7.私じゃない私
医師から説明を受けた絵梨花の母親が、
「そんなに絵梨花であることが辛いと言うのですか!」
と悲鳴のような声で叫んだ。
そして彼女はアルバムを漁り始めると、萌香は次々と幼いころの写真を見せられていく。
絵梨花の母親の名前は一条イナだそうだ。
教えられてもイナがどんな漢字かも出てこないし、彼女は萌香の母とは似ても似つかない。
そのイナと写る小さい頃の自分(に見える女の子)の写真。
父親だという男性の写真。兄という男の子は、絵梨花より五歳は年上に見えた。だがどちらにも、まったく見覚えはない。
一緒に写るのはどれも萌香に見えるが、それが絵梨花だと言われても、合成かなぁと曖昧に笑う事しかできない。
しかし、萌香が思うような反応も示さないことにじれたのか、イナはメイドに巨大な金属のカブトムシのようなものを持ってこさせた。
それは萌香が両手を広げてなんとか届きそうな程の大きさで、つややかな
なめらかな表面には大小様々な歯車と透明なチューブのようなものが見え隠れし、歯車が回るとチューブの中に液体が流れるのが見える。
そしてその角が光ると、壁の一部、レリーフで額のようになっているような個所に映像が映し出される。映写機と壁の距離がほとんど離れてないせいか、一瞬にして壁掛けの大型テレビのような雰囲気になった。
白黒の映像だが、映りはいい。
そこには中学生くらいの年頃の萌香がいた。
なにかのイベントだろうか。美しいドレスを着た萌香が、大きなホールで社交ダンスのようなものを踊っている。ダンスの相手は、四~五才は年上だろうか。今の萌香と同じ年頃に見える彼は、少し気が弱そうだが、柔和な笑顔を浮かべ、とても優しそうだ。
だが萌香はこんな動画を撮った覚えがない。男女で踊ることなんて、せいぜい学校のフォークダンスくらいだ。だが、壁に映る絵梨花のダンスは、それとはレベルが違う。
踊る二人はホールの中央にいるように見える。
もし萌香なら、端でひっそり目立たないように踊るだろうと思った。中央は「主役」のものだ。
音楽が終わり、優雅に一礼して顔を上げた絵梨花は、気位の高いお姫様のような凛とした空気をまとわせていた。それは、高校の文化祭で、一度だけ代役で演じた女王役の自分にそっくりで、萌香は全身に鳥肌が立った。
「あれがあなたと、婚約者……いえ、元婚約者の方です」
どうだ! とばかりにイナにそう言われたものの、撮った覚えのない動画に萌香は混乱する。
いくらなんでも絵梨花は萌香に似過ぎだ。写真だけなら合成だと思えた。だが壁に映る、十四、五歳にしか見えない動く絵梨花は、きっと誰の目からも見ても萌香にしか見えないだろう。だが演劇の小さな舞台ならともかく、あんなに大きなホールであんな役を演じたことはない。もし演じたとしても忘れるとは思えない。
これは、いくらなんでもいたずらの域を超えている。
何がどうなっているのか、全く分からない。
混乱し動揺する萌香を、しばらくそっとしておいたほうがいいと医師が提案した。
「イナさん、いくらなんでも傷をえぐっては逆効果だ」
と言って。
そして、再び部屋には萌香と紅が残された。
萌香が混乱しているのは、元婚約者だという男の子を見せられたからではない。
彼のことは全く覚えがない人だ。動画が終わった瞬間、顔もあいまいになったくらい。
自分に起こっていることが分からない。何とも言えないもどかしさに、萌香は息苦しさを感じ、何か叫びたくなった。
イタズラだと思うことは、もうできなかった。
「お嬢様、気分転換致しましょう」
明るい声で紅に言われ、萌香はゆっくりと顔を上げ、コクッと頷く。
広い場所で、新鮮な空気を吸うのはいい提案だと思った。
「今日はまだ長く歩けませんでしょうし、車いすに致しましょう」
紅はそう言って壁際まで歩くと、何かをポンと指で押した。すると、そのすぐそばの金属の美しいレリーフにしか見えないものがゆっくりと手前に飛び出し、床に降りてくる。
そして、それは音もなく展開し、瞬く間に足を軽く伸ばして座れるような、三輪の車いすに変形した。
いや、たぶん車いす、というべきか。
病院で父が使っていたものとは違う。
大きなタイヤが後ろに二つ、一番前に小さな車輪が一つ。
やわらかそうなチョコレート色の革張りで、フレームは木でできているように見える。だが展開前は、歯車と金属でできてたノートサイズのレリーフだったはずだ。
「うそでしょ」
萌香は恐る恐るそれに近づき、こわごわと触ってみるが、間違いなくしっかりしたつくりの車いすだ。
「お嬢様が座っても壊れませんよ?」
面白そうに紅に言われるが、なんのトリックかわからない。
萌香は何度もそれを押したり撫でたりしてから、ようやく車椅子に腰かけた。あつらえたようにぴったりと馴染むその椅子は、体の緊張をすべて持っていくように心地がいい。ほっと肩の力が抜ける。
――なんだか、もう、疲れた。
そのまま目をつむり、紅に庭まで連れて行ってもらう。
目を開けたら夢だったってことになってないかなぁ、と思いながら。
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