48.兄たちと(1)

「うう、眠い」


 十一時には自室に戻った萌香だが、疲れきっていたにもかかわらず頭が冴えてしまい、なかなか寝付くことができなかった。

 窓にかけたカーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。

 このカーテンを付けたことで、萌香はベッドの天蓋のカーテンは開けたまま眠ってみたのだが、閉塞感がなくていいかもしれないと思いながら立ち上がった。空調が効いているので暑苦しいわけではないのだが、分厚いカーテンに囲まれるのは少し息苦しい気持ちになるのだ。

「夏だし、蚊帳みたいな感じの薄い生地なら、エレガントさもあっていいかもしれないけど……」


 カーテンを開けると、端のほうにラピュータが浮かんで見えるのにも慣れたものだ。雲一つない晴天。窓を開けると、早朝の気持ちのいい風が入ってくる。


 萌香はドレッサーの前に座って顔を斜めにし、左耳を押さえてその後ろを見てみる。

 長年忘れていた薄桃色の小さな花のような痣が、子どもの頃と同じようにそこにあった。小さな頃はよく赤くなっていた花は、演劇を始めて緊張したり赤面せずにいられるようになってからは目立つことがなくなり、すっかり忘れていた。


「どうりで、誰も別人だと思ってくれないわけよね」


 理由がわかって、少しだけホッとしたのは確かだ。

 同じ顔で、同じ特徴もある。

 これで別人だと信じろと言うほうが無理だろう。記憶喪失や二重人格のほうがまだ信憑性があるというものだ。


「結局、お兄様たちは何時まで飲んでたのかしら?」


 三時間近く話しても、全然足りなかった。

 聞きたいこと、知りたいことがたくさんあった。やっと対等に話せる相手、聞いてくれる相手を見つけたのだ。そのせいで、少々はしゃぎすぎたと萌香は少し恥ずかしくなる。


 嬉しかった。何でもないような会話が楽しかった。

 トムとアルバートが萌香を妹として扱ってくれることが、思った以上に心地よく安心できたのだ。

 いつものように、無条件で信用していいものかと悩まなかった。絵梨花の仮面をかぶっていても、萌香として自分をさらけ出していても、無意識に自分の勘が、この二人は味方だと言い、萌香はその勘に素直に従ったのだ。


 萌香からも質問をすると、アルバートは調査の仕事をしているそうで、国中を渡り歩いていると教えてくれた。

「出張だらけだから、今は恋人もいないんだぞ」

 なぜかトムがニヤリと笑う。上流階級の人間であっても、第三子以降だと二十歳を過ぎても婚約者がいないことは、決して珍しくはないのだそうだ。政略結婚がある一方、同じ家に生まれても恋愛が自由な人もいる。不思議な世界だ。

「でもアルバートさん、モテそうですよね」

 ――というか、けっこう女たらしっぽい雰囲気があるわ。


「なぜそう思った?」

 両眉を上げ答えを促すアルバートを、萌香は上から下までジッと観察する。

 ルックスで言えば、お兄様のほうが断然かっこいい! それは間違いない! ただアルバートの場合、

「なんとなくです。けど、お姉さま風の女性にモテそうな感じがしました」


 彼が末っ子だと聞いたこともあり、思ったままの印象をオブラートに包まずに言うと、トムが面白そうに肩を揺らす。


「なんだかんだで、色々覚えてるんじゃないか?」

「そうなんですか?」

「ああ。こいつが付き合うのは年上の女性ばかりだよ」

「たまたまだ」

 ムスッとした顔で訂正を入れるアルバート。なんで分かるんだとでも思っているのかもしれないが、初対面の人に対するこのような萌香の勘はよく当たるのだ。ただし、親しくなると勘が鈍くなるのだが。


「エリカはさっき、アルに貰った鏡の包装紙を畳んでただろう」

「はい」

 それがどうかしたのだろうか? と、首を傾げるが、エムーアでは一般的にプレゼントの包み紙はビリビリに破かれるものらしい。だが絵梨花はいつもきれいに包みを開いて、リボンも含めきちんと畳むのが癖だったという。


 ――日本人なら、わりと普通のことのような気がするけど……。綺麗な紙を破くとか、もったいないじゃない。


 だが、ふとしたことも含めた共通点の多さ、あの手紙。見えてしまった蜃気楼。

 急に洪水のように入ってきた情報を、どう整理していいのか萌香は分からなかった。


「エリカ。おまえさっき俺のことを見ながら、兄貴のほうが男前だって思ってただろ」

 そう言うアルバートの顔は、人によってはすごく意地悪そうに見えて怯えるかもしれない。だが目の奥が笑っているのが分かる。これは萌香をからかっているか、トムを茶化しているか、もしくは両方だろう。

 チラリとトムを見ると、こちらを見てずいぶん嬉しそうな顔をしている。


「そりゃあ、お兄様はステキですもの。文句あります?」

 萌香がシレッと答えると、アルバートの目の奥に浮かぶ面白そうな色が深まった。

「さっきは俺のこともステキだと言ったくせに?」

わたくし・・・・は、笑ったほうがステキだと言ったんですよ、アルバートお兄様?」

 今は笑顔のえの字もないだろうと萌香がエリカ・スマイルで応酬すると、アルバートはフリではなく心底嫌な顔をした。


「あー、アルバートさん。もしかして、絵梨花のことが嫌いですか?」

「それ、ずばり聞くか?」

「だって、私が絵梨花っぽい話し方をすると嫌な顔になりますよ」

 驚いたような表情で顔を見合わせるアルバートとトムに、普通分かるでしょうと萌香は心の中で肩をすくめる。

「いや、別に嫌ってるわけでは……」

 とたんに歯切れのよくないアルバートの口調と少し困ったような表情に、やっぱりこの人モテるだろうなと、萌香は改めて思う。絵梨花の兄とは違うタイプのファンがつきそうだ、と。


 ――年上なのに少し可愛いと思ったなんて言ったら、きっと怒られるだろうけどね。


 彼が末っ子で、しかも姉がいると聞いて納得だ。

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