55.茶会②(アルバート視点)
茶会の時間は、試験中とは思えない和やかさで穏やかに過ぎていった。
エリカの移動がないためアルバート達も会場を移動することなく、入れ替わっていく客役と無難に交流をし学生を審査する。
「今年の学生は上ものだな」
いくつもの会社をもつ企業の上役たちがそう口にするのを何度も耳にした。
調理に携わっている学生の見学をしてきたものも少なからずいるようで、この様子だと彼らの卒業後の進路は上々だろう。
エリカの見合い相手だったはずの男たちを何人も見かけたが、彼女に気づかないのがはたから見ておかしかった。
ユリアには少しだけ協力を仰いでいたが、デズモンドの件は下手をするとアルバートたちよりも詳しいかもしれない。彼女がエリカを崇拝していたことは今回初めて知ったが、ユリアの機転もあり、エリカはさらに目立たずに済んでいたのだ。
「求婚相手をユリアに変えたやつも多そうだな」
トムと離れ一人でいたアルバートがそう独り言ちると、気配もなく使われたグラスを片付けていたエリカが、フフッと可愛らしい笑い声をこぼした。
「いい出会いはあったかしら」
ほとんど口を動かさず、こちらも見ていないエリカに「あったかもね」と答える。
エリカの手で魅力を最大限に引き出されたユリアは、自分の役割とエリカを守ろうとする責任感からか、普段よりも大人っぽく、かつ瑞々しく見えた。
その若々しい魅力に、エリカを探しに来たはずの男たちがぽーっとユリアに見惚れるのを、アルバートは何度も目にしたのだ。
それはルドも例外ではなかったようで、部屋に入った瞬間、ユリアに視線が釘付けになっていた。今もルドは少し遠慮がちにしつつも、ユリアの関心を惹こうと話題探しに余念がない。ユリアはそれにそつなく対応しているが、まんざらでもないことは見て取れる。
アルバートの「子」が、将来「義理の叔父」になるかもしれない。その可能性を考えるとかなり愉快だ。
おそらくエリカも同じものを見ていたのだろう。ルドが誰だかは覚えていないのだろうが、エリカが彼にいい印象を持ったことは感じる。彼女にとって、ルドが男としては対象外だったことも。
エリカがチラリとアルバートを見て、いたずらっぽく笑った。
「アルも、注目を浴びていたようよ?」
何かを期待しているようなエリカの
「俺が注目を浴びるのは楽しいかい?」
飲み物を飲むふりをしながらそう問うと、エリカはグラスを持って立ち去りながら「ええ、もちろん」と微笑む。
その答えに一瞬両眉をあげたアルバートは、「それはなにより」と小さく笑った。
◆
終了まで残り三十分。
エリカが従僕に呼ばれ、会場を移動するのが分かった。
あの従僕はトム付きのフットマンの一人だ。デズモンドがユリアの会場に来る様子を見せたら、隙を見てエリカを移動させるよう事前に打ち合わせてある。裏方用の通路を通れば、顔を合わせずに移動できるはずだ。
トムもそれに気づいたようで、チラッとアルバートを見る。
お互い話好きの客に捕まっていたのだが、早々に切りあげればすぐに追いつけるだろう。こちらを見たエリカにすぐ追いかけると頷き、話を切り上げるべくタイミングを計る。トムもアルバートも、それぞれ機嫌を損ねるわけにはいかない相手なのが少々厄介だったが、アルバートのほうが切り上げられたので先にエリカを追いかけることにした。
五分ほどたっているので、とうにエリカはイナの会場についているはず。
そう考え足早に進んだ時、エリカに呼ばれた気がした。
嫌な予感に小走りで周囲を探すと、デズモンドに抱きしめられたエリカが、彼を押しやろうともがいているのが目に入った。
「くそっ」
デズモンドの愉悦に満ちた顔だけが見える。その唇がエリカの首筋に寄せられるのを見て、アルバートは自身でも驚くほどカッと頭に血が上った。油断していた自分に腹が立つ。
「エリカから離れろ!」
エリカの腕を引くと、デズモンドはあっさりとエリカを離す。その面白そうな表情にゾッとしつつ、腕の中にいるエリカの顔が蒼白なことに気づいた。
「エリカ、しっかりしろ」
「……アル……?」
ほっとした吐息のような声で彼の名前を呼んだエリカは、アルバートに縋りつくようにしながら、あえぐように何度も深呼吸をした。
「ごめん、なさい……顔を、押さえ、られて……息が……できなくて……」
途切れ途切れにささやくエリカの声に、デズモンドに対する殺意が芽生えた。
「やあ、アルバート。久しぶりじゃないか」
睨みつけられていることなど全く意に介さず、デズモンドはのんびりと天気の話でもするかのような口ぶりだ。
「エリカに何をした」
今までは付きまといまではあっても、アルバートが知る限りデズモンドがエリカに手を出すことはなかったはずだ。
「なにって、僕の女神を抱きしめただけだよ。やっと会えたんだ。なぜ邪魔をする?」
心底不思議そうな口調に、やはりエリカに警告をしておくべきだったと悔やんだ。フリッツがいなくなったことで枷が外れている。この男がここまで異常な行動をするとは予想外だった。
「さあ、もう十分だろう? 未来の兄の親友に敬意を払ったんだ。僕の女神を返してくれ」
「おまえの女神じゃない」
食いしばった歯から唸るように言葉を返すアルバートに、デズモンドは心底不思議そうな顔をした。その姿は絵画のように美しく、あまりにも無害そうで――だがエリカはその声に怯えたようにアルバートの服をキュッとつかんだ。必死で平静を保とうとしているエリカを隠すようにその肩を抱く。
「アル……」
エリカの視線に気づきそちらに目をやると、彼女を迎えに来たはずのフットマンがぐったりと倒れていてギョッとした。こいつがやったのか?
暴力とは無縁の男だと思っていたが、侮りすぎていたようだ。
「エリカ、僕の女神。君を抱くのはそいつじゃないよ。僕の胸に戻っておいで」
デズモンドは、甘い声と共に両手を差し出す。エリカが戻ってくるのが当然と言った言い方に腹が立った。
「いや、俺だよ」
アルバートはあえて余裕ある笑みをデズモンドに向けた。十分に警戒しつつ、小刻みに震えるエリカの肩を抱く手に、大丈夫だという意味を込めて少しだけ力を入れる。使わずに済むんじゃないかと思っていた最終手段を出すことに、ためらいはなかった。
「俺は、エリカの求婚者だからね」
「はっ? なにを」
笑い飛ばそうとしたデズモンドの声と同時に、エリカも驚いたようにビクッとしたのがアルバートに伝わった。エリカを見ると表情こそ変えていないものの、その目が戸惑ったように揺れているのを見て、瞬間重大なミスに気付く。
アルバートが防波堤になる計画は彼女の家族には了承済みだ。
だが間抜けなことに、肝心のエリカ本人に伝え忘れていたのだ!
――くそっ。エリカが否定したら台無しだ。
口の中で悪態をつきながら、急いでエリカの耳元に顔を寄せる。傍から見たら頬に接吻しているように見える甘いしぐさで素早く、「合わせろ」と囁いた。
微かに頷くのを確認して顔を離すと、エリカは微かに頬を染め、アルバートに甘い視線を投げかけた。一瞬それが演技だということを忘れるほど、甘やかな空気がアルバートを包む。思わずエリカの桜色の頬から髪に滑らせるように手を差し込むと、彼女は恥ずかしそうに目を伏せ、「アル……」とささやいた。それはまるで愛しいと言われたかのようで、アルバートの腹の奥が一瞬ぞくりとする。
「違う! あなたは僕の女神だ。アルバート、君はエリカに興味はないはずだろう。戻っておいで、エリカ。僕の女神。あなたには、僕が必要なはずだ。僕も求婚者の一人だろう?」
デズモンドの声に怒りと戸惑いと焦りがにじむ。だが彼の身にまとう禍々しさが霧散したことを感じたのか、エリカは一瞬アルバートを見上げて微笑み、次いでデズモンドに冷たい視線を向けた。
「いいえ、ちがうわ」
これほど冷たい声が出せるのかと思うほど、エリカは完全に拒絶を示す。
エリカはデズモンドを覚えていないはずだ。だが、以前よりもさらに強い拒絶を見せた。一瞬でも礼儀正しくすれば、今のあの男は自分のいいように解釈すると言いたげに。
なおも何か言いつのろうとしたデズモンドを遮ったのはトムだった。
「そう。違うよ、デズモンド」
王者のように堂々とこちらに歩いてくるトムは、わかっているという風にアルバートとエリカに頷きかけた。
「トム! ああ、いいところに来た。君からもアルバートに言ってくれ。エリカの求婚者は僕だと。そうだろう?」
「いや、エリカの求婚者候補はアルバートだよ」
ゆったりとした態度を崩さず、トムはエリカをかばうようにデズモンドの前に立ちはだかった。
「なら僕だってそうだ。この半年、毎日彼女への結婚を申し込んできたじゃないか!」
まさか否定されるとは思わなかったと言わんばかりのデズモンドに、トムはゆっくり首をふる。
「だが、違う。アルは両親にも認められた、現在唯一の候補者だ。そうだろう、エリカ」
振り返ったトムの「肯定しろ」という目の訴えに応え、エリカはゆっくりと頷く。
「ええ、そう。アルバートだけ」
その声が、その目が、完全にこの場を支配した――。
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