2.失恋からはじまる二十代

 昨日は、萌香の二十歳の誕生日だった。

 一ヶ月ぶりに彼氏の一条修平に会えるため、いつもより少しだけメイクに力を入れた。とはいえ、萌香は舞台でもないのに顔が全く変わってしまうようなメイクは好きではないので、ほどほどに。仕上げに買ったばかりの新色の口紅を塗る。

 萌香がミニスカートをはくと彼が不機嫌になるため、ボトムは普段通りジーンズだが、トップスは先週買ったものをおろした。顔色に映えて似合うと友達から勧められたし、一目見てとても気に入っていたものだ。

 成人式用に伸ばしている髪は丁寧にまとめ、全身を鏡に映してチェックする。

 久々に会った彼は、可愛いと思ってくれるだろうか?

 そう考えるとチェックが甘い気がしてしまう。前や後ろを何度も何度も確認してしてから、萌香はやっと車で待ち合わせ場所に向かった。


 だが会って早々、一条が萌香に向かって放った一言は

「あのさ、俺、好きな子ができたんだ」

 だった。


 萌香へ誕生日おめでとうも、ごめんもない。ただ彼にとっての事実だけ。ほんの少しだけ申し訳なさそうに聞こえたのは、萌香の都合のいい妄想だろうか。いや、確実に妄想だ。一条の表情は新しい恋にワクワクしてるのを隠しもしなかったし、口調はなぜか少し自慢気だった。

 新しい彼女だと、女を連れてこなかっただけましなのかもしれないとさえ思えてきて、萌香はしばしポカンとした。

 萌香自身、誕生日だからと言って特別なプレゼントを期待していたわけではない。ただ、久しぶりに彼に会えることがうれしかった。たまたまそれが自分の二十歳の誕生日だったから、ほんの少しだけ特別になればいいと思っていたのは確かだ。だが、こんな特別など欲しい女がいるものか。

 ある意味、忘れられない誕生日プレゼントだったと言えるだろう。


 一条の言葉を理解した瞬間、萌香はガクガク震えながら「わかった」と言ってきびすを返し、今降りたばかりの車に戻るため駐車場に歩き出す。彼から何か呼び止められた気がしたけど、振り向くのが怖くて聞こえなかったふりをした。

 萌香は普通に徒歩で去っただけなのだから、止めようと思うなら数歩歩けば追い付けたはずなのだ。でも、一条は追いかけては来なかった。


 わかったなどと聞き分けのいい返事はしたが、本当はわかってなどいない。

 だが萌香は、あのまま涙をこぼしたり、ましてや一条の顔を見てなじるようなことはしたくなかった。たとえ理不尽だと思っても、大好きな人の前でみにくい姿を晒すことのほうが耐えられないと思った。

 好きな人の前で、少しでもいい女でいたいと思うことはいけないことだろうか。


 ――もう彼が自分を見ていないのなら、せめて醜態だけはさらしたくない。他の子を好きになってよかったなんて思わせたくない。

 そんなギリギリのプライドを頼りにエンジンをかけ、萌香はゆっくりと車を走らせた。


 数分走ったころ、ようやくさよならも言われなかったことに、萌香はぼんやりと気づく。元々好きだと言ってきたのは一条のほうだったが、少し前から心が萌香のほうを向いてないことにはうすうす気づいてはいた。大好きだったから、認めたくなかっただけだ。


 そんなとき、一条のほうから萌香に会おうと約束をくれたから期待をしてしまった。たぶん彼のほうは、萌香の誕生日だということも覚えていなかったのだと今はわかる。

 萌香は一条から何度も好きだと言われた。手をつないで街を歩いたし、キスだってしてくれた。ただ、周りの人に「俺の好きな人」と萌香を紹介してくれてはいたが、彼女とか恋人だと言われたことがなかったことに、今更ながら思い当たる。

 

 ――恋人だと思っていたのは……自分だけ……。


 胸に大きな塊りがつかえる。

 気を抜くと涙が出そうだから、萌香は必死に運転に集中した。どこへいくかは考えていなかったが、一人になりたいと思った。どこか泣けるところはあっただろうか? 萌香は誰かがいるところでは泣けなかったし、誰かに泣いてたことを知られるのも苦手だった。


  ◆


 結局昨日、萌香は家でも泣くことはできず、夜は家族と笑って誕生日を過ごした。



 フラれたと言ったきり黙り込んだ萌香を見て、ヘレンが得心がいったというように大きく目を見開いた。人形のように美しい彼女の目がこれでもか言うほど大きくなる。

「だから先輩、今日は色気が駄々洩れだったんですね!」

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