16.一か月の出来事(3)
萌香が置かれている状況が誰かのイタズラではないなら、一体自身に何が起こったのか?
何度も考えたのは誘拐だった。
ここのお嬢様であるエリカの身に何かがあった。そこにエリカそっくりな自分が誘拐されてきた――というものだ。何かあったことを知るのは犯人だけで、家族などは何も知らないのでは、と。
正直これが一番可能性が高いように思える。
「でもそうなると、見たこともない国名や技術の説明がつかなくないのよね。何より言葉の説明がつかない。翻訳されて聞こえるとしても、私は何もそれらしきものは持ってないわけだし。私の言葉も相手に通じてるんだから、もしそんな翻訳機があったなら、絶対バカ売れだと思うわ」
一瞬、自分の体に何か埋め込まれたり改造されたのでは? とチラリと考えた萌香は、あわててそれを全否定する。それはあまりに怖すぎるではないか。
ということで次に萌香が考えたのはタイムスリップだ。
それともタイムトラベルと言うんだっただろうか?
何が正しい名前かはわからないが、とにかく萌香は、自分は遠い未来に来てしまった、と言う事を考えてみる。実はここは遠い未来の日本では? と考えてみたのだ。
「遠い未来なら、もしかしたら島の一つや二つ浮くかもしれないじゃない?」
ということで地図を見たいと思ったのだが、持ってきてもらえたのは見たこともないエムーア全土の地図だった。
いくらなんでも、地形がすべて変わってしまうとは思えないから、どこかしらに萌香の記憶にある地形があるのではと探していく。たとえここが日本ではないとしても、世界地図に合致するところがあるのでは? と、なめるように地図を見たものの、残念ながら見覚えのある形は見つからなかった。
そしてゾッとすることに、萌香は地図に書いてある文字が読めた。
見たこともないのに、読める。
最初は無意識に日本語だと思って読んでたのだ。だがしっかり見ると違う。平仮名でもカタカナでも漢字でもない! ABCのアルファベットでさえなかったのだ。
「なんで読めるの……?」
思わずつぶやいた萌香に、地図を一緒に見ていたベニが
「地図をですか? 文字をですか?」
と聞いた。
「文字、です」
なんで? という意味で言った萌香に、ベニはにっこりしながら
「文字は覚えているのですね。よかったです」
という。
話すだけではなく、字を読むこともクリアとは……。萌香としては疑問や呆然を通り越して、もはや笑うしかなかった。
◆
数日高熱が続いた日。
萌香がふと目を覚ますと、看病のため部屋に待機しているベニが本を読んでいるのが目に入った。
「本……だ……」
声を出そうとしたが、のどがカラカラのせいか勢いよくせき込んでしまう。
背中をさすってもらい、水を飲むとスッと落ち着いた萌香は、改めてベニに
「本を読んでいたの?」
と聞いた。
こちらに来てから初めて目にする「書物」である。
部屋に本棚がないことで、地図のような実用品しかないのかと無意識に考えていたのだが、字も紙もあるなら娯楽小説もあるのかもしれない。
期待に目が輝いていたらしく、ベニは
「お嬢様は、ご本がお好きでしたのね」
と言って、読んでいたものを見せてくれる。
「本があるって知らなかったのよ」
知っていたら、ベッドにボーッと寝ているより、何冊もの物語を読んでいたかった。
「これはベニの本なの? どんな内容?」
深紅の
装丁だけとっても非常に凝っていて目に楽しいが、手間暇を考えるととても高級そうだ。
「これはイチジョーの図書室で借りてきたのですよ」
「図書室! ここには図書室があるの?」
萌香は、どうりで個室に本棚がないはずだと納得する。
しかも書斎ではなく図書室だという。どれだけの規模なのだろう?
ふと浮かんだ映画のワンシーンが思い浮かぶ。
ヒロインが、たくさんの本が収められた図書室を贈られるシーンだ。あれは憧れた!
「ふふ、では熱が下がったら一緒に参りましょうか。私が今読んでいるのは、ラピュータでも人気のロマンス小説なんですよ。最新刊なんです」
それはエムーアの人気女性作家のロマンスシリーズで、とても面白かった。
何より現代のエムーアが舞台と言う事で、生活などがよく分かる。
メイドの間でも大人気らしく、こっそり事実確認を混ぜつつ内容を話し盛り上がるのはとても楽しかった。好きな物語を語り合うのは至福の時だ。
「理由はよく分からないけど、ここの字が読めてよかったわ」
はじめて萌香は、自分の状況に感謝した。
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