15.一か月の出来事(2)


 イナがとても忙しい立場であることは、周りからの話からもよくわかった。

 父親のほうは、こことは別に都市の方で学校経営をしているとかで、普段のイナは学校の経営や講師をしているという。

 学生の前やイベントで講師などをしている映像も見せてもらったが、その姿はとてもエレガントで美しいものだった。ますます初対面の姿が信じられない。


「あまり無理をしないでくださいね?」

 あまりにまめに見舞いに来るイナが心配になって萌香がそう言うと、イナは一瞬ぽかんとした後、クスクスとしばらく笑い続けた。

「母親が娘を見舞うのに、無理なんてありえないわ。看病もロクにできないのだもの。私がそばにいたくて来るのよ」

「イナさん……」

「うーん、まだおかかさまとは呼べないのね?」

「えっと、すみません……」


 萌香からすれば、親切な女性というだけであるイナを「母」とは呼べない。

 かといって、萌香が万が一、そう万が一・・・記憶が萌香になっただけのエリカだった場合、母親のことさえ忘れたことで、どれほど彼女を傷つけているのかと思うと心苦しいのは確かだ。


 ――でも、「おかか様」だよ? お武家様の娘みたい。ドラマだって普通「おかあ様」だったから、よけいに違和感が強いのよね。


 ちなみに父親のことは「おとと様」と呼ぶらしい。

 ベニたちの話によると、女性の両親の呼び方は一般でも「ととさま」「かかさま」が普通らしいので、違和感を覚えるのは萌香が記憶を失くしているせいだろうで片付けられている。


「まあ、実際にこっちの人がそう言ってるかはわからないんだけど……」

 つい額に手を当てて、小さく独り言ちる。


 この一か月、萌香の世界はこの部屋がほぼすべてだった。

 もちろん、部屋中をくまなく調べてみたが、スマホも自分の服も見つからず、段々萌香の記憶のほうが夢ではないかという気持ちになる事もあった。


 相変わらずこの世界はわからないことだらけで、屋敷の中でもこれだけ驚くことが多いのだから、外に出たら頭がそれについていけるのか少々心配なくらいだ。

 その一番が「言葉が分かること」だった。


 最初に気づいたのは、フィンセントの話を聞いてる時だっただろうか。

 小さな子供に話すよう、ゆっくりと萌香に話しかける彼の口元に違和感を覚えた。口の動きと耳に聞こえる言葉にずれがあることに気づいたのだ。

 それは、吹き替えの映画を見ているような、奇妙な感じだった。


 ――フィンセントさんの顔立ちからそう感じたのかしら?


 最初は熱でボーッとする頭でそう納得してみたものの、その後気をつけてベニや他の人の口元を注意してみたが、全員同じだった。


「なにこれ」

 ――自動翻訳?

 その単語を萌香はあわてて飲み込む。


 ――まだ誰を信用していいのかわからない。

 そう考えた萌香は、気付いたことをそっと胸の内に隠した。このことをどう考えていいのか、考えるための材料と体力が少なすぎた。

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