78.家族会議

 夜はラピュータにあるイチジョーの別宅で夕食をとる約束だったので、イナと萌香は予定を早めてダン家から直接そちらに向かうことにした。


 イナに会いに行ったときは「娘のエリカ」としてだったのでいったん外に出て、正面からダン家を訪問をしたのだが、執事が「お客様」として萌香を扱うため笑いをこらえるのが大変だった。

 普段は上司だが、なんとも完璧な切り替え!

 今後もあれは見習おうと決める。なりきりトレースは得意技だ。


 イナが来るまで控室で待たされたのだが、その間茶を持ってきたのが昨日厨房で萌香に仕事を押し付けた先輩メイドの一人だった。

 ――気付くかな?

 少しいたずらめいた気持ちで見ていると、なぜか彼女は少し頬を染め、チラチラと媚を売るような目で見てくるので仰天する。表情には出さないように頑張って澄ましていると、

「あの」

 と小さい声で話しかけられた。

「イチジョー・エリカ様ですよね。私以前、遠くからですけど舞踏会を見たことがあるんです。とても素敵でした」

 それはかつてミアに言われたことと同じ内容だ。


 絵梨花のダンスは以前動画で見たが、同性を惹きつける力がすごいんだなぁなどと感心してしまう。とはいえ声を出すとまずいかな? 萌香だとバレるかな? と考え、小さな声で「ありがとう」と言ってにっこり笑っておく。

 嬉しそうに頬を染める姿は普通の女の子だ。

 ただのミーハーなのだろうが、名残惜し気に退室するのを見送りながら(意地悪なんかしなければいいのにね)と思い、肩をすくめた。


   ◆


 ラピュータにあるイチジョーの別宅は、ヨーロッパの古い街並みにある細長いマンションと言った感じの雰囲気だ。街中の道沿いにずらっと並ぶ建物の一つで、奥に庭などがあると言う。

「外は全然違いますけど、中の雰囲気はロデアの本宅と似た感じですね」

 萌香がキョロキョロしながらイナに感想を漏らすと、対応してくれていた執事が微妙な表情をした。気の毒そうな、あるいは不思議そうな感じだろうか。

 シモンとトムは仕事でまだ帰ってきてない為、三階にある絵梨花用の部屋で待つことにした。


「絵梨花はここに泊まることがあったんですね?」

 ラピュータでは寮生活だったというので、てっきり客間が用意されているものと考えていたのだが、女の子らしい室内はどう見ても客間ではない。本宅に比べてこじんまりしているとはいえ、一体寝室がいくつあるのやら。

「そうねぇ。昔は月に一度くらいは泊ってたわね」


 突然来たわりにはほこりひとつないので、いつ来てもいいようにしてあったのだろう。萌香がアウトランダーだと判明してからもそうしてくれているのは、絵梨花のためか、萌香のためか。

 今夜どこまで話すことになるのかと思いつつ、その辺はイナに任せることにした。



「糸が見える力ですけど、これってすごく疲れますよね」

 朝も昼も抜いていたため軽食を用意してもらい、それをつまみつつ感想を言う。コールドチキンのサンドイッチは、レタスがしゃきしゃきチキンはしっとりで美味しいが、味付けが塩だけなのが少し物足りない気がした。

「そうね。萌香はどんなふうに見えてるの?」

 どうなふう……。

「お母様の周りですと、色とりどりの光る糸がたくさん見えます」

「たくさん?」

「はい」

 不思議そうな顔をされたので、メモ用の手帳を出して簡単に絵を描いてみた。イナの周りを守るように様々な色の糸が広がっている。目を凝らせば一本一本見えるが、ぱっと見は細くて一見心もとなそうな蜘蛛の糸のような感じだ。


 イナはしばらくそれを見て考え込んだ後、萌香の描いた絵の胸のあたりに一本だけ線を引いた。

「普通はこんな感じで数本見えるだけよ」

「そうなんですか?」

 え、じゃあ私に見えているものは何?

「胸のあたりから左手にかけて伸びて、薬指や小指の先から外に伸びていく糸をイチジョーの当主は見るの」

「薬指や小指……」

「そこからきちんとつながる相手と結婚をさせるためにね」


 いわゆる赤い糸?

 そう考える萌香に、イチジョーがかつて竜を祀るものだったことから良縁をつなぐために使われてきてるのだろうとイナは言った。

「でもそんなにたくさん見えているのでは、また違うのかもしれないわね」

「そうですねぇ」

 やっぱり似てて非なるものなのかもしれない。

 この目を使うと一気に疲れて強烈な睡魔に襲われるため、必要がなければ見なくてもいいのではと話し合った。


   ◆


 夕食は豪華だった。

 コックが張り切って用意してくれたらしいスープも、白身魚のソテーも、サラダもデザートもおいしかった。


 ――でも空気が重い……。


 重いというか、ぎくしゃくしている。

 シモンとトムが何か言いたそうにチラチラ見てくるくせに何も話さないので、会話が全然弾まない。時々仕事はどうかと聞かれ話すものの、二人が上の空なのは間違いない。

 ――これは、間違いなく私のせいよね……。

 面には出さないけれど、心の中で盛大にため息をつく。

 ――実は萌香が本物のエリカで、絵梨花がアウトランダーだったなんて、ねえ?

 ややこしさに拍車がかかっているのは間違いないのだ。


 萌香のせいではないのだが、どうしても「ごめんなさい」という気持ちになって小さくなる。

 食後くつろぐために居間に移動して落ち着くと、

「なぜ母親なのに気付かなかったんだ」

 そうシモンが小さく独り言つのを耳にし、萌香は目を見開いた。


 ――いま、なんて言った?


 イナも聞こえたのだろう。反論できないとばかりに俯いてしまったのを見て、萌香は冷たい視線をシモンに送る。

「勝手に消えて、勝手に戻ってきて、大っ変、申し訳ないことをしましたわ」

 絶対零度を思わせる自分の声に、部屋の温度が一気に下がる。

 驚いたようにこちらを見るシモンに、萌香は今まで見せたことがないような冷たい目を見せた。

「エリカ、いや、萌香?」


「お母様は、萌香として生きてきた私を尊重してくださいましたので、どうぞ萌香と呼んでください。愛称だとでも思って下されば結構です」

 エリカでも構わないが、自分にとってはそちらのほうが愛称だとも付け足す。

 今まで「いい子」だった萌香の変化にシモンもトムも驚いている様子だが、はっきり言ってさっきのセリフは聞き捨てならない。


 母親なのに気付かなかった?

 むしろシモンは気付いたのか? 同じ「親」でしょう? 兄であるトムは? 絵梨花はエリカではないと訴えてたと言うではないか。それを誰も信じなかった。それが当たり前だと思うから、誰もそして誰からも責められるいわれもないだろう。でもそれはたったひとつの事実だ。


「私が何も覚えていないイチジョーの娘、そしてエリカという立場を受け入れたのは、お母様が私を受け入れて下さったから。そのお母様をあなたたちがないがしろにするなら、私も同じようにしますわ」

 具体的にどうするかなどわからない。でも自分を尊重してくれる母親をないがしろにされて黙っている娘がいる? 本当の父親だろうと兄だろうと、そんなもの関係ないでしょう?

「絵梨花だけは自分がエリカではないと訴えてたそうですけど、彼女は私のために頑張っていてくれました。私は忘れてしまっていたから絵梨花のためには何もできなかったけれど、彼女の努力には精一杯応えたいと思っています」


 文句ある?


 立ち上がって顎をあげ、視線を下に流して居丈高に見せる。

 親にする態度ではないだろう。だが親の代理ではなく本当の家族だと思えば、遠慮などはるか遠くに吹き飛んだ。

『姉ちゃんは怒らせるとマジで怖い。魔王だって土下座するぞ、あれ』

 信也が友達に愚痴っていたのを思い出し、少しだけ唇の端が上がる。


 その時執事が来客を告げた。仕事が終わったクリステルが来たのだ。

「声が丸聞こえよ。あらやだ、空気が重いわ」

 居間に入ってきたクリステルは開口一番呆れたような声を出し、両手を腰に当てた。だが萌香を見た瞬間面白そうに吹き出し、

「やっぱりエリカねぇ。だから言ったじゃない、間違いないって!」

 そう言って笑い転げた。

 執事に茶を所望すると勧められる前にソファに優雅に腰を下ろす。すでにクリステルには、五歳で入れ替わっていた萌香が戻ってきたことをイナが説明してあったのだ。


 クリステルの軽やかな笑い声につられて、トムも噴き出す。

「た、たしかにエリカだった」

 そう言って大笑いし、いかに怒った時の絵梨花と同じ口調や目線だったか身振り手振りで説明し、挙句笑いすぎて涙まで流した。

 シモンもふっと笑って、イナに申し訳ないことを言ったと謝り、イナもそれを受け入れた。

 立ち上がったままの萌香は、こてんと首を傾げつつその様子を見て(クリステルさん、すごいわぁ)と感心しきりだ。天性のカリスマ性とでも言うのだろうか。空気を変える力がすごい、やっぱりかっこいい女性だ。


「だいたいね、アウトランダーを知っているとはいえ、人が消えたり入れ替わったりするなんてことが身近に起こるなんて思わないでしょう。萌香の体験はレア中のレアケースよ? 本人が一番困ってるに決まってるじゃない。ね、萌香?」

 ニコニコしながら優雅に茶を飲むクリステルに微笑まれ、ようやく萌香も腰を下ろす。エムーアが次元のはざまにある特殊世界であることはクリステルは知ってるのだろう。それでも入れ替わりなどは聞いたことがないと、面白がっていたところもすごいと思う。


「戸惑うのはわかるけど、結局アルバートが言ってたことが一番近いってことじゃない?」

「アルが、ですか?」

 トムが不思議そうに聞き、萌香はイチジョーでのことを思い出す。

「アウトランダーの記憶を持つ、記憶喪失のエリカ――でしたっけ?」

 彼は前世だと思っていたようだが、言われてみれば一番しっくりくる。というか、その設定をもらって押し通しておけば、ここまでややこしくはならなかったかもしれない。


 みんなもそう思ったのか「確かに」とまじめに頷く姿がおかしくて、萌香はクスクスと笑いだしてしまった。

「何もかも分からない手探りで生きているからこそ、遠回りをしてしまうんですねぇ。はあ、参ったな」

 少し浮かんだ涙を指でぬぐい、トムとシモンを改めて見つめる。

「お父様」

「ああ」

「お兄様」

「うん」

「記憶喪失で、かわりにアウトランダーの記憶持ちの娘であり妹ですが、よろしいですか?」


 萌香のいたずらっぽい目に、二人の目も同じように細められる。

「最初から家族だよ。消えた絵梨花も、ここにいるおまえもね」

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