52.アルバートの身支度

「エリカ、大丈夫か?」


 ノックの音で萌香は目が覚めた。

 少女たちの支度の後疲れてしまい、昼食が終わったらアルバート達に来てほしいと伝言を頼んだ後、すっかり眠り込んでしまったのだ。

 時計を見るとすでに午後一時を過ぎている。

 昼食は抜いてしまったが、深く眠ったおかげで体も頭もすっきりしていた。


 ベッドのカーテンをきちんと閉め、急いで鏡をチェックした後、扉を開ける。トムとアルバートが少し心配そうな顔をして立っていたが、メイドやクリステルは一緒ではないようだ。

 眠り込んでしまっていたことを二人に詫び、顔を洗ってくるからと言って、二人を部屋に通した。


「ん……。よく寝た」

 洗面台に映る自分の顔は朝よりもだいぶすっきりしている。メイクが少し崩れているのですっかり落としてみたが、目の下のクマもきれいになっていた。


「お待たせしてすみません」

 部屋に戻ると、窓際のテーブルに何やら皿が乗っている。昼食を抜いてしまった萌香に、トムが軽食を持って来てくれたらしい。時間はあまりないが、男性相手ならメイクを考えなくてもいいため、ありがたく頂くことにした。

「……まだ、傷はわかるね」

 素顔になっている萌香の顔をじっと見て、トムが痛ましげな顔になる。トムの後ろに立っていたアルバートも、萌香の素顔を見て少しだけ眉が寄っていた。

「化粧でごまかせる程度ですし、問題ないですよ」

 サンドイッチのようなパンを食べて萌香が微笑むと、トムはすっと手を伸ばして萌香の前髪をかき上げ、親指でそっと目の上の傷をなぞった。ついで顎の下に手を滑らせ、しこりが出来ていびつになった唇を見つめる。

「これはきれいに治るんだよね」

「そうですね。目の上はもう少し目立たなくなるみたいですし、唇のしこりはいずれなくなるみたいですよ。大きな傷がなかったのは幸いでした」


 日本での車の事故だと想定すると、もっと大きなケガをしてても不思議はなかったのだ。そう考えると、この程度で済んだのは不幸中の幸いだ。実際どのような事故だったのかは詳しく知らない。誰もが「よく分からない」と言うからだ。それでも、傷ついたのが自分だけであったことにも萌香はホッとしていたので、二人に向かって少しだけ微笑む。

 きっと絵梨花は無傷だから気にしなくていい。なんとなくそう思った。


 ――こんな優しいお兄ちゃんたちがいるのは、絵梨花が素直に羨ましいけどね。


 それでも今は「萌香のお兄様」だ。いずれ違うことになる日がきても、今は無性にそのことが大事なことのように感じた。


  ◆


「では、さっそくアルバートさんの支度にとりかかりましょうか」

 食器をワゴンに乗せ厨房に送ると、萌香はさっそくアルバートの全身をくまなく観察する。

「服はこのままですか?」

「ああ。でも無理しなくていいんだぞ」

「無理なんかしてないですよ」

 及び腰になってるアルバートに、萌香はにっこりと笑って見せる。

 男性の支度は女の子とはまた違う意味で楽しい。自分が手掛けた「作品」に女の子がうっとりしてくれると、心の中でガッツポーズをするくらいの快感がある。頬を染める女の子の可愛らしさは格別なのだ。

 そもそもアルバートは、元の素材がいいのは間違いないのだ。いじりがいがあり腕がなる!


「なあトム。俺、エリカに喰われそうな気がするんだが、どう思う?」

「せっかくエリカが乗り気なんだ。おとなしく喰われておけ」

「そうそう。おとなしく食べられてくださいね」

 昨日の仕返しとばかりにウインクして、アルバートをドレッサーの前に座らせた。


「ミア達の時は、なんだかおもしろいことをしたって聞いたけど?」

 アルバートは少々往生際が悪くキョロキョロと部屋を見回す。

「簡易プロジェクションマッピングですか? アルバートさんは服やメイクを考えなくていいから必要ないと思いますけど」

 さっさと作業を始めたくてアルバートの肩を押さえるが、どうやらトムも興味があるようなので、仕方なく三会場の映像を順に姿見に映し出すことにした。

「こんな感じです。ご満足ですか?」

 なんでもないことだと終わらせた萌香に、トムたちは顔を見合わせ不思議な表情をした。だが萌香はそれに気づかず、アルバート変身計画に集中する。


「やっぱり髪型よね……」

 鏡越しにアルバートの姿を見て、萌香の意識が一気に切り替わる。

「少しハサミを入れても構いませんか?」

 嫌と言っても入れますけど。言外にそうにおわせながら聞く萌香に、アルバートは観念したのか、

「好きにしろ」

 と、ため息をついた。


 トムが椅子を移動させ、高みの見物とばかりにニヤニヤしている。クリステルは、アルバートの姿を見るのは後の楽しみにしたいと言っていたそうだ。女性視点の意見も聞きたいが、あとで誰かメイドを捕まえることにしよう。


 萌香は美容師ではないが、父の闘病中は家族の散髪を担当していた。プロには足元にも及ばないが、動画を参考に、父母、弟はもちろん、自分の髪も切っていた。よっぽど大胆に切らない限り問題ないはずだ。

 アルバートには上着を脱いでもらい、ケープをかけ、髪を湿らす程度に濡らす。明日以降アルバート本人にも整えられるものにしなければ意味がないことを考え、手ぐしを何度もいれ、じっくりと考えた。周りの音は一切聞こえなくなる。


 ――やっぱり顔立ちが整ってる。眉も凛々しいし、目元がきれい。


 かなり近い距離でジッと顔をのぞき込むので、困ったようにアルバートが視線を逸らすが、萌香は問答無用で彼の顔を手で包み、左右に向けて考える。

「距離の近さが気になるなら、私を男だと思えばいい」

 すっと雰囲気や声が変わった萌香にアルバートはわずかに目を見開き、トムがハッとしたように息を飲んだ。


 やがてイメージが固まるとダッカールの代わりにピンで髪を小分けに分けてとめ、少しずつハサミを入れた。それが終わると持って来てもらった整髪料をなじませながらドライヤーをかけ、一気に仕上げる。


「うん、イケメン」

 一歩離れて、その出来栄えに萌香が満足げにうなずくと、目を閉じていたアルバートが片目を薄く開け首を傾げた。

「イケめ?」

「あー、男前? かっこいいって言ったんですよ。お兄様、どうですか?」

 したり顔で萌香がトムの方へ振り替えると、彼は面白そうに目を輝かせている。

「予想以上だな。アル、自分で見てみろよ」

 その声に目を開いたアルバートは、萌香の得意げな顔を見て一瞬吹きだしそうな顔をした。その後鏡で自身を見ると、「へえ……」と呟く。


 アルバートの反応の薄さを気にした様子もなく、萌香はケープを取って上着を着せ直すと、タイやピンを駆使し、程よく着崩してみせた。髪型とのバランスを考えても、けっしてだらしなくは見えない着こなしが抜群に似合い、萌香はその出来栄えにニンマリと笑った。


 ――我ながら、いい仕事をした!


 どう? どう? と、トムを見ると、彼は萌香の頭をぐりぐりと撫でてくれる。


「いいね」

「ですよね! アルバートさん、カッコいいです!」

 実のところ萌香は自分の腕を褒めてるようなものなのだが、想像以上の出来に大興奮だったのだ。彼がここまでいい男になるとは思わなかったのである。正統派のハンサムであるトムと並ぶと迫力がすごい。これでも夜会ではないからかなり抑えたのだ。スマホが手元にあったら、ぜひ写真に残しておきたいくらい、いい出来だと思う。

「これが正式なパーティーなんかだったら、もっと素敵にするんですけどね」


 男っぽい雰囲気がすっかり消えた萌香が、ふふっと笑いながらそう言うと、それまで黙っていたアルバートが姿見で確認をしながら、ふと時計に目をやった。

「エリカの支度は間に合うのか?」

「私は化粧だけすれば終わりですよ」

 服はメイド服に近い、地味なロングワンピースのままだ。裏で勉強させてもらうだけなのでドレスアップは必要ないし、メイクも傷を隠す以外は簡単にするつもりだった。


 茶会の三会場を萌香が全部回ると言うと、トムたちもそれに合わせて移動すると言う。


「今日の客役に、気になるやつが来るはずなんだ」

 その人物を絵梨花は嫌っていたのだという。先入観を持たせないためか、それが誰とは教えてくれなかったが、兄達がなにかと気にかけてくれることに萌香は感謝した。


「茶会の間は絵梨花として振る舞いますね」

 そう言った萌香に、アルバートは絵梨花が彼を「アル」と呼んでいたことを教えてくれる。

「えっ、呼び捨てですかっ?」

 ――年上の人を呼び捨て?

 そんなことを一度もしたことがないと驚く萌香に、アルバートはどこか面白そうに目を煌めかせた。


 慣れないことへの戸惑いを感じつつもスッと萌香の意識を奥にやると、少しだけ小生意気な表情になる。

「アル? こんな感じでいいのかしら?」

 そう言ったエリカ・・・に、トムとアルバートが微かに目を見開いた。

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