77.駄々こねタイム
「いやっ!」
萌香が何かを払いのけるようにしてガバッと起き上がった時、すでに昼を大分過ぎていた。
怖い夢を見ていた――と思う。
目が覚める前に悲鳴を上げていたかもしれない。
心臓が痛いくらいに早鐘を打っているが、どんな夢だったかは綺麗に霧散していた。
「汗、びっしょり……」
髪も濡れるほど汗をかいていたので、とりあえずシャワーを浴びようとベッドを抜け出す。
「エムーアは、シャワーも湯船もあるのが助かるよね」
据え置きの湯ぶねを見て、思い切って風呂にしてしまおうと決めた。
萌香にとっては休日であり、すでに盛大に寝坊をしている。住み込みの他の先輩メイドさんたちには笑われそうだし、嫌味な先輩に気づかれたら何を言われることかとチラリと考えたが……
「どうでもいいか」
昨日の昼までは仲良くできたらと考えていたが、別にむりやり仲良くする必要もない。
「いい香りの入浴剤がほしいなぁ。こっちに来てから見たことがないんだよね。ないのかな」
火山があるようで温水の出るところが多いらしいから、あえて香りや効能をつける習慣がないのかもしれない。もしくは萌香が見たことがないだけかもしれないが。
それでもちょうどいい湯加減の風呂でゆっくりと伸びをすると、「はあ」と幸せのため息が漏れる。こういうとき「日本人だなぁ」などと思うのだが――
「まあ、十五年も日本で生活してたら日本人よね」
違うけど違わない。
「エムーア生まれの日本育ち、恵里萌香ことイチジョー・エリカ。うん、二つも名前があったりするあたり、何かの格闘まんがの主人公みたいだわ」
弟が見ていたアニメのセリフをもじってみただけだが、あまりにも今の自分にしっくりするので笑うしかない。
すっと手をあげ、自分の周りの糸を見る。
「地球だと思ってたのに、ファンタジーの世界だったか。いや、ラピュータの存在自体がファンタジックだけど。そうなんだけど」
でも地球なのは合ってるはず。次元や歴史が違うけど、別の星ではないはずだ。
イナから聞いた力を、昨日は興奮状態だったせいかすんなり受け入れてしまったが、これはどちらかと言えば超能力に近いのだろうか? イチジョーの第一子だけに受け継がれていく力。萌香は
思いながらもガックリとうなだれた。
「聖女って……」
ほぼ確定であるその立場に、本音を言えば「イヤだ! ウソだ!」と叫びたい。
そんなラノベのヒロインチックな立場など萌香には似合わない! 舞台に上がるよりは裏方で走り回るのが得意だし、自分でも縁の下の力持ちが合っていると思っている。
「でもエリカなんだもんねぇ」
はぁぁぁ、と大きなため息が出る。演じるのと本人になるのでは気持ちの上でも大違いだ。
絵梨花は「主役」をよく演じていたと思う。逆の立場だったら……
「あー、やっぱり……頑張ってたかなぁ」
ここでずっと生きてきたなら、自分はきっと絵梨花と同じことをしただろう。自分ではなく、たぶん人のためだから。
「違うのはRさんを知らないことぐらいかしらね」
R……か。
目を閉じるとなぜか最初にアルバートの顔が浮かび、パパっと打ち消す。
アールでアルを連想したのかしら。
そんなことを思いつつ改めて意識を集中すると、今もラピュータに近づいている何かを感じた。もっとよく見ようとすると映像としては見えないが、いつか助けを必要とするであろうこと、自分にそれができるんじゃないかということ、そんなことを感じた。
「結局この力は自分のためではないわね。……いずれ誰かを助けるためであって、人が思うような華やかなものでも主役なんかでもないんだわ」
他人がどう思おうとも。
日本に溢れていた小説、漫画、映画にドラマ、アニメに舞台。色々な時代、色々な国、人。そんなドラマを浴びるほど読んだり見たりしてきた萌香には、内にある情報量が、映像として浮かぶものが、この国の人間とは桁違いだ。それがつまり、
「アウトランダーってことなんだろうなぁ」
だからこそ聖女に利用価値があるであろうことも、アウトランダーに価値があることも漠然と理解できる。
今まではどこかで期間限定だと思っていたから目を瞑っていたことも、当事者決定となると重い。この重さを絵梨花は担っていたのだ。
「生きてる場所、時代で、生き方も価値感も変わる、か」
何かで読んだセリフがポツリと浮かぶ。
同じ人間でもどう生きてきたかで変わってしまう。教育や環境はその最たるものだろうし、立場は人を作る。
萌香は今まで、庶民として悩みはありつつも呑気に生きてきた。呑気にと言えるのは、自分が手を伸ばせる範囲が家族や友達限定だったからだ。
「絵梨花が鈴蘭亭に籠ろうとしたのが分かる気がする」
ブクブクとお湯に沈み込む。
もしエアーリアが戻ってきて大騒動になったら……。
パパラッチに囲まれた海外のニュースの映像が浮かんでゾッとする。
渦中の人物になるなんて考えたくもない。
「これは、悪役になってでも引きこもりたいかも」
周りにも迷惑をかけたくないし、同じくらい利用されるくらいなら絵梨花が目指したような「あんな性悪令嬢が聖女のわけない」と思われたほうがマシだ。彼女の言う悪役なんて、ちょっとした小娘のいたずら程度の可愛いものだったし。
「正義の味方(?)は正体を隠してこそでしょう? どこの誰かは分からないのが様式美ってやつだわ」
とりあえず聖女……。聖女かあ。
いったい聖女ってなんなんだろう。
魔物退治するわけでもないのに。むしろリュウオー……竜王だったかな、を呼び出すんだっけ?
しかも王太子殿下はイケメンではありそうだけどアラフィフのおじさんだし、これでは様式美以前の問題だ。
ラノベみたいなことばかり言われる割に設定が変なのよ!
「悪役令嬢ものは、Rさんが読ませてくれたのかしら?」
トムたちから聞いた婚約解消時の話を思い出して、思わずププッと吹き出す。
方法は分からないが、Rはエリカが日本に帰った時のために色々教えてくれたのだろうな。――そう考えたとき萌香の頬を伝ったのは、多分ただの水滴だ。
いっそ絵梨花と繋がっていたのが自分だったらとも思うけど、そしたら萌香は自主的にこちらに帰ってきたかな? と思い、醜いエゴに顔が歪む。苦労するとわかっていて、わざわざ飛び込む勇気なんて持てなかったかもしれない。それが正直な気持ちだったからだ。
「私は卑怯だわ」
これがもし自分以外の誰かだったら?
「例えばヘレンや木之元麻衣みたいな美少女が聖女として召喚されたとしたら。私はお付きの立場か何かで一緒に来ちゃって。――うん、そのほうがあってるし、彼女を助けるためにめちゃくちゃ一生懸命になれた自信があるわ」
脇役ばんざいい、裏方ばんざい。
なのに、エリカという立場は未知過ぎて、自分がそうなんだと分かっても体が震える。
「竜王って……聖女って、なんなのよ」
もしも幼いときから自覚していれば少しは違ったかもしれないのに。
「なんで入れ替わったんだろう」
幼すぎて覚えていない。
もしくは本当に記憶喪失だったのかもしれない。
お湯が冷めてきたので立ち上がって、ふと羽衣をふわっと広げて見てみた。
「きれい……」
それは薄く光る布が、波のようにたゆたい、見ていると不思議と慰められた。うっとりするその羽衣をしばらく眺めてから、今度は大天使のような翼を想像してみると羽衣は立派な翼に変わる。
それは想像の力を抜くと薄い布のように戻り、ふわふわと萌香の周りを漂った。
「これなら、高いところも怖くないかもね……」
風呂を出てお湯を抜く。
タオルを巻いただけで部屋に戻り鏡の前で自分を見ると、羽衣はかなり大迫力の大きさだということが分かる。広げようと思えばかなり大きくできるだろう。それこそ舞台から会場全てを包めるくらいには……。
「あ、これ、覚えがある」
ふいに、役者として舞台に上がった時の感覚を思い出す。
役になり切り、舞台の世界を現実のように見せよう。そう考えたとき、萌香は空想の翼を広げた。ここは違う世界だとお客様に没頭してもらえるように、大きく大きく広げたものは、
「多分これだ」
無意識に使っていたのだと思う。
誰かに何か影響は――まあ、舞台を見たお客さんが喜ぶくらいか。
「ジャンプ力は日本では普通だったから、やっぱりそっちはエムーアに来た影響かなぁ」
運動神経は普通だったが、学生時代はどんなに思い込もうとしても、幅跳びや鉄棒でいい成績は取れなかったのがその証拠だろう。
「羽衣は、大昔は珍しくもなかったのかもね」
だといいな、程度の気持ちでそう呟く。糸を見るとどっと疲れるので、あまりできそうもないことだけは分かった。一瞬猛烈な睡魔に襲われて、慌てて冷たい水で顔を洗ってから着替えることにする。
今日は休日なので和ロリ風の普段着だ。
イナのところへ行こうと思うがグズグズしているのは、少し勇気がいるから。
イナの胸で泣いて、手をつないでベッドに連れて行ってもらった。
たぶん眠るまで手をはなさなかった気がする。めちゃくちゃ甘えてしまった。
「赤ちゃんみたいぃ……」
思わず両手で顔を覆ってしばらく悶たあと、「よしっ」と気を取り直す。
多分これからもウジウジ悩むだろう。
切り替えたつもりでも所詮は小さな人間だ。機械ではないのだから何度も何度も悩んで泣いて、ときには八つ当たりもするかもしれない。
未練を切ったつもりだけど、やっぱり日本は恋しい。帰りたいとも思うだろう。今までもそうだったけど、やっぱりこれからもそうだと思う。
中でも果たせなかった約束は心残りだから……。
「それでも自分として生きていいんだから、堂々としよう」
卑怯さも自分の小ささも含め、でも良いところは精一杯伸ばせはいい。日本でしてたように、自分の中の普通であればいいんだ。
そそくさとバスルームと部屋の掃除を済ませ、今日はエリカとしてメイクをする。髪はヴィクトリア女王風ではなく、慣れたハーフアップにした。
なんとなくチェストの上の虹のカードを手に取り、その優しい色の絵に勇気をもらうように軽く額に当てて目を閉じる。
「ん……、駄々こねタイム終わり。また頑張ろう。大丈夫、大丈夫。どんな時でも、良いことや楽しいことを見つけたほうが、絶対にいいんだから。よし、お母様に会いに行こう」
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