54.茶会①(アルバート視点)

 イチジョーの卒業試験である茶会は、敷地にある離れ三棟を使用して行われる。それぞれが別家庭の設定で、試験官でもある客役は招待された家庭の茶会に参加するのだが、人によっては時間差ですべての会場を巡る。

 萌香はユリアの母が担当する棟で学生の補助に当たるらしい。だが状況によっては時間差ですべての離れを回る場合もあるらしく、アルバートたちは様子を伺いつつそれに合わせることにした。


 試験開始は茶会にしては早い三時からだが、客役は少し遅れて訪問することになっているため、まだ少し時間がある。学生のところに顔を出すというトムに付き合って学生控室まで来たアルバートは、そこにすでに萌香がいたことに驚いた。

 トムが窓から部屋をのぞき込み、時計と萌香を見比べる。

「まだ俺たちがエリカの部屋を出てから、二十分も経ってないよな?」

「ああ」

 

 服はそのままだと言っていたが、女の化粧に時間がかかることはアルバートだって知っている。だから彼女が控室に入るのは開始ギリギリになるだろうと思っていたのだが、電光石火で支度を終えて出てきたようだ。彼女の手際を思うと、後片付けもきちんと終わらせているだろうことは想像に難くない。ということは、本当にサラッと撫でた程度の化粧ではないだろうか?


「傷は見えないな」

 同じように考えたのか、トムが自分が見たものを確認するかのようにアルバートにそう囁いた。それに頷き萌香を見るが、遠目という点を差し引いても、彼女の顔に傷があるなんて分からないだろうと思った。


 今萌香……いや、今はエリカか。エリカは学生たちに混ざり、一人一人に声をかけているようだ。

 それを微笑ましいまなざしで見ていたトムがふと怪訝そうに目をすがめ、次いで戸惑ったようにアルバートを見る。

 アルバートもトムに向かって、それに答えるように頷いて見せた。

 ――なんだ、これは……。


 そこにいた学生は、男子が三人、女子が八人。客に給仕などをするグループだ。

 パリッと糊のきいた制服に身を包んだ学生らは、十六歳前後といった年齢相応の幼い顔を最初緊張でこわばらせていた。この試験結果に将来がかかっているのだ、当然だろう。

 だがエリカが声をかけたり、ほんの少し髪や服に手を入れていくだけで、学生たちの様子が全く違って見えるのだ。彼らが一回り大きく見えるというのだろうか。試験時に見られる緊張感がいい具合に緩和している。


「なあ、トム。エリカのやつ、前よりも、人タラシの能力値が爆上がりしてないか?」

「タラシとか言うなよ。人聞きの悪い」

「だが間違ってはいないだろ?」

「……まあな」


 渋々同意するトムにニヤリとしたアルバートは、ふと、今回は間違いなく学生全員の合格点が高いだろうと思った。ここの普段の卒業試験は知らない。だが試験を受ける学生たちが、とても卒業試験を受けるためにそこにいる――そんな風には思えない落ち着いた空気になっている。


 反対に、学生全員を回ったエリカの存在が急に希薄になる。彼女の友人でさえ、そばに立っていてもすぐに彼女だと気付かないのではないかと思えるほどだ。姿が変わったわけではない。ただ、気配がなくなった。空気に溶け込んだかのように。


 それは彼女自身が言っていたように、学生たちの補助という点ではこれ以上はないくらいの姿だったが、なぜそんなことになるのかと、トムと二人で首をかしげる。

 いつも人の中心にいて無視できない存在、それがエリカだったはずだ。


 ――やっぱりよく分からない女だ。

 萌香として振舞っているときは素直でわかりやすいが、無知無防備さにハラハラする。だがエリカとして振舞っているときは、やっぱりどうあってもエリカなんだな。


 トムが学生たちに激励の言葉をかけるのを見ながら、アルバートが微かに肩をすくめたとき、ふいにエリカと目が合った。

 瞬間浮かんだ彼女の心底嬉しそうな笑顔が、アルバートの胸を直撃する。

 思わずこぼれそうになったうめき声を抑えたアルバートを、トムが不思議そうに見るが、なんでもないと手を振った。

 それは、エリカがアルバートに見せたことがない屈託のない笑顔だ。何も秘めていない、純粋なそれを見たことがなかったことに今初めて気がつく。

「なんなんだよ、いったい」

 クシャリと髪をかき揚げ、既にこちらを見ていないエリカを見ながら、アルバートはこっそりとため息をついた。


  ◆


「招待状を拝見します」

 入り口に立つ従僕に模擬の招待状を見せ、代わりに試験官用のカードを受け取る。それを腕輪にセットすると学生査定の開始だ。これは学生が胸につけた受験票と連動しており、項目ごとに点数を入れることで、リアルタイムで学生それぞれの点数が集計されて行くのだ。手元で操作しても学生からは何点を入れたかは分からない仕様で、慣れたものだと点数をつけている姿を見せずに審査するらしい。


 この会場のホスト役はユリアの母ティナ。アルバートの祖母である女王の、二十一歳離れた末の妹だ。

 そして、その補助としてユリアが穏やかな笑みを浮かべながらも、少し緊張した面持ちで客役を迎え入れている。その奥のメイドが働いている更に後ろにエリカの姿を見つけ、アルバートは今いる客役をさっと見回した。


「まだ来てないようだな」

 ほとんど口を動かさず、さりげない様子でトムがそう言った。

「まずはイナさんのところだろう」

 デズモンドをはじめ、エリカが目的なら、彼女が母親のもとで客役をすると考えるはずだ。そのためか、この会場にはアルバート達以外の客は、四十代以上の落ち着いた者が集まっていた。

「会場は一度出たら戻れないから、まだ大丈夫だろう」

「そうだな」

 考えすぎならいいんだがと呟くトムに、アルバートは頷き返す。


 デズモンドは普通ではない。婚約者がいると分かっているのに、エリカに付きまとうデズモンドを、最初からエリカは嫌っていた。彼女があからさまに嫌悪感を見せるのは珍しい。もちろんフリッツも不快であることを隠さなかったし、何度も警告をしていた。


 デスモンドの取り巻きからは、エリカのほうを悪しざまに言う者も少なからずいた。エリカは自身が目立つ存在だと自覚しているため、敵視するものがいてもおかしくないと言っていたが。

 それでも、デズモンドがアルバート達と同じ年であったことは幸いだ。

 元々デズモンドの出身校とエリカの通っていた学校が違っていたとはいえ、エリカと年が近かったら、付きまといは当時の比ではなかっただろう。


「もう少し警告してもよかったんじゃないか?」

 せめて相手の名前くらいは教えていたほうが。

「でもエリカは、自分が知らないことに対する批判や悪口には耳を貸さないよ。たぶん今でもね」

「まあ、そうだな」

 悪口ではないが、そう取られる可能性もあるだろう。

 名前を教えないのは先入観を持たせないためだと言ったトムに、素直に納得していたくらいだ。


「今のあの子に気付かず、そのまま興味を失ってくれるといいんだがな」

 トムは、さりげなく視線だけでエリカを見やる。地味で目立たない下働きに見えるエリカなら、たしかに興味を失うかもしれない。


 そこへユリアがやってきて、アルバート達はほかの客を紹介される。

 知らないもの同士の紹介するのも、ホスト役の仕事の一つだ。


 質素だが光沢のある灰色のドレスを着たユリアが、いつもよりも美しく見えることに、アルバートは今更ながら気が付いた。彼女のドレスや髪型は、この会場にあってこそより引き立っているということに。エリカが言ってた簡易プロジェクションマッピングの意味に気が付き、(たいしたものだな)と、心の中でつぶやく。


 ユリアの案内でテーブルの一つにつき、茶会としては軽い食事をつまみながら、アルバートは表向きはしっかりと己の役割を果たすことにした。

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