梨花が以前から愛用していたというメイク用品店で、かなり時間をかけてファンデーションをいくつか調合してもらったかいがある。職人さんが目の前で色々な色の粉を混ぜて調合する様は、確かに魔法のようで面白かった。一緒にいたアルバートには同じようにしか見えなかったらしいが。
ふふんと腰に手を当てた萌香の顔を、アルバートが不思議そうにのぞき込んだ。
「若返って見せられる化粧なんて、また母上たちが前のめりで興味を持ちそうだな」
「クリステルさんは今のままで十分お若いですけど?」
こんな大きな息子(しかも第三子!)がいるようにはとても見えない。
「それとこれは別とか言いそうだけどな。今朝は母上には会ってないのか?」
「会いましたよ。すっごく満足そうに笑ってました」
実は研究の過程を一番見ているのがクリステルとメイド長だ。二人からは「上出来」との言葉を貰っている。後ろにいた執事は目を丸くしていたので、吹き出すのを我慢するのが大変だったけれど。
「なるほど?」
分かったような分からないような顔で少し首を傾げたアルバートは、「ま、いいか」と笑った。
「実際それくらいの年の萌香にも会いたかったな」
「絵梨花とはもう知り合ってましたよね?」
「それはそれ。萌香のほうが絶対可愛いかっただろ」
大げさに目を丸くして真面目ぶるアルバートに思わず吹き出す。
「同じ人間ですよ? 意味が分かりません」
それでも、中学生か高校生くらいのときにアルバートに出会っていたらどう感じただろう?
ふとそんなことを考え、何かが心の奥にひっかかる。
それでもそれはさらりと消えてしまい、萌香は考えるのをやめた。
もし日本で彼に会っていたとしても、十五・六歳の萌香では、絶対アルバートの目には入っていないだろう。
――今は四歳差でも、もともと六歳差なんだもんね。
だから出会ったのが今でいいと思い、微かに頬が緩む。
「楽しそうだな。どうした?」
「いえ、今のアルバートさんに出会えて幸せだなって思ってただけですよ」
「――俺としては、すごく遠回りをした気分だけどね」
微かに耳を赤くするアルバートに、萌香は笑みを深める。
「きっと今でよかったんです。色々な経験をしてきた今のアルバートさんがいいんです」
同じ人であっても、過ごしてきた時間がその人を作るのだから。
違う生き方をしてきたなら、萌香にとってそれはきっと、また別の誰かだ。惹かれるかもしれないし、何も感じないかもしれない。絵梨花にとって、Rと同じ人であるはずのアルバートではダメだったように。
「そうだな。――俺も、今のお前がいい」
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まだ定期更新は難しいですが、時々ポツポツ投稿してまいります。
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