インターバル② ~もう一人の?~
八月、日本。
昨日推薦試験が終わったヘレンは、羽田空港で待合せをしている美奈子の姿を探した。
世間はお盆休みに入る直前で、高校もこの期間はほとんどの部活もなく、文化祭の準備も休みになっている。普段はアメリカに行くその期間を利用して、やっと別荘に行くことになったのだ。
もう一人のエリカ先輩にとうとう会える。そのことに不安と期待が否が応でもつのる。
「ヘレーン、こっちー!」
少し先から美奈子が手を振るのが見えた。すらりと背の高い少年――美奈子のイトコ、亀井瑛太と一緒だ。
「ごめん、待った?」
「全然。私達もさっき着いたところだよ。瑛太、ありがとね」
元々東京出身の瑛太は小学生の時栃木に引っ越していたが、高校進学で実家を離れ、今年の春から東京の伯父のところに下宿している。美奈子は昨日瑛太に色々買い物に付き合わせ、今日は羽田まで送ってもらったらしい。
「じゃあ、楽しんできて」とにこやかに立ち去る瑛太を、何人かの女の子が目で追うのが見え、ヘレンは感嘆のため息をついた。
「はあ。瑛太くん、いい子よねぇ。相変わらずイケメンだし」
帰りはまた迎えに来てもらうと言う美奈子にヘレンが素直な感想をもらすと、彼女は「でしょ?」とニヤリとした。
イトコだが双子のような関係だと言う二人は、性別を超えて昔から仲良しだ。
「お土産忘れないようにしないとね」
北海道から戻ったら、瑛太は美奈子を送るついでに栃木の実家に帰省するそうだ。実家がレストランを経営しているので、忙しい時期の手伝いでもあるらしい。彼が店に立つなら、さぞや女性客でごった返すに違いないと思い、ヘレンはクスッと笑う。
おかげで緊張が少しほぐれた気がした。
「ミナ、付き合ってもらっちゃってごめんね」
異なる次元の萌香に会うとき、自分より力の強い美奈子がそばにいるのは心強い。うまくいけば向こう側にいる萌香を引っ張ることが出来る可能性が高くなる。
ヘレンは集中すれば次元のズレや亀裂を見つけることが出来るが、どちらかと言えば時間を超えてしまった人のためのトンネルを見つけることのほうが得意なため、パラレルワールド関連は不得手なのだ。
「ぜーんぜん。普通に旅行だと思ってるもん。北海道楽しみだし、
お兄さんイケメンだしと笑う美奈子に、ヘレンも思わず笑ってしまう。
「琉斐なんか見なくても、瑛太君がいるじゃない」
「それはそれ、これはこれなんです。だいたい瑛太は近すぎてイケメンに見えないんだよね。なのに女子には無駄に私が目を付けられるからめんどくさいし」
高校遠くてで助かったよと、美奈子は笑顔でぶつくさ文句を言う。モテるイトコと無駄に仲がいいのも色々大変らしい。
「例のお友達はどうしてるの?」
次元のズレのきっかけらしい中学の同級生について聞くと、美奈子は「今度キャンプに行くらしいよ」と笑った。「ちょっと面白いことがあるかもね……」と。
「面白いこと?」
「うん。偶然なんだけど、ちょっと人が集まりそうな感じなんだ」
「ふーん?」
美奈子がそれ以上を語らないので、自分には影響がないことなのだろうと判断する。今はヒトのことよりこれから起こることだ。
ヘレンが琉斐に確認をしてから丸一ヵ月。もう一人のエリカ先輩である梨花は、今も記憶を失ったままだ。
今回は、兄が保護した少女が行方不明の萌香であることに気づいたヘレンが、恵里家に連絡をするという筋書きだ。
「手がかりもないのに、いきなり家族に連絡できないもんね」
「うん」
若い男のところに娘がいたと心配されないよう、管理人夫婦以外にも梨花の面倒をみるという名目で、ヘレンの叔母も別荘に滞在している。
兄もアメリカに戻らないまま日本で仕事をしている。在宅とはいえ梨花につきっきりとはいかないのだ。
「ヘレンのパパたちとも、今日別荘で落ち合うんだよね。久しぶりだね」
「だね」
両親ともに出張が多いヘレンは、ふだんお手伝いさんと一緒に過ごす時間のほうが多いくらいだ。
羽田から函館に飛び、そこからタクシーでまっすぐ別荘に向かう。
夏に訪れるのはずいぶん久しぶりだ。
「うわぁ。写真では見せてもらってたけど、実際に見るとすごいね! なんだか海外のお城に来たみたい」
はしゃいだ声をあげる美奈子に、ヘレンはにっこり微笑む。
「実際昔はイギリスに建ってたらしいよ。庭もその時のデザインを八割方再現してるんだって」
「すごーい。凝ってるね。もう、ここに来ただけでも来た甲斐があるわ!」
「こらこら。これからだからね?」
ヘレンが緊張しているので、美奈子はあえておどけて振舞っているのだろう。なだめるふりをするヘレンに、彼女はふわっと優しく大人びた笑みを見せた。
「うん、わかってる。頑張るよ」
だが玄関までのアプローチを歩いていると、美奈子が突然立ち止まる。
「ミナ?」
「見て。すごい、綺麗な人……」
美奈子の視線の先には、ヘレンの叔母に付き添われるようにして歩いている梨花の姿があった。違う次元から来た、もう一人の恵里萌香が。
「っ!」
思わずヘレンの目頭が熱くなる。
そこにいるのは違う次元の恵理萌香のはずだ。
ヘレンたちのような
――でもエリカ先輩だ!
普段は控えめで地味とも言えるような女の子なのに、演劇の舞台に立ったり裏方にいるとき、驚くほど美しくなる人。
いつもは地味なベールを被って素顔を隠しているようなのに、それを取り払ったとき、誰もが魅了されずにはいられない女の子。
今目の前にいる梨花にはベールがない。だがヘレンがいつも感じていた「気」を確かに感じる。ベルベットのような、温かい「気」を!
「エリカ先輩!」
思わず駆け出していた。こちらに気づいた叔母が「あら」と呟くのが聞こえた気がするが、ヘレンはいつも萌香にしていたように
「エリカ先輩エリカ先輩エリカ先輩!」
心配してた。会いたかった。
この人は違うのに、違う恵里萌香なのに。
自分にはその差が分かっているのに、それでも慕う気持ちが湧き出す。
◆
ヘレンは小学生まで、自分の名前と容姿がコンプレックスだった。
当時のヘレンはやせっぽちで小さくて、なのにいつも俯き加減で猫背。みんなと少し違う容姿、髪の色、目の色が嫌でたまらなかった。家族は大好きだったから家にいるのは好きだったけれど、一歩外に出れば人の目が嫌でたまらなかったのだ。
そんなとき、中高生の演劇発表会に行く機会があった。
当時唯一の友達だった亜子の姉が出るから、と。
理由は忘れたが、本当は入れないはずのリハーサルの時間から会場に入ることを許された。目の前で繰り広げられる本番とは違うそれは、ヘレンにとって不思議な光景だった。亜子が夢中で見ているから付き合っていたが、どうせなら本番だけのほうがよかったと、少し退屈だったのだ。
それが変わったのは、舞台に萌香が現れたときだ。
その日はたまたま舞台に立つ予定の子が遅刻をしていたとかで、リハーサルで代役に立っていたのが萌香だった。
大道具さえ入れていない簡単なリハーサルだ。ただの小ホールの舞台のはずなのに、違う世界が見えた気がした。自分の力とはちがうその感覚に、さわさわっと羽根で腕を撫でられるような心地がした。一瞬にして、恵里萌香の作る「世界」に魅了された。
本番も素晴らしかったけれど、やっぱりヘレンには萌香が代役で立った舞台が忘れられなかった。
劇が終わった後、ヘレンは一人で楽屋出口で待って、萌香に声をかけに行った。
「あの」
まだ内気で、声も蚊の鳴くような大きさのヘレンに萌香は気付いてくれた。
当時、萌香よりもずっと小さかった自分に目の高さを合わせ、「どうしたの?」と聞いてくれた。
「あの、リハーサルにお姉さん出てましたよね。あの、あれ、すごく、好きでした」
勇気を振り絞り、震える声で懸命に伝えた。
あの感動は百の言葉にしても足りないと思うのに、出てきた言葉が好きの一言で、その不甲斐なさに涙が出た。
でも萌香は、「ほんと? ありがとう。嬉しいな」と微笑んでくれたのだ。
その時の包まれるような安心感をヘレンは忘れられない。
気付いたときには、来年自分も同じ中学に入学するから、そしたら演劇部に入りたいと訴えていた。
「待ってるね」
「はい!」
はじめて大きな声で返事をした。記憶にある限り、あんなにはっきり返事をしたのは初めてだった。名前を聞いてくれて、本当に本当にうれしかった。
いつも「宮本変」とからかわれるヘレンと言う名前を、「うわぁ、太陽を表す名前だよね。すごく綺麗だわ。似合ってる!」とほめてくれたのだ。
そして春、萌香は本当に待っていてくれた。
「宮本ヘレンさーん! いらっしゃい。待ってたよ!」
と。
◆
「梨花さん、すごいオーラだったわ。これは琉斐さんが東京に帰すのをためらうわけだ」
いったん荷物を置きに客用寝室に案内された美奈子だが、すぐにヘレンの部屋にやってくるとベッドに腰かけた。そして少し放心状態のヘレンを見つつ、感心したようにうんうんと頷く。
突然抱き着いたにもかかわらず、ヘレンを抱き返してくれた梨花は少しだけ驚いたような顔をしながらも、当たり前のように笑って「どうしたの?」と言った。まるでヘレンのことを覚えているかのようにだ。
記憶はないものの、言動が年相応になってきているとは聞いていた。
幼女からやり直すかのように、一日一日成長していっていると。
よくよく見れば萌香より少し幼い気もするし、逆に大人っぽいような気もする。
しかし萌香の家族が見れば確実に、梨花を萌香だと断言するだろう。耳の後ろの花のような痣まで同じなのだ。疑いようがない。
それでも兄が懸念していたことが何かがよく分かった。
意識的か無意識かはわからないが、いつも萌香を覆っていた地味なベールがない今の梨花は、どうにも目を惹かずにはいられない女の子なのだ。
ヘレンが知るそれは、彼女が演劇をしていた時にだけ見られる美しさだったけれど、本当の意味で「素」の状態だと、美奈子が言うようにオーラがすごすぎる。これはヘレンにとっても誤算だった。
「うん。あのままじゃ、どうしても注目を浴びちゃうわ……」
あの特殊な東京での事故。その事故の後、なぜか記憶喪失になって北海道で発見。
それだけでも十分話題になるのに、今の梨花ではマスコミがまず放っておかないだろう。梨花の負担を考えれば絶対避けなければならない。
「ここは瑠偉さんの提案通り、ほとぼりが冷めるまでこっちで過ごしてもらった方がいいかもしれないわね」
「そうかも……」
萌香の家族には早く安心してもらいたいのは山々だが。
「本物のエリカ先輩を、できるだけ早く連れ戻せるのが一番なんだけど」
大きくため息をついたヘレンに、美奈子が少し眉を寄せた。
「それなんだけど……。あの梨花さん、この次元の人だよ」
「えっ?」
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