第一章 ここはどこ? 私は誰?

1.演劇部

「エリカ先輩、一日遅れだけど、ハッピーバースデー!!」


 恵里萌香えりもえかが差し入れのドリンクをもって視聴覚室に戻ると、宮本ヘレンが満面の笑みで抱き着いてきた。

 エリカは萌香の愛称だ。恵里が名字で萌香が名前なのだが、小さいのころから、エリカという愛称で呼ばれることが多い。


 ヘレンは萌香の二歳年下で、中学からの後輩である。アメリカ人の母と日本人の父を持つハーフだが、生まれも育ちも日本で、萌香を慕い高校まで追いかけてきたと公言している高校三年生だ。

 萌香としては、英語と国際交流に力を入れている都立瀬川高校が、ヘレンのようなハーフやクォーター、または外国籍の生徒が多いことから選んだのでは? と、ひそかに思っているのだが、自分を慕ってくれる可愛い後輩なのでそのことに突っ込みを入れたことはない。萌香が二年前に卒業した母校は、まだ創立七年の新しい学校で、インターナショナルスクールでもないのに国際色豊かな高校なのだ。


「ありがとう。よく覚えてたね」

 ムギュっと抱き着き、萌香の肩に頬を擦り付けるヘレンの頭を萌香がなでてやると、 

「んふふ。もちろんですよぉ」

 と、ヘレンは子どものようににっこり笑う。そうすると、普段は大人っぽい顔が嘘のように幼く見え、萌香もつられて笑ってしまうのだ。


 ヘレンは演劇部の部長であり、黙って舞台に立てば人目を奪う極上の美少女だ。街を歩けばスカウトが後を絶たないとかで、彼女をクールビューティーと呼んでいるファンが学校内外にも多数いるという噂もある。だが萌香の前では完全に素の姿のため、萌香に甘えるヘレンの姿を初めて見た一年生たちが、目を丸くして二人を見ていた。だが演劇部の二、三年生やOBOGにとっては見慣れた光景なので、「またやってるよ」と笑っている。


「先輩、今日の舞台はどうでした?」


 今日は五月の最終日曜日。

 毎年、新入部員に本番の雰囲気を体験させる目的で、演劇部では毎年この時期にミニ公演を行う。

 演劇部が校内で行う公演は年三回で、ほかには九月の文化祭と三月の卒業式前日に行われている。学校の視聴覚ルームを利用した公演だが、近隣の住人や他校の生徒にも人気がある。公演は瀬川高の関係者限定で、部員が渡した署名入りの招待状を持参した者しか入れない。にも関わらず、今日も立ち見客まで出たほどの人気だった。それは、瀬川高演劇部にはヘレンをはじめ、可愛い女子が多いとの噂も要因の一つかもしれない。瀬川高校は共学だし、演劇部には男子部員もいるのだが、どこか女子特有の華やかさを持つ部なのだ。


 四十五分間の公演は無事終わって観客が帰り、残っているのは演劇部員と、そのOBOGだけ。片付けもあらかた終わったが、昼食を食べたら部員は引き続き部活動らしい。顧問は仕事があると言って、午後二時にまた来ると席をはずしていた。


「よかったよ。卒業公演をアレンジしたんだね」


 萌香はヘレンをはじめ、二人の周りに集まった後輩の二・三年生たちそれぞれによかったところを褒めていく。

 その様子を、後ろでそわそわと見ている一年生に気づいた萌香は、そちらにニッコリと笑いかけた。ついこの間まで中学生だった新入部員が、なんとも初々しくて可愛い。


 それに気づいたヘレンが、

「一年生! 紹介するね。こちらがあの・・恵里萌香先輩です」

 と、なぜか自慢げに萌香を紹介する。なぜか一部から黄色い声が上がり、萌香は目をぱちくりとさせた。


 萌香は二代前の瀬川高校演劇部の部長であり、自称「裏方のプロ」として演劇部の裏方に徹していた。

 稀に代役で舞台に立つこともあったが、基本裏方だ。

 もちろん「プロ」というのは冗談で、実際は「演劇部の裏方仕事が好きな人」なのだが、長いのでそう自称しているに過ぎない。

 しかし後輩たちに言わせると、萌香が衣装やメイク、大道具や小道具に至るまで精通し、そのセンスに中学時代からひそかにファンがいる! なのだそうだ。

 それを聞いた萌香は、ずいぶん大げさで面白い冗談だと思っている。

 地味で目立たない自分に、ファンなんてとんでもないことだ。裏方仕事だって精通しているわけではなく、好奇心の赴くまま何にでも手を出しているだけだ。この過大評価の原因は、大方ヘレンのせいだろうなあ、と萌香は考えている。

 なぜか中学入学時から萌香になついているヘレンは、萌香が冗談で言っていた「裏方のプロ」という言葉を、そのまま受け取っているのだろう、と。

 この、綺麗な栗色の髪ですらりとした美少女の言葉は、一々説得力があるのだ。


 新入部員たちの質問に丁寧に答えていくと、あっという間に十一時半になる。午後は用事があるため、萌香がここにいられるのはあと一時間だ。それに気づいたヘレンが、あわてて周りの部員から萌香を引き離した。


「はいはい、今日はここまでね。みんなは先にお弁当食べてて。さっちゃん、あとよろしく。先輩たちもゆっくりしてってくださいね。じゃあエリカ先輩、向こうで話いいですか?」


 一気に言ってノートパソコンを持つヘレンに、萌香は頷き返す。

 今日の目的は、秋の大会の相談がメインだったのだ。

 久々の部活の空気と後輩の熱意に、萌香が「若いなぁ」と笑うと、昨日二十歳になったばかりでしょ! と、数人から同時に突っ込まれてしまった。

 思わず苦笑した萌香を見てヘレンは左眉を器用に上げたが、特に何も言わずに、萌香を渡り廊下の広場に連れ出す。

 瀬川高には購買や食堂がない。その代わり普段は渡り廊下の端にある広場のテーブルでパンが販売される。販売以外の時間は、生徒が自由に使えるテーブルと椅子のコーナーになるのだ。


「じゃあ始めようか」

 テーブルについて萌香がそう言うと、ヘレンはそそくさと演劇部のパソコンを広げた。

 秋の大会は、毎年オリジナルの台本で公演をする。部員内で話し合いつつも、今回台本にまとめているのはヘレンだという。


「秘密の花園を下敷きにしたんだったよね」

 萌香が確認すると、ヘレンはまじめな顔で頷いた。

 あらかじめデータは見せてもらっているので、確認程度に目を通した萌香は、ヘレンの相談に助言を入れていく。

 仮のタイトルは「エターナル・ガーデン」。

 現代日本とファンタジーがミックスした舞台で、ヒロインの麻里が古い廃屋で美しい庭を見つけ、そこで少年たちに出会うという内容だ。

「衣装はこう、なにかインパクトがほしいんですよね。普通にワンピースでもかわいいんですけど、ちょっと非日常的な感じがいいなあって」

「わかった。何か思いついたら連絡する」


 そこで話は終わりということでパソコンを閉じると、ヘレンがじーっと萌香を見つめていることに気づいた。


「どうしたの? 何か忘れた?」


 萌香が首をかしげてみると、ヘレンが眉をひそめ唐突に

「エリカ先輩、今、悲しい恋とかしてます?」

 と言った。


 瞬間、萌香は胸がズキリとする。

 ヘレンは冗談なのか本気なのかはわからないが、先祖に占い師(ジプシー?)がいたとかで、占いが得意だ。占いでなくても、不思議と色々なことを言い当てる。気味悪がられることが多いからあまり表には出さないが、萌香相手には遠慮がない。つまり隠すだけ無駄ということが分かっているため、萌香は小さくため息をついて「失恋した」と答えた。

「昨日フラれたのよ」

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