26.私の憧れの人(ミア視点)

 フテン・ミアは思いもかけない幸運に、胸がはちきれんばかりの興奮を覚えていた。

 最初は迷子になった弟ゲイルを心配したりムカついたりしていた。おとなしくホテルに直行していればこんな目には合わなかったのに! と、自分もマーケット見学に乗り気だったことを棚に上げて八つ当たり気味の気持ちだったのだ。

 知らない土地で、七歳の弟が迷子になっている。ゲイルはぜったいに怖がっているだろうし、心細いだろうから早く見つけてやりたい。けれど――

 勝手に消えるんじゃないわよぉ! おねえちゃん、泣くからね! だから早く出てきなさい!


 散々汗だくで探し回った末、日陰でおとなしく座っている弟を見つけて、わき目もふらずに抱きついた。

 よかったと安堵し、弟と一緒にいた人に気がついたのは、彼女から声をかけられてからだ。


 ――不覚!

 突然殴られても、ここまでの衝撃は受けないのではなかろうか。

 なぜなら、そこに立っていたのはミアの憧れの人だったのだから!


 イチジョー・エリカ。

 それがミアの憧れの人の名だ。

 おととし、両親に連れられ渋々見学に行った舞踏会で初めてその姿を見て、ミアは彼女から目が離せなくなった。

 彼女の踊る姿、表情、声。そのすべてがミアの目に、耳に、心に焼き付いた。もちろん素敵な男性もたくさんいて、友達と誰が一番素敵かで盛り上がりもしたが、ミアにとっての一番はエリカだったのだ。


 きっと言葉にしたら大人には笑われるだろうが、エリカを見た瞬間、「ハナだ!」と思った。

 大好きな物語のヒロインが、現実世界に飛び出して来たのだと思った。

 挿絵そっくりの美しい姿。しかもエリカの名字は、ハナと同じイチジョー。とても偶然だとは思えない。


 それからは、エリカは完全にミアのアイドルだった。

 同じような感想を持った何人かの友達と、ひそかにファンクラブも作った。「白花会」と名付けたファンクラブは、人数こそこじんまりしているもののエムーア全土に会員がいて、情報の量が多いことがひそかに自慢だったりする。

 成績優秀で、ダンスが上手で。仕草が美しいエムーアでも屈指のお嬢様エリカ。


 こっそりと会員同士で情報を交換し、いつか彼女に会う日を夢見て、ミアも友達たちも苦手な勉強やダンスの練習も頑張ったのだ。


 その白花会に、とんでもないニュースが飛び込んできた。

 半年ちょっと前に彼女の婚約解消のニュースが流れ、会員たちはエリカの心を思って胸を痛めた。その時は、愛しい婚約者の将来を思って身を引いたエリカに心酔した。誰も彼女の悪口を言わなかったし、その元婚約者に少々眉をしかめる者がいたとしても、彼がエリカを愛していたことは一目瞭然だったので、彼にも多少の同情が集まったのも事実だ。

 そのあとエリカへの求婚者が後を絶たないという情報も、独自のルートから入手していたミアは「それはそうよ!」と我がことのように誇らしく思った。

 彼女はイチジョーの第二子だけど、イチジョーは大きいから、学園の方の後を継ぐために婿をとるのかもしれない。それともいっそラピュータで、王家やその縁者に嫁いでもおかしくないのでは?

 そんな感じの夢を見て、はじめの頃はエリカが誰を選ぶのか楽しく話題にしたものだ。


 しかし婚約解消の後エリカは家に籠ってしまい、外部との交流を完全に絶ってしまった。

 相手のことを想っての婚約解消でも、やはり悲しみは大きいのだろう。

 エリカなら年齢が少々高くなったところで、結婚相手はいくらでも見つかることだし、今は気のすむまでそっとしておいたほうがいい。

 大人の話に、ミア達も納得していた。


 だが、その元婚約者の新たな婚約が発表されたその日。イチジョー・エリカは大きな事故にあった。そのニュースが入ったのは事故から半月も経ってからだ。何と彼女は大けがを負い、言葉以外のすべての記憶を失ったという。

 もちろんこんなことは、何も公にはされていない。

 ミア独自のルートからの情報だが、彼女は自分が持ちうるコネをすべて使ったので、たしかな情報だった。


「エリカ様のお見舞いに行きたいの!」

 ミアは両親に必死で頼み込んだ。

 憧れのエリカが心身ともに傷ついているのだ。どうしてもそばに行きたかった。

 だが両親は、「邪魔になるだけだから」と許してはくれなかった。友人でもない、ましてや知り合いでさえない年下の女の子が訪ねて行っては、かえってエリカの負担になるだろう、と。

 まさにその通りなので、ミアには反論することもできなかった。


 もともと夏休みには、母親の仕事についていく形でイチジョーに行くことになっていた。

 だがゲイルのリクエストもあり、一週間近く早く来ることが出来たのだ。そこで、エリカの住むイチジョーを堪能しつつ、どこかでエリカに会えるのではないか。彼女にまつわる何かにあえるのではないか。ミアはそんな期待をしていた。――が、まさかこんな形で会えるなんて夢にも思ってなかったのだ。

 憧れの人が目の前にいる!

 しかも以前と変わらない、いえ、もっと美しくなった姿で!


 ――元気そうでよかった!


 ミアは感動で涙ぐみながら、エリカのことを見つめ続けていた。

 そんなミアを見たエリカは、一瞬戸惑ったような表情を見せる。それもそうだろう。初対面の女の子に大ファンだなんて言われても、普通は戸惑う。

 だがそうは分かっていても、あこがれの人に会えた興奮が冷めないミアに、エリカはふわっと花が咲くように微笑んだ。


 ミアはハッとして、空気が変わった、と思った。

 日常が非日常になったような、物語の中に足を踏み入れたような不思議な気持ちになる。

 そして、


「ミアさんね。はじめまして、イチジョー・エリカです。お会いできて光栄ですわ」


 エリカに名前を呼んでもらったミアは、このまま時が止まればいいのに! と、本気で願ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る