85.カードの返事

「今日はありがとうございます」

 まだ用事は残っているが、自動車の後部座席から萌香は改めて二人に礼を言った。

 カイが日本人だったことも、生れた年代が近いこともすべて偶然だ。萌香はただ確認に必要なだけのツールだったかもしれない。それでも、二人が連れてきてくれなければ出会うことはなかっただろう。


「楽しかったか?」

 優しい声でアルバートにそう問われ「はい」と頷く。ふんわりと包まれるような声に、胸の内がほこほこと暖かくなった。


 それでも予定より長く店にいたため、何か聞きたいことがあるという話については場所を移動することになってしまったのが、少し申し訳ない。


「それは問題ないさ」

 パウルが振り返って笑顔を見せた。思った以上の収穫だったから、と。

 ミラー越しにもアルバートが頷いて見せる。

「次オーサカ屋に行くときは、俺も一緒に行くから」

「お料理教室の時ですか? ああ、お仕事ですものね」

 大変だなと思いそう答えると、パウルの肩が小刻みに震えるのが目に入る。

「いや。俺も萌香の料理を食べてみたいし、作ってみたい」

 アルバートは料理もするのかと素直に納得した萌香だが、

「でも私、小洒落た料理とかできないですよ?」

 申し出は嬉しいけど――と苦笑する。

「普通の家庭料理しかできないから、所帯じみてるって……」


 ふと、一条修平のことがぼんやりと思い浮かぶ。

 一度だけデート(だと思っていた)に弁当を作って行ったとき、女の子ならもっとかわいく華やかにするものじゃない? と笑われたことがあるのだ。多分同世代の女の子ならそうするだろうなと素直に思ったので、「そうだね」とそのまま持ち帰ったことがある。内心しょんぼりしてけれど、弁当は信也と部活仲間のおやつとしてぺろりと食べられた。文字通り、瞬く間に。


 ――ふふ。あの食べっぷりは見てて楽しかったな。さすが食べ盛りって感じ。


「誰かにそう言われたのか?」

 ひんやりしたアルバートの声に物思いからさめた。

「いえ。向こうの一般論ですけど」

「ふーん?」

 ――な、なんだろう。私、まずいこと言った?

 しばらく沈黙が落ちた後、アルバートは「俺はうまいと思った」と唸るように言った。

「えっ?」

「卵焼きとマヨネーズがあれだけうまかったんだから、他の料理も絶対うまいと思う」

「あ、ありがとうございます」


 ――意外と食いしん坊でしたか? それとも日本の料理が好みだったとか?


「萌香は――慣れ親しんだ料理なら、たくさん食えるだろ? お前はもう少し太るべきだ」

 思いもしないことを言われ、思わず「へ?」と間の抜けた声が出る。

 だがパウルもうんうんと頷いているので、二人とも本気で萌香が太ったほうがいいと思っているらしい。


「私、太るとまっさきに顔にお肉がつくんですよ。ほっぺたぱんぱんになっちゃいます」

「さっきの写真は健康的で可愛かったし、いいんじゃないか?」

「え~。美少女の隣でそれはないですよ。しかもあれすっぴんですし、お世辞でもあんまり嬉しくないです」


 絶対絵梨花は太ってたことはないと思う。

 年頃の娘に太れはないよなぁと思いつつ、修平からは痩せたほうが可愛くなると言われたことも思い出した。萌香は顔に肉が付きやすいだけで、服のサイズはSからMだったのに、だ。

 今は確かにあばらもかなり浮いている自覚はある。でも、同じ人間である絵梨花を写真や動画で見てしまった今となっては、太るのは避けたいところだ。萌香は、きちんとエリカの役割を果たすと決めたのだから、見た目ぷくぷく聖女はまずいだろう。


「お料理教室の件は、カイさんがいいって言ったらですね。ダメだったら、他を考えましょう」

 教えることに関してはやぶさかではないと話を戻す。

 おそらくカイたちが嫌がることはないように思うが、実際聞いてみないことにはわからないからだ。

「アルバートの部屋のキッチンは、でかくて使い勝手よさそうだよな」

 なんならそっちで料理したらとパウルが言う。調査の一環だろうか?

「女の人はいます?」

 と萌香が尋ねると、アルバートが「いるわけないだろう」と言うので、

「じゃあダメですね。もしもの場合は他を探しましょう」

 と肩をすくめた。

 いくら調査だろうと、男性しかいない、しかもプライベートな部屋に行くなんてありえないからだ。


「ああ、そっちか」と呻くようにつぶやくパウルに「余計なことを言わないでください」とアルバートは素早く囁いたが、萌香はちょうど何か声が聞こえた気がしてそちらのほうは聞いていなかった。


 ――なんだろう。呼ばれたような気がしたけど……。


「そう言えば、何か私に見せたいものがあるんでしたよね。今から入れるお店とかあるんですか?」

 時間は十時を回っている。日本ならファミレスなどもあるが、こちらではよく分からないと思って尋ねると、「いや、今日は遅いから明日にしよう」と言われてしまった。


「でも明日は……」

「午前なら大丈夫だろう。姉上は昼を食べてから来るように言っていたよ」

 それでも朝から向かうつもりだった萌香が戸惑っていると、パウルも頷いて見せる。

「早く行っても困らせるだけだろうな」

「そう、ですか。じゃあバスの時間を調べ直さないといけませんね」

 あまり時間に正確ではないことが分かっているので、余裕をもって出るべきだろう。

「萌香。俺も明日行くんだから送っていく。心配するな」

 ちょっと呆れ気味のアルバートの声に、そういえばそうだったかもと思い、萌香は少し笑った。

「ありがとうございます。じゃあ、このままアルバートさんたちもダン家に泊まるんですよね?」

「いや、パウルさんは泊ってもらうけど、俺は一度部屋に帰るよ。ずっと留守にしてたからな」

 たしかに一か月も留守にしていたなら心配だろう。郵便物、もといカードもたまっているかもしれない。


 なのでダン家につき、アルバートたちが執事やクリステルたちとあいさつなどを交わしている間、萌香は急いで自室に走って戻ってきた。

 五分とかからなかったのに、すでに外に行こうとしているアルバートを慌てて呼び止める。

「あの、これを」

 差し出した紙の束を見て、アルバートが少し首をかしげる。

「カードの返事です。毎日貰ってたのにこちらから返事は送れないじゃないですか。だから会ったら渡そうと思って」

 アルバートの出張先にはカードを送ることが出来ない。それは、急に移動になることも多いためだ。なら電話に出ればいいのだが、やはりよそのお宅の電話だし、純粋にカードを作るのも楽しかった。


「あの、よければここでいくつか見てくれますか?」

 のぞき込もうとしていたパウルを睨んでいたアルバートだが、萌香が期待に満ちた目で見ると戸惑ったような顔をし、次に苦笑いのようなものを浮かべて一枚カードを封筒から出す。それを開いた瞬間、目が丸くなったので萌香は笑みを深めた。

 それは萌香が手持ちの用紙で作った飛び出すポップアップカードだ。


「アルバートさんからは素敵なカードを貰ってるから、私も楽しいカードを送りたいなと思って作ったんです」

 作れたのは五通分だけだが、アルバートが開いたのは虹が飛び出すカードだ。

 パウルが「こりゃ、面白いな」と顎を撫でている。

 アルバートはどうだろう、喜んでくれたかな? と様子をうかがうと、丸くなっていた目が細められ驚くほど優しい笑顔になったので、今度は萌香のほうが目を丸くした。


 ――うわ、なにこれ。アルバートさんがめちゃくちゃ可愛いんだけど!


「こんなカード初めて見たよ。他のもこんな感じなの?」

「あ、はい。あとは帰ってからでも見て下さい」

 予想していた以上の笑顔につい見惚れ、アルバートの柔らかい声に急にどぎまぎしたのを悟られないよう、萌香はできるだけ落ち着いた声で返事をした。


「そうする。ありがとう、萌香」

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