79.極秘調査(パウル視点)
七月半ば近くに起こった地震で現れた地下湖の調査は、当初考えていたよりも長引いていた。四、五日で終わるものと考えていたが、すでに二週間だ。
パウルは報告書を読みながら、チラリと部屋の隅にいるアルバートを見た。
今日も地下湖に潜っていたアルバートの仕事は終了しており、どうやらまたカードを書いているらしい。
調査員の仕事の一つに絵を描くことがある。
写真では色を残せない為、報告書や資料に残すために色付きで絵を描くのだ。芸術的なものとはまた違う職人的な技術である。
今アルバートが最近毎日書いているのは個人的なカードだ。それには日々の出来事と絵が描いてあるそうで、食堂のアニーたちが言うには
「とても優しさにあふれてるのよ! よっぽど大事な相手に送ってるのね」
だ、そうだ(人ってあんなに目がキラキラするんだなぁ、好奇心ってすげぇと感心する)。
アルバートはパウルより十歳年下だが遠い親戚関係だ(正確には妻の、だが)。よく酒も飲み交わす仲でもあるため、彼女らから「アルバートに何があったか聞いてきなさい」とも言われていた。アニーたちの機嫌は料理の出来を左右するため(機嫌が悪いとよく焦がしたり、味がかなり微妙になるのだ!)、パウルも極秘で色々探っている。単純に面白いからという理由もある。
そしてその理由がまた意外過ぎて、予想以上に面白かった!
◆
「ふーん。それでそのアウトランダーのおねえちゃんにフラれたわけね」
「まだフラれてないです」
昨夜はアルバートが酔いやすい酒を選び、少しずつ少しずつ探り出した結果、この男が恋をしていることが分かったのだ。
以前は女が途切れない男だと思っていたが、正直アルバートの相手の共通点がパウルにはよく分からなかった。「女」という以外の共通点があまりない気がしたが、年上で、多少強気? 強引? そんな感じのタイプが多かっただろうか。
相手の我儘や望みを聞いてやるのが得意なアルバートだが、今みたいな長期出張で仕事が忙しくなると大抵連絡を絶つ。女からすれば手のひらを返したような完全な塩対応で、相手は当然去って行く。でもこいつはあまり気にしない。
付き合おうと言われたから付き合ってるだけで、好きではあるけれど、特別な感情ではないのだろう。そんな男はアルバートだけではないし、ここでは珍しいことでもない。
全国を飛び回り、恋人の側になんてほとんどいられない。現場で働く奴ほど、そんな男を待っててくれだなんて女に言えないのだ。慎重に遊び、本気になるのは生涯を共にしたい相手だけ。人生を変えることになるから、どうしてもそうなる。
なのに、この男が惚れたのがアウトランダーとは。しかもエリカの印を持っているなんて、想像しただけで面倒な相手だということが分かる。アウトランダーってだけでも常識も何もかもが違う特殊人間だぞ?
「ふーん、美人だな」
違う次元に別の自分が存在する。それ自体は知識としてだけは知っていた。
その違う次元から来たという珍しいアウトランダーと、同じ人物らしい少女の写真を眺めてパウルはニヤリとする。
この少女のことは知っていた。名前は確かイチジョー・エリカだ。聖女と同じ名前と印を持つ令嬢。すっかり忘れていたが、妻の実家が営んでいる宿で昔、何度か見かけたことがあることを思い出した。
白黒の写真で見ても美しい娘だ。
この娘と同じ人物か。不思議なものだ。自分も異なる歴史を歩んでる自分がいるのかなどと考えていると、アルバートが
「全然似てませんよ」
と、不思議なことを言った。
同じ人間なら同じ顔だろうとパウルが不思議に思っていると、アルバートも以前は同じことを思っていたらしい。だがエムーアのどこかにこのイチジョー・エリカがいるものと想定して写真を預かってみると、萌香というアウトランダーとエリカは全然違うのだそうだ。
「写真で見ても、やっぱり俺は、エリカがなんというか、苦手なんです」
複雑そうな表情でアルバートは、生理的に合わない、写真で見てもやっぱりそう思うという。
「エリカはきれいな娘ですけど、何を考えているのかわからなくて……。でも萌香は、こう、可愛いんだ……」
「へえ?」
萌香は表情豊かで可愛いんだと、このよっぱらいは繰り返す。
飲ませているのはパウルだが、疲れているからとはいえアルバートがここまで酔うのも珍しく、はっきり言って面白すぎた。だがくつくつと笑っていると、アルバートがグラスを見つめポツリと呟き、パウルはその言葉にハッと息を飲んだ。
「多分この
――離れている今、彼女の声が聞きたくて仕方がない。本当はひと目だけでも会いたい。
アルバートが口にしない思いが伝わってくる。
パウルは面白がっていた思いが一転し、今は亡き妻の顔が浮かんだ。自分も同じことを考えていたと、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
普段思い出さないようにしている気持ちが顔を出したことに動揺し、パウルはわざと意地の悪い笑顔になった。
「でも電話で話すことさえ断られたんだろ?」
「……」
普段のアルバートだったら、今くらいの忙しさであれば女のことなんてすっかり忘れている状況だ。地底湖の奥に見つかったアウトランダーの品。それを取ってくるのにはアルバートが一番適任で、戻れば泥のように眠ってしまうほど疲れているはず。
暗闇でボコボコとした狭い通路を抜けるのは難しく、ましてやその奥にある「何か」を慎重に運び出すのは至難の業だ。それをアルバートは確実にこなしている。神経も体力もすり減る作業だ。普段なら煩わされたくないと、電話が来ることさえ嫌な顔をしている。
なのに今は、疲れを押してその萌香嬢とやらにせっせとカードを書く姿に、パウルはそっと涙をぬぐいたい気分になっていた。言葉にすると「こいつも大人になったんだなぁ」と、少し前までそんなことさえ考えていた。
まあ、単純に面白がっていたわけだが――。
パウルはふと、生きていれば二十六歳になっていたはずの妻、ティナに思いをはせた。アルバートの気持ちに触れて鮮明に浮かんだティナの顔は、今も笑顔だ。
可愛い女だった。コロコロと鈴を転がすような笑い声も、怒っているのに怒っているように見えない顔も、平均より小柄なことを気にしているのも可愛くて……。
ああそうだ。
こいつを笑わせてやりたい、幸せにしたいって思ったんだ。
彼女を思い出すと、ばあちゃんになっても可愛いんだろうと言ったアルバートの言葉に、胸が詰まる想いがする。
――そうか……。
面白がっていた気持ちが落ち着き、目の前の酔っぱらいを静かに眺める。
アルバートはグラスを見つめながら物思いにふけっているため、パウルも封印していた過去を掘り起こした。
ティナは先王のひ孫にあたる娘だった。
二人姉妹の次女で、一つ年上の姉がいる。
ティナはパウルより八つも年下だったから、出会った頃は完全に子供としか見ていなかった。何がよかったのかパウルによく懐き、絶対嫁になるのだと訴え続けていた少女。その様子も可愛くて、かといってパウルが本気にするわけもなく、はいはいと適当にあしらっていた。パウルに婚約者はいなかったが、常に恋人は切れなかったし、姉がいい夫を捕まえていたので、結婚はしてもしなくても程度の気持ちだったからだ。
ある時、久々に実家に帰ると綺麗な娘に声をかけられた。十七歳になったティナだった。
彼女の姿が目に入ったとたん、心臓を竜神が駆け抜けたかのような強い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。同じティナのはずなのに、全く違って見えた少女。いや、女性。
十七にもなれば、当然と言ってもいいくらい婚約者がいるのが当たり前なのに、当時の彼女にはそれがいないことに安堵した。散々あしらっておきながら、我ながらおかしな話だ。
その後、時間をかけてゆっくりと互いの気持ちを確かめ合い、彼女が二十歳の時に結婚した。幸せな三年間だった……。
久々に悲しみではなく温かさに心を包まれたことに、パウルは天を仰ぎホッと息をついた。
――ティナ。おまえもこいつを応援してやれってか?
年に一、二度しか会わないのに、妻が弟のように可愛がっていたアルバート。
パウルの問いに、瞼に浮かぶ妻は優しい笑顔で頷いてくる。
「ほんとお前は、年上キラーだよな」
苦笑しながら声にすると、その脈絡のないセリフにアルバートが顔をあげて怪訝な顔をした。
「萌香は年下ですが?」
アルバートの想い人は今十八か二十歳の女性らしい。
年上から見ればアルバートは可愛い男だが、相手が年下ではそれだけでも難しいかもなぁなどとパウルは心の中でぼやいてみる。
「アル。その娘は今までにない相手なんだよな?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、ちゃんと距離を保って、まずは信頼を得ろ。古い知り合いと同じ人物で混乱するだろうが、実際は初対面も同然だ。しかもこの国ではほぼ会うこともできない外の人間だろう。立場的にも状況的にも焦るのも理解できるが、俺は味方になってやる」
「パウルさん?」
「今のはおまえの兄貴分としての言葉だ。お互いをもっと知るためにも、時間と状況が許す限り焦るな。できるだけゆっくり時間をかけろ」
ほとんどからのグラスを掲げて片目をつむって見せる。
アルバートはホッと息をついて「そのつもりですよ。ありがとうございます」と笑った。
◆
昨日パウルが酔い潰したアルバートは、自分が何を言っていたのかあまり覚えていないようだった。それでもどこかすっきりした顔をしていたのは、自分の気持ちがはっきりしたからだろうか。
パウルは書類に目を戻し、後半の内容に目を留めた。
「アル、今いいか?」
ちょうどカードの発送を依頼し終わったアルバートに声をかける。
「はい。どうしました?」
パウルの態度に仕事モードの口調でアルバートが大股で歩いてきた。
「おまえが昨日持って帰ってきた品の中に、こんなものがあったそうだ」
調査班が撮った白黒の写真。それを広げ、一部を指さす。
「アウトランダーには様々な言語があると聞いているが、萌香嬢にこの解読はできないか?」
いくつかの品に文字が書いてある。
「上に回せば解読班が調査をするが、当たり前に読める人間がいるならそのほうが話は早いだろ?」
「……萌香が読める言語だとは限りませんよ」
「それならそれで、通常の手順を踏むだけだ」
「わかりました。話してみます」
考え込むようにそう言って去ろうとしたアルバートを再度呼び止める。
「ああ、それと、最近ラピュータに支店が出来たアウトランダーの店に行こうと思ってるんだ。お前も付き合え」
「アウトランダーの店?」
アルバートが不思議そうな顔をするのも当然だろう。アウトランダーはここ百年近く表れていないということになっている。
「記憶がないから確かではなかったが、アウトランダーらしき男が開いた店だ。名前はなんていったかな。……そうそう、オーサカ屋だ。珍しいものが食えるぞ」
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