8.天空都市?

 外は初夏の陽気だった。

 日の光が瞼をさし、萌香はゆっくりと目を開ける。

 目の前に青々とした芝生が広がる庭は、美しい生け垣や花壇で彩られ、直線の散歩道が作られていた。

 一見レンガを敷き詰めたように見える道は、車いすで通ってもガタガタすることがない。


「アリスの世界みたい……」

 車いすを押す紅に聞こえないよう、萌香はこっそりと呟いた。日よけは断り、太陽の光を楽しみながら緑豊かな庭を散策してもらう。

 バラの季節なのだろうか。通路を作るように植えられた白いバラや、アーチになっている赤やピンクのバラが、その美しさを競うように咲いている。ここは中庭だそうで、少し離れた池のほうまで行けば、アジサイも盛りらしい。

 後日一緒に行きましょうと紅が提案した。

 美しく手入れされた庭園は、物珍しさもあっていい気分転換になり、萌香は外に来て正解だったなとバラの香りを楽しむ。


「紅さんは、どうしてそんなに楽しそうなんですか?」

 ウキウキしているようにも見える紅に萌香が尋ねると、

「お嬢様が元気になったからですよ」

 と、彼女は嬉しそうに笑った。


 その意外な答えに萌香は驚く。

 紅によると、看護専門のメイドである彼女は、萌香がケガをした翌日から、医師の依頼で萌香の世話係として派遣されたのだそうだ。


「昨日までのお嬢様はずっと泣いてばかりでした。それ以外は、ずっと無表情で人形みたいでしたし……。医師せんせいは普通に会話をしていたなんておっしゃってましたが、実際は、『ええ』とか『そう』みたいな返事しかしませんでしたからね。今日やっと人間らしいお嬢様を見られて嬉しいんですよ」

「……まったく覚えてないです。私、本当に泣いてたんですか?」

「はい。涙で溶けてしまいそうでした」


 萌香は呆然とした。萌香は父が病に倒れて以来泣いたことがない。泣くと余計に悲しくなる、悲しくなって悲劇のヒロインに浸る自分は嫌だ。そう思ってたから、彼にフラれたときも涙はこらえてた。

 なのに五日間も泣いていた? まさか。


 自分に敬語は使わなくていいと紅に笑われつつ、庭園の東屋に連れて行かれる。そこには紅と同じメイド服を着た女性がお茶と軽食の準備をしていた。

 萌香は車いすのままテーブルにつき、促されるまま用意された温かいミルクを飲み、キュウリのサンドイッチをつまむ。お腹が暖かくなったことで、再び気分が上昇してくるのを感じてホッとした。


「やっぱり、お腹がすいてるとだめよね」

 しみじみそう言うと、紅たちが顔を見合わせてにっこり笑った。その反応が萌香は嬉しかった。誰かを心配させるより、笑ってもらえたほうがいい。 


 ふと、遠くのほうの空に、何か大きなものが浮かんでいるものに気づく。

 それは、さっき確認しようと思ったものだと思い出し、萌香は目を凝らし、一度目をつむって開いて見直し、目をこすってもう一度見る。

 大きな雲なら驚かない。が、

「あれはどう見ても雲ではないよ、ね?」


 気持ちの良い青空と、いくつかの小さな雲。その中に浮かぶ大きな何か。いうなれば、ガラスや金属で作られたUFOが、地面をえぐり取って共に宙に浮かんだように見えるのだ。

 自分の記憶に自信がなくなってきた萌香は、目もおかしくなったのかもしれないと不安になる。UFOはない、さすがにない。プロジェクションマッピングとか、どこかの企業の飛行船とか、きっとそういうものだ。


 だが、萌香のつぶやきを聞いた紅が

「あれは都市ですよ」

 と笑いながら答えた。

 そんな当たり前のように言われても、なぜ「都市」が空にある。

「都市……?」

 都市って町だよね? 人が住んでるところってことよね?

 そんなまさか、と萌香があいまいに笑うと、


「ああ、本当に何もかも忘れてしまわれたのですね。無理もないです」

 と紅は、何か悟ったような顔でうんうんと頷いた。


 いえ、今は同情より情報がほしいのだと催促すると

「エムーアの天空都市、ラピュータです」

 と言い直した。

 エムーアが国の名前らしい。


「ここ、日本、よね?」

 エムーアなんて国名、聞いたことがない。

 そもそも萌香は地理が得意なほうではないが、それでも宙に浮く都市なんてあったら絶対テレビなどで見ているはず。それに、紅もさっきのイナや医師も日本人に見えたし、普通に日本語で会話をしている。

 軽食を用意してくれたメイドは異国風だが、高校の頃にはそういう子はたくさんいたし、会社にも数人いる。


 だが紅はそれをあっさり否定した。日本という名前は聞いたこともないと。


 ――ラピュータって……ガリバー旅行記ですか? だとしたら国名はバルニバービじゃなかったっけ?


 萌香は子供のころ読んだ、本とアニメ映画を思い浮かべる。


「えっと、もしかして、小人の国とか巨人の国なんてのもあったりします?」

「いえ、そのような国は、今のところ見つかっていないと思います」

 きょとんと紅には首を傾げられ、もう一人のメイドも不思議そうな顔をした。

 だが萌香としても、本気でこんなことを聞きたいわけではないのだ。だがラピュータが本当なら、小人や巨人の国、馬の国もあるはずではないか。

 正直訳が分からな過ぎて、萌香は少々自棄やけになってきていた。


 紅の話によるとエムーアは島国らしい。国は円を描くようにいくつかの島があり、その中央は海になっている。その海の上空に都市があるのだそうだ。


「あの都市にはどうやって行くの?」

「勿論汽車です」

「汽車?」

 驚いてよく見ると、なるほど空に線路のような白っぽい線が見え、そこを汽車らしきものが走るのが見える気がする。

 その非現実的な現実に、萌香は本当にめまいがした。


「お嬢様は、ラピュータにいたことがあるんですよ」

「え?」

「お嬢様はあそこで学生時代を過ごされてます。さっきのダンスは、ラピュータのカイゼルホールでしたし」

「そう……なの?」

 そんな不安定なところで優雅に踊ってたのね、絵梨花。すごいわ。

 高いところが苦手な萌香は、心の中で絵梨花に称賛の拍手を送った。


 だが、おとぎ話でもあるまいし、島一つが浮くなんてありえないだろう。

 

「だいたいあの都市、どうやって浮いてるの?」

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