12.エリカの事③(フィンセント視点)
イチジョーの敷地は広い。
ラピュータの北西にあるロデアの、東にある小さな半島全域がイチジョーの敷地になる。
その中にイチジョーなどの屋敷があり、学園や寮、そして生徒やイチジョーで働く人間のための居住地、店などがそろった一つの小さな町になっているのだ。
のどかで美しい田舎町で、生徒の実習のためのホテルやレストランなども多く、他の地方からの観光客なども多い。独立した空間は管理が行き届き、エムーアの中でも美しいとされる町のトップにあるのだ。
事故現場は、イチジョーの屋敷裏にある丘の向こう側。屋敷の裏手から徒歩で十分程度のところだった。あのあと掃除はしているが、ガラスの破片がまだ少し残っているのか、午後の日の光でキラキラときらめいて見える。
敷地内移動用のカートを使って移動したフィンセントとシモンは、現場を改めて見分した。
等間隔に植えられた木と刈り込まれた芝の中を、薄茶色に舗装された道が緩やかな曲線を描く幅の広いこの道は、イチジョーの「離れ」につながる道で、めったに人は通らない。手入れは朝のうちにすることになっているため、今も二人のほかには人影がなかった。
メイドの一人がエリカを見つけたのは、エリカが「離れ」にいるのではないかと探しに来たからだという。だが、彼女の前にも何人か探しに来ていたものがいるのだが、その時にはエリカも赤い不思議な自動車のことも、誰も見ていないという話だった。
「自動車は、何かにぶつかったようです」
「何か?」
フィンセントのあいまいな言葉に、シモンは不思議そうに聞き返す。
「あとで自動車のほうもお見せしますが、ご覧の通り、この辺りには大きな岩も、大きな木もないんです」
シモンはぐるりと周りを見渡す。
あまり背の高くない華奢な樹木のどれを見ても、自動車の衝撃を受けた後が見られるものは一本もない。花壇や芝生、道のどこを見ても、事故があったことを思わせる痕跡は何もない。
二人はそのまま「離れ」に向かった。
自動車は「離れ」にしまってあるのだ。
「離れ」には「鈴蘭邸」という名前がついている。
マチルダが十代から晩年まで過ごした屋敷で、彼女の死後、遺言によりエリカが二十歳なったら譲られることになっている。今もエリカが自由に使えるが、シモンとイナが管理者という形になっているそうだ。
普段のエリカはそこで過ごすことが多かった。いまのところ趣味の空間といった扱いで常駐のメイドなどはおらず、週一の清掃以外は家事全般もエリカが一人でしていた。
夕食時には自宅に戻ってきて、夜は自室で過ごす。
だが、ここ数か月はほとんど鈴蘭邸には行ってないようだという話だった。
鈴蘭邸の大きな門の鍵紋にシモンがカギをかざすと、ゆっくりと大きな門扉が開く。
庭はあの事故以来手入れされていないはずだが、自動で水がまかれているため、玄関までのアプローチを囲む草木は生き生きとして見える。
二人はそのまま玄関へは向かわず、屋敷裏手の車庫へ回った。
もともとマチルダが趣味で乗っていたクラシックカーが、今もきちんと手入れされた状態で置いてあり、その隣に例の赤い自動車のようなものが置かれている。
「なるほど。これは見たことがないデザインだな」
そう言って、物珍しそうにシモンが自動車の周りをぐるりと見ると、ふっと戸惑ったように眉根を寄せた。運転席側の前方から運転席ドアにかけ、何か強い衝撃を受けたようにボコッとへこんでいるのだ。
中の構造はフィンセントには理解できないものだ。
だが、今はあまり公にしないようシモンに言われていたこともあり、ここに運んだあとはまだ調査をしていない。
「ずいぶん小さいな。一人乗り……いや、二人用ってところか。これは……」
シモンがそれを見ながら自問自答を始めたので、フィンセントはしばらくそっとしておくことにする。答えが出るまでは話しかけても聞こえないはずだ。
三十分ほど見分したあと、二人は鈴蘭邸を一通り見て回る。
「エリカは、ここのことは?」
「おそらく忘れています」
「……ならば、しばらくここは閉鎖する。エリカをここへ近づけないように」
「わかりました」
「あれは、あまりにも不可解すぎるな」
シモンがさしたのは赤い自動車のことだろう。
「エリカが作ったものでしょうか」
「そうだな……」
設計書のようなものは見つけられなかった。だが、エリカが作ったとしか思えない。そうでなければどこから現れたというのだ。
「エリカが男に生まれてれば、また違ったのだろうがな」
エリカのもつ「発明技術」は、並外れたものだった。
女の仕事ではないため、エリカの才能は一族を上げて絶対に外に漏れないようにしていたが、イチジョーには彼女の開発したものがそこかしこにある。
記憶を失くしたエリカは、再び何かを作り上げることはないのではと、フィンセントは少し残念に思った。
「だが、エリカが普通の女の子として生きさせるには、いい機会だろう」
シモンはそう言うと、一般的なロデアの女性と同じく二十歳までに結婚できるよう尽力すると言った。
新しい道を目指していたエリカは消えたのだから、と。
もし記憶が戻ったとしても、二度と危険なことはしてほしくないのは親として当然のことだろう。
エムーアの中でもラピュータなどでは結婚適齢期がずいぶんと高くなっているが、ロデアは古くからの慣習が根付いている土地だった。
だがシモンたちは、婚約が白紙になったエリカには好きな道をと話し合っていた。
「だがそれは、甘い考えだったのだろうな」
――婚約を続けていたなら、これは、けっして起こりえなかった事態だったのだから。
そして、エリカに発明を思い出させるものは封印され、人々にも箝口令がしかれることになった。
彼女が普通の女の子として幸せになるために。
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