41.手紙

 屋敷に戻った萌香は、こっそり部屋に戻ろうと思ったものの、さっそくイナに見つかってしまった。しかもスカートが裂けていたことで怪我がばれてしまい、叱られると萌香は首をすくめる。

 だがイナは、萌香の傷がかすり傷だと確認をすると、ほっと息をついて苦笑いした。


「ユリアさんたちから話は聞いたわ。よく見つけたわね、ご苦労様。手当をして着替えたら、ゆっくりなさい」

 と言って他にも二、三話すと、さっさと仕事に戻ってしまった。

 萌香が樹に登ったことは子どもたちが秘密にしてくれたようで、怪我も偶然飛び出していた枝のせいだということでごまかせたらしい。


 ――実は服を破いたり怪我をすることがエリカの日常茶飯事だった、なんてことはないわよね?


 妙にあっさりとしたイナの態度に萌香は気が抜ける。「はい」と返事をしてそそくさと自室に戻ると、ワンピースを脱いで傷の手当てを一人でした。

 ベニがいればやってくれただろうが、彼女は少し前に新しいところに移動してしまった。寂しくないと言えば嘘になるが、彼女は仕事でここにいただけであって、萌香が独り占めできるわけではないのだから仕方がない。


 消毒液が乾いてから丁寧に包帯を巻き、普段着に着替えると、顔を洗ってからドレッサーの前に座る。化粧も落としたので、泣いた痕跡は残っていないのを確認し、手早く化粧をし直す。

 一瞬、先ほど初対面の男性の前でやらかしてしまった失態の数々が浮かんでどっと落ち込むが、それはそれ、気にしても仕方がないと開き直った。

「散々笑い飛ばしてくれたし、なんだかんだで色々教えてくれたし、いい人だったよね」

 結局低空飛行のバイクで屋敷まで送ってくれたアルバートは、少し用があると町に行ってしまった。おそらく他の客と同じくらいにやって来るのだろう。


 エリカにとって、兄同然だったというアルバート。もしこれがエリカの恋人だったりしたら、本物のエリカが戻ってきたときにはジャンピング土下座ものだと思ったが、そうではないようなのでちょっぴり安心だ。

「エリカの婚約破棄……ではなくて、解消のことも教えてくれるそうだし」

 元婚約者がすでに新たな婚約をしていることから、なんとなくその時の様子は想像がついている気がしていた。

 だがもしかしたら、エリカ側にも恋人がいた可能性があったかも? と、先ほど急に気付いて、少しだけ青ざめたのだ。あれだけエリカがモテてる様子を見たのに、それに思い当たらなかったのも不覚だが。


「私がモテたことなんてないんだから、仕方がないわよね? 事実お見舞いに来た男性もいないしことだし?」


 萌香が首をかしげると、鏡の中の萌香も首をかしげる。

 しっかり鏡を見られるようになって十日ほどだが、エリカを見習ったおかげか、自分でもずいぶんと印象は変わったと思う。

「お嬢様も少しは板についたと思ったんだけど……」

 だがアルバートの前では思い切り素の自分をさらしてしまった。あとで挽回しておこうと思うが、すでに通じないような気もする。

「まあ、いいか」

 どうせ明日までしかいない客だ。しかもエリカの友人ではなく、兄の友人。そうそう関わることもないだろう。表では淑女の仮面をかぶってたと言ってたことだし、エリカの素の顔を知っていたと考えれば、無理をするだけ無駄だ。


 髪を梳かそうとドレッサーの引き出しを開けると、そこに見慣れないメモが一枚入っていた。いや、上に張り付いていたものが、はがれて落ちかけていたが正しい。

 端がほんの少しまだ上についているのを丁寧にはがしてそのメモを見て、萌香は息を飲んだ。そこには、

「もう一人のわたくしへ。一条絵梨花」

 と、日本語で書いてあったのだ。


 動揺したせいでメモが床に落ち、何度も落としながらもう一度メモを取り上げる。

 心臓が激しく脈打つせいで、胸が痛くて息が苦しくなった。

 ゴクリと唾をのみ、目をつむって大きく深呼吸してから、もう一度メモを見る。それは白い紙に花模様の透かしの入った、ごくごくシンプルな便箋だ。書いてある文字はあまり上手ではないが、それでも間違いなく日本語だった。


  *  *  *


 ――もう一人のわたくしへ。一条絵梨花。


 これが読めるあなたは、間違いなくもう一人のわたくしでしょう。

 わたくしの今の名前は一条絵梨花。でもここではイチジョー・エリカ(エムーアの言葉で書いてある)なの。

 でもわたくしは、本来ここにいるべきイチジョー・エリカではありません。スライドという事故で、違う自分になってしまったの。わたくしだけどわたくしじゃない、違うわたくしに。


 わたくしはわたくしのいるべき場所に帰りたいと、ずっと思ってました。

 ズレを正し、わたくしたちが元々いるべきだった場所に帰るために。

 だからわたくしは、賭けをします。

 成功する可能性はとても低いけれど、それでも後悔だけはしたくないのです。


 もしもの時のために、わたくしは自分についての記録を残します。もし困ったらそれを見てね。わたくしであるあなたなら必ずわかるはずです。

 鍵はこの屋敷の図書室、入り口から見て左一番奥の本棚の上に置いておくわ。


 あなたの幸運を祈ってます。

 お互い幸せになりましょう。


 絵梨花より、もう一人のわたくしへ。


  *  *  *


「なに、これ……」

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