53.仮説(アルバート視点)

 アルバートがトムと共に茶会に用意された控室に入ると、どこからか息を飲む音が複数聞こえた。その不思議な空気にアルバートが内心首をかしげていると、クリステルの「まああ!」という華やいだ声がやけに大きく響く。

「あらいやだ、アルバート! 思ってた以上の出来じゃない」

 クリステルは何か珍しいものを見るように目をキラキラさせながら、アルバートを上から下まで見る。今度は全身を確かめるよう彼の周りをくるくる回ると、満足そうに大きく頷いた。

「さすが我が息子。男前よ!」


「母上……」

 その大輪の花が開くような美しい笑顔に、アルバートは顔をしかめて見せる。早くに到着していたらしい身内以外の者もちらほらいる中、さすがに親ばかが過ぎるだろう。だがクリステルからすれば末の息子がそんな顔をしたところで、「あら、可愛い」程度のものである。いい大人であろうと、子どもは子どもといった態度は変わらない。文句を言うだけ無駄であった。


「驚きました。アルバート兄様、なんですよね?」

 ミアが目を真ん丸にしているのを見て、アルバートの後ろでトムが笑いをこらえる気配を感じる。

 ミアと共にアルバートのそばまで来たユリアが、まじめな顔をして「さすがエリカ様ですわ」というのが聞こえた。

 エリカは学生時代、自分の「子」以外にも、彼女を慕う後輩や同輩に乞われれば、男女問わず気さくに手を貸していた。それは舞踏会などの身支度も同様だったのだが、ミア達は学年の関係でその機会を得ることはなかったし、アルバートは基本彼女を避けていたためその手腕を間近に見るのは初めてだったのだ。


 アルバートは軽く肩をすくめる。

「ご感想は?」

 その声にユリアとミアは一瞬顔を見合わせ、にっこりと笑顔になった。

「「とっても素敵」」

 普段手厳しい年下の叔母といとこからの合格点に、アルバートは微かに笑って見せた。実際自分でも驚くほど、今の己の姿はしっくりくるのだ。それが母やいとこたちの目にも嬉しいなら何よりである。


「ダッド」

 おどけた口調でアルバートに声をかけてきたのは

「ルド、お前も客役か」

 アルバートの二歳下の後輩で、彼の「子」でもあるレイク・ルドだった。

「ええ、久しぶりですね、アル。今日はずいぶんといい男っぷりだ。新しい恋人は、ずいぶんとあなたのことをよく分かっているらしい」

 ルドはアルバートの姿を見て感心したようにうなずく。


 学生時代からの付き合いで、アルバートが自分の見た目に無頓着なこと、付き合う女性が自分の好みで彼をコーディネートすることをよく知っているのだ。別れるとすくにアルバートが元に戻ってしまうことも。

 アルバートは、大抵どんなスタイルでも似合う。だが付き合う女性の好み次第で変わるスタイルは、どれも彼らしいとは言えないと思っていたルドは、いまの「ダッド」の姿にすこぶる満足そうにうなずく。これぞ「アルバート」を活かした、自然でありながら魅力を存分に引き出すスタイルだと。

「ふむ。これがエリカさんの好みですか、なるほど」


 会話から、アルバートの身支度を手掛けたのはエリカだということは、ルドにもすぐに分かったようだ。

「どうやら今日は、表向きの役割だけに集中すればいいようですね。非常に残念ですが」


 面白そうに眼をきらめかせるルドに、アルバートは少々複雑な気持ちになった。

 ルドも見合い相手の一人なのだろう。穏やかな性格の彼は、どこかフリッツに似ている。彼なら年のころも立場も含め、彼女の結婚相手としては申し分ないはずだ。これが以前のままのエリカであれば……。


 アルバートの着こなしは、特にエリカの好みというわけではない。

 フリッツとは全く違うスタイルに、実際アルバートも(これがエリカの好みのスタイルなのか)と思っていた。だが、その答えは萌香本人によって完全に否定されていた。「私は、アルバートさんの魅力を引き出すようにしただけですよ」と。

 萌香自身の好みが全く反映されていないと言えば嘘になるが、特段それは「異性」や「恋人」に求めているものというわけでもないのだという。アルバート以外の者が相手なら、その人物に合わせたスタイルになるのだと。


 さっき何の抵抗もなく素顔を見せた萌香は、完全にアルバートを兄同様だと認識している。その無邪気な無防備さに再度呆れたものだが、アルバートを相手に「仕事」をする姿は、完全にプロのような空気があった。

 息がかかりそうな距離で真剣に見つめられ、髪にするっと指を差し込まれたとき、アルバートの脳裏に昨日偶然見てしまった彼女の白い足が浮かんだ。そのことに少々後ろめたい気持ちになり目をそらしたのだが、次に彼女が発した声に目を見張った。


「私を男だと思えばいい」


 低く響く声が、上質なベルベットのようにアルバートを撫でた。萌香を精霊だと勘違いしたときの気持ちが蘇る。アルバートの頬を覆う彼女の手のひらの感触に、思わず喉が上下したことに彼女は気付いていないだろう。


 ――喰われた。

 そう思った……。何か大きなものにふわりと全身が飲み込まれた。


 だが、アルバートの助言通り「アル」と呼んだ萌香は、完全にエリカだった。

 何も覚えていないというのに、話し方や表情も違うのに、やることはエリカのままの萌香。

 自身が手にしていたドライヤーや、色の出るタブレットをエリカが作ったことさえ覚えていないらしいのに、使い方はさらに進化していて目を見張る。

 以前、映写機に色を入れたいのだと言っていたが、記憶を失くした今でさえ、実用化させる日も近いのではないかと思わせた。

 簡易プロジェクションマッピング?

 あれも実用化したら面白いことになるだろう。少なくとも母は目を付けたはずだ。


 イチジョー系列の製品だと言われているものの多くを、エリカが作った事実をまわりは彼女に隠しているという。家族やアルバート達のような近しいものしか知らないことだから、その秘密は守られているはずだ。

 だが、彼女の身体が覚えているとしか思えない。

 それでもやることが以前より女の子らしい方向に行っているため、特にとめる必要はないと判断したのだと聞いた。


 萌香が消えれば、以前のエリカが戻るのだろうか?

 それとも――?


 だが今の彼女の人格は萌香だ。

 エリカに見えるときは「演じている」だけだと彼女は言った。

 今の彼女を記憶喪失だとは誰も思わないだろう。

 それでもあまりに無防備な彼女のため、もしもの場合はアルバートがカムフラージュになることをトムとも相談して決めていた。記憶が戻った時のことを考えれば、婚約はふりでもしないほうがいい。いずれ終わることを考えれば、二度の婚約破棄のダメージは大きすぎるからだ。

 求婚者候補。

 それぐらいが妥当だろう、と。


「アル、本当にいいのか?」

 朝食の席で、トムはアルバートに再度確認した。

「ああ、問題ない」

 その間は、母もおとなしくしていることだろうから、一石二鳥だという打算もあるのだと言うと、トムは少しだけホッとしたように笑った。

「大体、今日のエリカは表には出ないのだろう? こんな最終手段の出番はないさ」

「デズモンドがいなければ、な」


 彼がエリカに執着しているとはいえ、今更今回の客役から外すことはできないらしい。

 シモンはエリカが茶会の裏にいることに最初難しい顔をしていたが、自分が娘可愛さに焦りすぎていたことを妻とトムの前で認めたそうだ。萌香が生徒の手伝いなどで楽しく生き生きしている姿に、考えを改めたらしい。視野が狭まっていた、と。

 それでも娘に普通の幸せをつかんでほしい願いは変わらない。

 だがエリカなら時間をかけても問題ないだろう。


 朝食の時、意味ありげにチラリとシモンに見られたアルバートは、軽く頭を下げた。しっかり防波堤になってくれ。そう言われたように感じたからだ。


 だから今、ルドの勘違いをあえて訂正はしなかった。

 トムも何も言わない。


 本当は求婚者候補もルドのほうが適任か。

 そんなことがちらりとアルバートの頭をかすめるが、それは今日、萌香が彼を気に入った場合に考えればいいことだ。


 今は萌香がエリカとして生活することに、不安がなくなるまで様子を見ることを決めていた。その期限を、アルバートは今年いっぱいとした。本当は今日だけだったのをそこまで延長したのは、ある仮説が浮かんだからでもある。


 エリカはアウトランダーではない。だが……もしも彼女が、アウトランダーの記憶を持って生まれてきたとしたら?

 萌香の人格が違う時代、世界の記憶を持っているとしたら、あの蜃気楼への具体的な名称や、家族構成にもつじつまが合うのではないか?


 ――まさか。


 だがそれは彼の仕事柄、決して無視はできない仮説だ。

 エリカの伝説を知らない萌香。それはエリカとして生きたことをリセットしている? それはなぜ? 今年、エアーリアが戻ると言われていることに関係がないと言い切れるのか?


 上に相談をするべきか、もう少し様子を見るべきか悩み、アルバートは調査の目的も含め、まずは休暇の期間をトムの提案通りの長期滞在にすることに決めたのだった。


 結論を出すには早すぎる。

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