第二章 この世界はすべて舞台

19.部屋の模様替え

 こちらで目覚めてからはじめて、萌香はダイニングで昼食をとった。

 ここ一か月の間、いつも食事は萌香の部屋で一人で、途中からはどうしてもとお願いして、ベニと二人で食べていた。調子のいい時はそこへイナを交えることもあったが、昨夜から今朝にかけての体調から、普段の生活に戻してもいいだろうと許可が降りたのだ。

 そのため、服装も一見シンプルなワンピース風のネグリジェではなく、きちんとした普段着である。やわらか素材のシンプルワンピースもかわいいのだが、こちらではあくまで寝間着、もしくは部屋着止まりなのが少々残念だったりする。文化の違いでは仕方がないが、普段着にできるワンピースはデザインも素材ももうすこしかっちりしたものだけで、エリカの立場で着るのはおかしいもののようだ。


 萌香はこちらの普段着と言う事で、今朝初めて和ロリ風の服を着た。

「思ったよりも動きやすいのね」

 体を左右にひねって、スカートをふわりと翻してみる。

 写真で見たときは、日本の着物と袴をアレンジした感じのツーピース、もしくはワンピースだと思っていたのだが、実際着てみたものは、カシュクールタイプのブラウスとハイウエストのプリーツスカートだった。

「ベルトはどちらにします?」

 記憶喪失の・・・・・エリカ・・・のために着替えを手伝ってくれているベニが、二種類のベルトを手にして見せてくれる。


 ウエストは半幅帯のような幅広のリボン状のベルト、もしくは編み上げのコルセットを巻くようだ。着物っぽい感じにしたかったので、今日は幅広のベルトにし、左前で大きなリボン結びにしてもらうう。

 スカート丈は、膝が隠れる長さで、たいていふくらはぎあたりまでのミモレ丈やくるぶしあたりまであるマキシ丈らしい。数少ない女性や写真を見た限り、太ももや膝が見えるようなミニスカートはなさそうだ。――そんなことを、ちょっと苦いものを思い出しながら考える。


 ちなみにこのタイプの服は、こちらでは上流階級の未婚の女性が着るものらしい。

 結婚したり、未婚でも大人と混ざっての行事の時はドレスを着用するということが、一か月の調査でなんとなくわかった。

 立場やイベントで、ドレスコードが決められていると考えればいいのだろう。


 萌香がショックだったのは、なんと女性のパンツスタイルは、年齢問わず「ありえない」格好だということだった。ボトムが袴タイプでないのもそういうことなのだろうか。

 ――動きやすいし、楽よ?

 とは思うものの、おいおい慣れていくしかなさそうだ。

 そもそもお嬢様という立場では、労働者のような格好をする機会はないのだろうが、学生には体育みたいな授業やスポーツはないのかしらと思ったりもする。



 そんな疑問を持ちつつも、気分的には長い入院生活がやっと終わったといった感じで、食事の時間も普段よりもゆったりとしたものだった。一緒に食事をするイナの嬉しそうな様子を見て、夫も息子も遠くで働いているのに、娘までが部屋から出られない彼女の日々の食事は、さぞや味気なかったのだろうと改めて気付く。

 萌香が「新しいエリカ」として、心機一転頑張ると伝えたところ、またイナに泣かれそうになってしまった。だが、それ以降は終始穏やかな笑顔の彼女を見て、萌香は微笑んだ。


 動画や写真では、エリカの話し方はわからない。

 さすがに普通に会話をしているようなものは見当たらなかったからだ。

 だが萌香は、イナたちから習ったマナーや、動画で見てきたエリカの仕草を丁寧にトレースしていく。多少失敗しても構わないのだから、と。


 不思議なことに、イチジョーでは古くから働いている人はフィンセントの妻でありイナの執事をしているロッテだけだという。

 優秀な人材を育てるイチジョーでは、学校を卒業しイチジョー内で働くことになった者も、ある程度の間隔で外部に派遣されたりイチジョー内の様々な施設に転属になるらしい。


 昔からのエリカを知っている人は意外と少ないのかも?

 そう思うと、萌香も少し気が楽だった。


  ◆


「ねえエリカ、部屋の模様替えをしない?」

 食後のお茶を飲んでいると、イナがいいことを思いついたというようにそう提案してきた。

「模様替え、してもいいんですか?」

 ホテルライクで生活感がなさすぎるのが不満だった萌香は、思わずその提案に飛びつきたくなるのを押さえて、控えめに聞き返す。

「ええ、もちろんよ。あなた、卒業して帰ってきてからというもの、部屋の中があまりにも殺風景だわ。もう少し女の子らしい部屋にしてもいいと思うのよ」

 そう言うとイナは、メイドの一人にタブレットを持ってこさせてテーブルに置いた。

 タブレットと言っても、スマホのような端末機器ではない。

 A4サイズくらいの一見小さな黒板で、専用のペンで書き込みができるノートのようなものだ。書いたものの保存はできないようで、まさに小さな黒板といった印象だが、チョークを使うわけではないので手は汚れない。


 最近得た知識でそういうものだと思ってイナの手元を見ていると、彼女がいくつかの操作をしたあと、スッとエリカの部屋の立体画像がタブレットの上に現れて驚いた。


「ええっ?」

 デジタル黒板じゃなかったの?

 後半の言葉を懸命に飲み込んで、萌香はその立体画像を凝視した。

 タブレットから浮き出た、まるでドールハウスのように見えるエリカの部屋は、客観的に見ればホテルライクなお姫様の部屋といった感じで可愛らしい。

 人がいないだけで、まるで部屋を丸ごとタブレットに置いたかのようなそれを、萌香は目をキラキラさせながら見つめた。

 子供の頃に図書館で見つけ、何度も眺めたドールハウスの写真集を思い出す。

 いつかこんなかわいいドールハウスを作ってみたいと思っていたことを、久々に思いだして懐かしくなった。


 希望を言えば、机や本棚がある生活が恋しい。

 図書室があるとはいえ、やっぱり少し違う。小さくてもいいから本棚、それから机も欲しい。カーテンだってほしいが、これはむずかしいのかしら。


 萌香が頭の中であれやこれやと考えていると、イナはペンを動かしていく。すると、その小さな部屋の中にいくつかの家具が現れ、ペンの動きに従って移動していった。

「たとえばこんな感じとか。どう、エリカ?」

「すごく、素敵」

 素で漏れた萌香の言葉にイナはにっこりと笑った。

 飾り棚を兼ねた小さめの本棚。チェスト。大きめの鏡のついたドレッサーやライティングデスク。完璧だ。

 広い部屋なので、これらを入れてもまったくごちゃごちゃした感じはなく、むしろ元々こうだったのではないかという感じがする。


「じゃあ、あとで物置を見てみましょうか。気に入るものがあればそこから運んでもいいし、足りないものは買いに行きましょう」

「嬉しい。おかかさま、ありがとう」

 にっこり笑って素直に礼を言った萌香は、少し逡巡したのち、「ねえ、お母さま?」と控えめに呼びかけた。

「なあに?」

「あの、私、窓にもカーテンがほしいのだけど、つけることはできるかしら?」


 窓は時間によって不透明になったり、シャッターのように外の光を遮断する機能がついている。そうわかってはいてもいまだに慣れないため、せめてレースのカーテンだけでもつけられたらうれしいと思うのだ。


「あら、いいわね。一緒にベッドやクッションも替えましょうか」

 意外とあっさり希望が通る。

 窓のリフォームをする前はカーテンを付けていたらしく、こちらも物置にあるという。保存状態はいいらしいが、希望のものがなければ、これもまた買えばいいという。さすがに甘やかしすぎだと、萌香は心の中で苦笑いしつつ、古いものが収められている物置を見るのが楽しみになった。

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